[地鎮山環状列石 + キトラ古墳 + 鬼神社] 結界のお役目
邪気や穢れが入らないようにと、日本の近海を含め、国土全体には結界が張られ、要石が置かれています。
邪気を防ぎ、神聖な場を作るための結界は、聖域として、一歩足を踏み入れると、体が軽くなったり、目の前が急に明るく感じたり、心が高揚したりと、神域の結界であれば神様の元へ向かって、前へ前へと引っ張られるような感覚を感じます。他方、神域で身体が重くなったり、身心に悪寒が走るような場所では、何かしらの理由により結界が外れてしまい、神様ではない別の主がいらっしゃる可能性があります。無理をしてその土地に入ろうとせず、外からご挨拶をして、その場を後にされてください。また御神体である鏡が曇っている場合は、神様がその場に居らっしゃらないため、その土地に導いていただいたことに感謝をして、その場を後にされると良いです。
他にも、境内を歩いていると、地面から一部だけ顔を出している石や、石の上にあったものが今はなく、その置石だけ置いてあるといった石を見かけると思いますが、実はそういった石は結界として敢えて置かれている・埋められています。神域の目印である神籬や紙垂がない石を見つけられた場合もその土地に導いていただいたことに感謝をしてご参拝されてください。
きっと私たちが困っている時には、必要なタイミングで、必要な手助けをしてくださると思います。
地鎮山環状列石(じちんゃまかんじょうれっせき) ー 北海道小樽市忍路
縄文時代後期ごろ、標高50mの地鎮山山頂に造られた高さ1mほどの立石を12個、楕円形に並べた環状列石である。
周辺には忍路環状列石や西崎山環状列石をはじめ、余市町八幡山環状列石や仁木町モンガクB遺跡といった同時期に築造された複数の環状列石が発見されている。
環状列石の中央付近には石が敷き詰められており、その下から縦横2m、深さ1mの土坑墓と思われる穴が見つかり、穴が1つしか見つからなかったことより個人の墓と考えられる。
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地鎮山環状列石への道を歩み始めると、2匹の蝶々さんがやってきて、ヒラヒラ、くるくるとダンスするかのように飛び、私の2歩前辺りを付かず離れずで進むため、そのまま、その後ろをついて行くことにしました。
地鎮山環状列石へ続く入口の階段で、蝶々さんたちは階段を上がることなく、ヒラヒラと入口付近を飛んでいるため、入口まで案内してもらったことに感謝をして、階段が導く方向へと進みました。
頂上の到着すると、こじんまりとした環状列石があり、少し違和感を感じました。
耳を澄ましていると、この地に被葬者を埋葬した方々から「被葬者の魂を元の状態に戻してほしい、四方のセメントを外して、墳墓に戻してほしい」というメッセージが湧いてきました。
発掘後、墓坑が崩れないようにとコンクリートで四方を固めたそうですが、今の状態ではお墓がサーカスのような見世物となっており、埋葬をした人々のやりきれない気持ちがこのエリアに漂っていました。
可能であれば、土坑墓のセメントを取り外し、土の神の元へ被葬者の魂を帰してもらえると、埋葬に携わった方々も安心されると思います。
キトラ古墳 ー 奈良県高市郡明日香村
高松塚古墳に次ぐ2基目の壁画古墳として国の特別史跡に指定されており、古墳時代前期の巨大な前方後円墳から小型の古墳へ形が変わっていった古墳時代後期の円墳である。
古墳は盗掘されていたが、その盗掘坑から流れ込んだ土砂の中に漆塗木棺の断片や棺金具、金銅製品や玉類、刀装具、人骨等が発見され、その副葬品より皇族ないし身分の高い人物の古墳と推測される。被葬者の候補として、壬申の乱で活躍した天武天皇の皇子 高市皇子(たけちのみこ)や高官であった百済王昌成(くだらのこにきししょうじょう)、或いは当時、このエリアの右大臣であった阿部御主人(あべのみうし)が有力視されている。
キトラという名称の由来として、昔から住民がこのエリアをキトラと呼んでいた説や、古墳が明日香村阿部山集落の北西にあるため四神の玄武(北:亀)と白虎(西:虎) からキトラ(亀虎)と呼ばれていたという説等、所説様々ある。
キトラ古墳の石室内には、太陽と月が描かれている天文図をはじめ、四神や獣頭人身十二支像といった色鮮やかな壁画が残っており、特に四神は東壁に青龍、南壁に朱雀、西壁に白虎、北壁に玄武がその方角を指して描かれている。高松塚古墳にも同様の壁画があるが、盗掘により南壁の朱雀が失われていたため、四神が全て揃うのはキトラ古墳壁画のみとなる。
四神の下には獣頭人身十二支があり、方位に合わせて各壁に3体の干支が描かれ、北壁の子からはじまり、四面に描写されている。特に保存状態の良い虎をはじめ、子、丑、寅(虎)、午、戌、亥の6体が現存する。
