[斎宮 笠縫邑 桧原神社+宗像大社+日本三大弁天 竹生島神社 厳島神社 江島神社+日本三大住吉 大阪住吉大社 山口住吉神社 福岡住吉神社+初代天皇と欠史八代+石笛・磐笛+宇佐神宮 ] 神と磐笛とラップ音
古代日本で行われてきた卜占の一つに誓約(うけい)という物事の成否や吉凶を占うための方法があり、須佐之男命が天照大神に対して真意を証明する条のほか、特に麛坂皇子・忍熊皇子が神功皇后との戦いの行く末を占った誓約狩では、占いをしている麛坂皇子自身が誓約に用いた赤猪に食い殺されてしまうという、誓約の行為自体が物事を左右するほどの能力があったと言われています。これは日本人の言霊信仰がベースとなっており、言葉には必ず魂が宿るとされ、嘘や欺瞞・不信な言動には霊力が宿らず、その結果、物事は現実化・成就しないという考えです。
また、神が司祭者や巫女に憑依して神意を伝える神のお告げを神託(しんたく)と呼び、シャーマンが神や精霊との直接交流により啓示や予言、治病を行う呪術と同じ行為と言えます。神道では神楽や祝詞を奏上することで神託を行いますが、邪馬台国の卑弥呼をはじめ、崇神天皇の皇女 豊鍬入姫命や垂仁天皇の皇女 倭姫命は神託により御杖代(みつえしろ)として天照大神にお仕えしたとされ、神功皇后においては自らが神託を行い、熊襲征伐や三韓進行を成功裏に収めたと言われています。
本寄稿ではこういった日本古来より伝わる託宣にまつわる記紀神話を紐解いていきたいと思います。
斎宮(いつきのみや・さいぐう) - 三重県多気郡明和町
第10代 崇神天皇が皇女である豊鍬入姫命に命じて宮中に祀られていた天照大神を奈良県 笠縫邑に祀らせたことが斎宮の始まりとされ、その後を引き継いだ第11代 垂仁天皇の皇女 倭姫命により斎宮は伊勢神宮からおよそ 15 kmほど離れた伊勢神宮領の入口につくられた。斎宮とは斎王の宮殿と斎宮寮という役所のあったところである。
斎王(さいおう)とは天皇に代わって伊勢神宮の天照大神へ仕えた未婚の内親王を指し、天皇の即位ごとに皇族女性の中から卜定(ぼくじょう)と呼ばれる占いの儀式で選ばれた。斎王となるための発遣儀式を終えると斎王は葱華輦(そうかれん)という輿に乗り、平安京より伊勢へと旅立つが、この旅路を群行路(ぐんこう)と呼び、勢多、甲賀、垂水、鈴鹿、一志を通る5泊6日旅であった。
この群行は斎王が神様に近づくための禊祓の旅でもあったため、途中6ヶ所の堺川で禊を行い、聖なる神領の入り口に流れる祓川にて斎王となる最後の禊を後に、斎宮に入ったとされる。また、斎王がその任務を解かれるのは、天皇の譲位・崩御、斎王の病などの場合と決められており、解任された斎王の帰京時は、天皇譲位の場合は群行路を通ったが、不幸な理由の場合のみ、帰京路(一志、川口、阿保、名張、都介、相楽)を通った。いずれの場合も難波津にて禊を行った後、密かに入京したと言われている。
斎宮に住まいを移した斎王が伊勢神宮に赴くのは、6・12 月の月次祭と、9月の神嘗祭の年3回のみであり、それ以外は人と神との架け橋として国の平安と繁栄を願い、神への祈りを捧げる日々を送ったとされる。古くは第11代 垂仁天皇の皇女 倭姫命が斎王の原型とも言われている一方、制度上の最初の斎王は、第40代 天武天皇の内親王である大来皇女(おおくのひめみこ)とされ、この斎王制度が廃絶する第96代 後醍醐天皇まで約660年間続いた。
宗像大社(むなかたたいしゃ) - 福岡県宗像市
