[函館八幡宮 + 善知鳥神社 + 伊勢堂岱遺跡] 永遠に未完成であるからこそ身魂磨き
信号待ちをしていると、見たこともない信号機を見かけました。
信号機に透明のカバーされており、雪が多いエリアは信号機が縦に並んでいますが、この場合はカバーもされていました。
調べていくと、吹雪のあるような土地では雪が信号機を覆ってしまうことがあるらしく、特に新型LED信号機は光っている間に信号照明から熱を発生させないため、信号についた雪が溶けず、信号色がかぶさった雪で見えにくくなるそうです。
風の時代に入って以降、立て続けに様々な変化が起こっており、その変化にも、そろそろ心身が慣れてきたかなと思いますが、実は私たちの祖先や過去世は変化を好む人々であったことを思い出してください。
逆さ葵の如く、徳川一門が永続的に発展するようにと、敢えて瓦を逆さまに置いてみたり、伊勢堂岱遺跡のように永遠に未完成なままの環状列石があったりと、ものの姿や本質は常に流動的に変化するものであり、またその存在自体が永遠に同じものとして保持することができないことを私たち人間は諸行無常にも知っているはずです。
新しく変化しつづける信号機を見ながら、AがダメならB、BがダメならCと、CもいいけどD、Dよりさらに良いのがEと、常に進化しつづけていくエネルギーこそが風の時代の醍醐味であり、その大いなる変化のエネルギーを吸収しながら、永遠に未完成でありつづける身魂に更なる磨きをかけていきたいと思います。
函館八幡宮(はこだてはちまんぐう) ー 北海道函館市
函館山中腹のにあるエゾダテ山を背にした社殿は聖帝八棟造り(しょうていはちまんづくり)と言って聖帝造に八棟造という本殿と拝殿を中殿で連結させた大正式八幡造の代表作である。
1445年、津軽の豪族 河野政通(こうのまさみち)がアイヌ語で湾の端を意味するウスケシ(宇須岸)と呼ばれていた漁村に館を築き、その館が箱に似ているところから「箱館」と呼ばれるようになり、その後、館内に八幡神を祀ったことが起源とされる。
八幡神である品陀和気命(ほんだわけのみこと)、別称 第15代 応神天皇、をはじめ、航海神の住吉大神(すみよしのおおかみ)および、海神 金刀比羅大神(ことひらのおおかみ)を御祭神に祀る。
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函館八幡へ行こうと道しるべ通りに坂を登り始めると、どうも分岐を間違ったようで、マンションの駐車場へ出てしまいました。再度分岐点へ戻ってはみるものの、矢印通りが指す方向には先ほどのマンションがあり、別の道へ行こうかと迷っていると、黄色の蝶々がふらっとやってきて、全く異なるの道へと飛んでいくため、思い切ってその方向へ行くと、駐車場が見えてきました。すでに時は16時近くと社務所の閉館時間も迫っており、「神様が参拝するのを待ってくださっている」と信じて、焦る心を落ち着かせて参拝しました。
函館八幡さんにはとてもユニークなエネルギーが流れており、社殿をはじめ、小祠から始まった氏神信仰というよりかはむしろ、この土地を守りたい人々が意識して御祭神の一柱一柱を勧請されており、また勧請された神々も各々の神力をもって、この土地をしっかりと守っていらっしゃるようです。
鶴若稲荷神社の奉納物もユニークで、宇迦之御魂神にまつわる物を奉納したというよりかはむしろ、様々な人々が神様へ畏敬の念を込めて奉納した物を収めておられるような感じで、社殿へ入った途端、「よくお越しで」と、奉納されている各々の物から歓迎の言葉をかけられました。
一つひとつの奉納物に見入ってしまい、そろそろ時間かと後ろを振り返るや否や、何かにぶつかったようで、「うぁっ」と悲鳴を上げると、それは神前に吊り下げてある本坪鈴(ほんつぼすず)でした。
「こっちもびっくり!」と私の悲鳴に驚いた本坪鈴さんからの反応に、思わず「スイマセン」と言葉が口から出ました。奉納物さんも笑っているように感じられ「また来ます」とお稲荷さんに会釈をして、その場を後にしました。
善知鳥神社(うとうじんじゃ) ー 青森県青森市安方
第19代 允恭天皇の御代、善知鳥中納言安方が流罪となった外ヶ浜の干潟にて、小さな祠を建てて海の女神 宗像三女神を祀ったことが起源とされ、その後、坂上田村麻呂が東北遠征に再建したとされる。
一説に安方が亡くなると、一対の鳥が小祠のほとりに飛んできて雄はウトウと鳴き、雌はヤスカタと鳴くため、人々はこの鳥を善知鳥中納言安方の化身として大事に見守ってきたが、ある日猟師がこの雄鳥を誤って殺してしまったため、雄鳥の祟りを恐れた人々は雄鳥を丁重に弔った場所に今の社殿があるとされる。