天井には古代の中国天文学をベースとした東に金箔で太陽と西に銀箔で月が配置されたキトラ天文図が描かれており、天の赤道、太陽の通り道となる黄道、常に観測できる天空の範囲を示す円と観測可能な天空を示す円の4つの円が北極星を中心に描かれている。星座には北斗七星や北極星、オリオン座が描かれている。
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キトラ天文図を見ながら、幼少期に訪れていた宇宙科学館を思い出しました。宇宙科学館には巨大な望遠鏡をはじめ、月面車や宇宙服等、宇宙に関する展示物や乗ったり、触ったりできる体験コーナーがあり、その中でも特に、同じ重さの石が、惑星により異なる大きさになることに対してとても興味をもっていたことを、今でも鮮明に覚えています。同時にどうやってこの石たちが地球にやってきたのかが不思議で、また石の重さがなつかしいような、愛着心のような気持ちもあり、毎年、この石たちに触れるために宇宙科学館へ足を運んでいました。そのためか、いつか宇宙に行きたいと考えるようになり、幼いころの夢は宇宙飛行士になることでした。
成人してからも宇宙への夢が途絶えることはありませんでしたが、宇宙飛行士になるためには虫歯があるとなれないと知り、宇宙飛行士になる夢は諦めましたが、ある日、職場の上司から「話す言葉が宇宙人」と言われ、最近では「私は宇宙人なんで・・・」と口から言葉も出るようにもなり、ふと気が付くとアナグラムと同様に、ハイヤーセルフが言霊を通して、「私は地球に転生してきたスターシード」と、私に伝えてくれていることに気が付きました。毎年、飽きずに宇宙科学館を訪れていたのは、宇宙へのHome Leave=帰星していたのか、と今になり腑に落ちました。
鬼神社 ー 青森県弘前市鬼沢
その昔、神社周辺の土地には農作物が実らず、村人たちが困っていたところ、岩木山から降りた鬼と仲良くなった村人の一人 弥十郎が村の事情を鬼に相談すると、鬼は一晩にして荒地へ用水地を引いて作物が育つように助けてくれたため、村人はその鬼の貢献に感謝をして鬼神社を建立且つ、村の名前も鬼沢としたと言われている。
鬼は弥十郎に鬼のことを誰にも言わないようにと、約束をしていたが、弥十郎の妻が鬼を一目見ようとしたため、約束を破られた鬼は水路を作るために使った鍬とミノ笠をその場に置いて立ち去ってしまい、2度と姿を見せなくなった。その置き去りにされた鍬とミノ笠は御神体として鬼神社に祀られている。
節分になると全国の鬼が鬼沢の鬼神社に集まるため、豆まきはしないが「福は内、鬼も内」と掛け声をかける。また門松を立てたり、端午の節句に菖蒲を飾ったりする風習もない。
御祭神には高照姫神、伊弉那岐大神、そして大山祇神を祀り、摂社には春日神社が祀られていることより、大和朝廷や出雲国との関係性の強さが垣間見られ、社伝によると、坂上田村麻呂が蝦夷征討にて東北を訪れた際、岩木山頂の奥宮に鎮座する顕国魂の女 高照比売の霊験を受けたとして、その御霊を鬼神社へ祀り、併せて子孫繁栄や五穀豊穣、国家安泰の神々も祀ったとされる。
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第一の鳥居から先はかなり強く結界がはられているため、境内へ入ると背中がゾクゾクとするかもしれません。拝殿までの道のりで心身の穢れが祓われていきますので、参道の道通りに前に進むと良いです。
拝殿への直線参道では様々な眷属さんが右から左から、手前から奥からと、次々に「こんにちは」と、声をかけてくださいます。少し驚くかもしれませんが、これだけたくさんの眷属さんに出迎えてもらうことも稀なため、面白い経験かなと思います。またこれだけの眷属さんと一緒にいらっしゃる鬼沢のおにがみさまは本当に、心が優しい鬼さんなんだなと思いました。
たくさんの眷属さんより、こっちもあっちもと、声をかけていただけるため、境内を三周してしまいましたが、外にいらっしゃる弁財天さんからも声をかけていただきました。弁財天と聞くと財運や金運を想像しがちですが、本来は困っている人々を助けてくださる天女であり、水の神様です。
荒地であった鬼沢に水の潤いを与えてくださったのがおにがみさまですが、未だにその水の恵みが続いているのは、弁財天のおかげかなと思います。
この地を潤す大切な女神さまですので是非、ご挨拶していただけると幸いです
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。
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