宗像三社と総称される沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)、大島の中津宮(なかつぐう)、宗像の辺津宮(へつぐう)は、古くから漁師や貿易を行う商人をはじめ、船乗りに信仰があつく、玄界灘を守る氏神様として尊ばれてきた。特に玄界灘に浮かぶ沖ノ島は島全体が御神体とされ、古来より島での出来事は他言不問とされ、島内の草木一本も持ち出すことはできず、現在もなお女人禁制の神島として厳しい掟が守られている。そのため沖ノ島にはほぼ手つかずのまま自然崇拝に基づく古代祭祀の遺跡が残されており、2017年「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群としてユネスコ世界文化遺産に登録された。
記紀神話には須佐之男命が天照大神に自分の身の潔白を証明する誓約の条があるが、天照大神が須佐之男命の剣を噛み砕いた破片から沖津宮の田心姫神(たごりひめのかみ)、中津宮の湍津姫神(たぎつひめのかみ)、そして辺津宮の市杵島姫神(いちきしまのひめのかみ)の宗像三女神が産み落とされたとされている。
宗像三女神の別称である道主貴(みちぬしのむち)の「むち」は「貴い神」を表し、数多に存在する日本の神々の中でも天照大神の別称 大日孁貴(おおひるめむち)と大国主の別称 大己貴命(おおなむち)のみが「むち」と尊称されることより、いかに宗像三女神が人々に敬われてきた神様かということが分かる。事実、古代東アジアへの交流が盛んにおこなわれていたころには、国家の重大事として、大和朝廷より宗像大社へ勅使が送られるほど海上行路を守護する宗像三女神への祭祀が盛んに行われてきた。
また市杵島姫命については仏教の守護神と結びつき、弁財天や弁天様と同一視されるようになり、日本人にとっては七福神の1人としてとても馴染みのある神様である。
日本三大弁天
宝厳寺・竹生島神社(滋賀県 竹生島)
大願寺・厳島神社(広島県 厳島)
江島神社(神奈川県 江の島)
日本三大住吉(にほんさんだいすみよし)
住吉大社(すみよしたいしゃ) - 大阪府大阪市住吉区
全国にある住吉神社の頂点に立つ三社であり、総本社である大阪の住吉大社を筆頭に、伊邪那岐が禊を行い住吉三神を生んだ場所という伝承がある福岡市博多区の住吉神社、神功皇后が三韓征伐前に祀ったのが起源である下関市の住吉神社、そして神功皇后が朝鮮から帰国後に大神を鎮祭したのが大阪の住吉大社となる。大阪~下関~博多という日本三大住吉を結ぶルートは、古代の大陸との交易ルートとも言える。
大阪府大阪市住吉区 住吉大社
黄泉の国から逃げ帰る伊邪那岐が、その穢れた体を祓おうと海の中で禊を行った際に産み落とされたのが底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の三神であり、その三神が神功皇后に神懸り、新羅征伐を神託するほか、新羅から凱旋帰国する神功皇后にその三神を摂津国(現 大阪)に祀るよう神示したことが住吉大社の謂れとなる。神功皇后の孫にあたる第16代 仁徳天皇が住吉津(すみのえつ)を開港して以来、遣唐使たちは住吉大社にて航海の無事を祈願後、出航したことより航海の守護神としても崇敬が厚く、今も昔も変わらず、海上を守る神様としての尊崇が厚い。
山口県下関市一の宮 長門一宮 住吉神社
神功皇后の三韓平定後に祠を建てたのが始まりと伝わる神功皇后ゆかりの神社であり、大阪の住吉大社がその和魂を祀るのに対して、長門一宮 住吉神社は荒魂を祀る。
福岡県福岡市博多区 筑前國一之宮 住吉神社
日本第一住吉宮として日本で最も古い住吉三神を祀る神社であり、西門の近くにある天竜池では伊邪那岐が禊祓をしたという言い伝えがある。