善知鳥(うとう)とは、ウトーと言われるアイヌ語の突起が語源とされ、くちばしの付け根にある突起に特徴のある海鳥である。
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二の鳥居から拝殿、そして本殿へと続く参道では、二の鳥居で「お邪魔します」とご挨拶いただき、拝殿では青森発祥の地へお招きいただいたことへ感謝の意をお伝えください。何か新しい物事へチャレンジをされる方は、神様へそのチャレンジの内容をお話いただき、適材適所にてサポート・アドバイスをくださいとお伝えください。御祭神である宗像三女神は航海の神様として羅針盤となり、進むべき方向を示してくださり、その祖神である天照大神は女神が示す方向へ光をあてて道を開いてくださいます。そして善知鳥は道先案内として、私たちが道に迷わないように常に上から俯瞰して見守ってくださるそうです。
善知鳥の神々は願いを叶えてくださるというよりかはむしろ、その願いを叶えるために手を差しのべて、支援をしてくださる神様です。新しいことを始める、或いは始めたけれども方向性があっているか不安といった気持ちをお持ちの方は是非、善知鳥の神々へ相談してみてください。進むべき道を示してくださると思います。
境内を散歩していると、善知鳥らしきユニークな造形物が気になり、近づいてみると「変幻燈」という聞きなれない題名に「鳥は善知鳥、悪知鳥と変幻し世界を視る。 亀は大空を飛び大地を支え 千万の季節を歩む。 2つともこの世にあって人の幸せを願ひ 伝説の中に生きるものなり。」という詩がありました。
変幻燈(灯)とは、絵画やポスターといった静止画像や模型などの立体物に対して、プロジェクターを使って光のパターンを投影すると、目の錯覚によりその静止画や立体物があたかも動画のように動いて見える光投影技術だそうです。
像を見ていると、「見る角度により物の見え方は異なり、またその物を見る人により異なる印象や心象を持つため、物事は常に一つ以上の異なる考えや見方がある」と言われている気がしました。
自分の考えを持つことは大切ですが、自分の正義感で全ての物事を図ることが正しいとは言えず、但し、千差万別に幸せを感じても、幸せと感じる気持ちは万国共通なんだろうなと思いました。
朝から降っていた雨が参拝している間は止んでおり、神社を後にするや否や再び雨が降り始めたため、傘なしで廣前参拝できたことに感謝しました。
伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき) ー 秋田県北秋田市脇神字伊勢堂岱
国内では唯一、4つの環状列石が発見された縄文時代後期の遺跡として、4000個以上の石が.米代川や小猿部川から運ばれてきたとされる。
4つの環状列石は個別の村として形成されたとされ、配石遺構や掘立柱建物跡をはじめ、死者を埋葬した土坑墓等、多くの祭祀道具や土偶が出土している。
10世代以上、200年ほどかけて作られたストーンサークルは、縄文思想である自然には終わりがないという円を具現化したものとして、その周辺の遺跡からは多くの土偶が破片状態として発見されており、完全に復元できたのは板状土偶のみである。
発見された土偶の中には、わざと体の一部を壊されている土偶もあり、怪我や病気といった体についた穢れを土偶へ転写して祓う儀式として作られたともいわれている。
伊勢堂岱遺跡の環状列石は未完成の状態として、敢えて完成させなかったと言われており、完成は終わりを意味するためではないかとされている。
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ハワイのヘイアウに似たエネルギーがストーンサークルへ入る道で感じられ、このエリアに人々が集まる時には、協同で願い、歌い、祈る場所だったようです。
白神山地を目前に、川に囲まれた遺跡から見える大空は、今も昔も変わらず、朝には太陽が昇り、夕には沈み、そして満ち欠けする月があり、今私がその同じ光景を見ているのかなと思うと、この地を訪れることができたご縁に感謝しました。
環状列石が未完成という点では久能山東照宮の逆さ葵を思い出いしました。更なる発展への願いを込めて、敢えて一つの瓦だけを逆さに設置することで、永遠に未完成の状態を作りだすという考え方で、すでに縄文後期よりその思想を私たちの祖先が持っていたことに感動するとともに、私が人生を終える時には、「あれ、もうこれで終わり?!」と、後にも先にも未練がない状態で昇天したいと思いました。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。