記紀にある伊邪那岐の禊や神功皇后への神託、そして遣唐使船の加護より、住吉三神が海の守り神である以上に、穢れを洗い清めることで厄を祓い、すなわち自分についている邪気や穢れといった悪いものを排除することで無事に心願を成就させるという神道の王道を極めた神様と言える。
おまけ
初代天皇と欠史八代
第2代 綏靖天皇から第9代 開化天皇までの8代の天皇は後世の創作によるものとして、実在した可能性がとても低いとの見解が強く、その間の天皇を称して欠史八代と呼びます。欠史八代の記紀神話は初代 神武天皇と比較しても殆ど残っておらず、天皇諡名や配偶者名、宮がどこにあったか程度の情報がある一方、欠史八代の存在を認める説もあり、それは大和朝廷が創建されるよりも以前に存在した王朝や大王に対して正当な歴史をもたせるために、天皇の神話として取り込んだという説です。
また「神」という文字を持つ天皇は、神武・崇神・応神の3名であり、その内、神武と崇神が「はつくにしらすすめらみこと」という最初に国を治めた天皇との記載が記紀神話上にあるため同一人物ではないかという説がある一方、九州から東征をしてきた天皇と言えば神武と応神であり、その史実の共通点より同一人物視されています。ちなみに応神の母である神功皇后は唯一、后の中でも「神」の文字を持つ皇后として、史実の中でも革命家として、女傑として描かれています。
石笛・磐笛(いしぶえ・いわぶえ)
石笛とは、自然の力によって作り出された石に穴が開いているもので、穴に口をあてることで笛のように音が出せる自然石のことです。縄文時代にはこの石笛が祭祀のために使われていたと言われており、神様との交信には欠かせないものだったようです。石笛は自然石の穴を使うため、楽器のようなコントロールされた音域を出すことは難しく、むしろその自然な音色はトビやウグイスのような野鳥が奏でる魂に響くエネルギーが創出されてきます。
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神様とつながったとわかる瞬間・目印をご紹介しましたが、神様が私たち人間と共鳴されると、驚くほどの大きな音=ラップ音を返してくださいます。先日、宇佐神宮の外宮にて気持ちよく石笛を吹いていると、背中から「ゴーーーーーーー、ゴーーーーーーー、ゴーーーーーーー」という、まるで自動車が猛スピードで通り過ぎるような音が続いたため、お掃除の方が朝の清掃をされているのかなと振り返ると、辺りには誰もおらず、逆にしんと静まりかえっていました。
「あれ?気のせいかな」と思うと、その帰りの参道で蛇さんにも出会いました。
境内にて蛇を見かけた時には大物主の化身である可能性が高く、大物主は天照と同じく宮中から大神神社へ引っ越しされた神様です。大物主は大国主として商売繁盛の大黒様の異名を持つことや、蛇は蝶のように脱皮を繰り返すことより、更なる成長や新しい変化をあることを教えてくれています。ある時には、実家の氏神様である八幡さんで気持ちよく岩笛を吹いていると、黒いアゲハ蝶が一羽、目の前の社殿を右から順番に3つの神様の上をクルクルと往復しており、黒アゲハは神様や死者の魂の遣いと言われるほど特別で、何かを終わらせることで魂が進化している、そして新しい自分になりつつある、という変化を示唆するメッセージでした。私の石笛は知人より頂戴したものですが、なかなか音を出すコツがわからず一所懸命に練習をしていると、ウグイスの鳴き声が聞こえ始め、それでも練習を続けていると、二つ隣の家の前ではカラスがけんかをしているとご近所さんが騒いでおり、現代社会と縄文時代では周囲の環境も違うため、吹く時間帯や場所には気を付けようと思いました。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。