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[熊野三所大神 ニシキトベ+神倉神社 ゴトビキ岩+伏見稲荷大社+奥日光 戦場ヶ原千手ヶ浜+御岩神社 磐座] 縄文人と宇宙との交信、そして今私たちが体現する地球と宇宙とのエネルギー融合
天照大神の勅願により日本を興国したとされる初代天皇 神武天皇ですが、実は渡来人とされる第10代 崇神天皇と同一人物であり、日本を建国したのは崇神天皇ではないかという説があります。もともと日本に住んでいた先住民と朝鮮半島を経由して渡ってきた渡来人が、時には争いながらも融合・共存してきた結果、村と村を統合させ、大和という朝廷を築き、今の日本国という統一国家となったと記紀神話は綴ります。
神武建国の条では、神武軍が大和の豪族であった長髄彦(ながすねひこ)に戦いを挑みますが、その戦いは苦戦を強いられ、2度目の戦いの折には、西の大阪からではなく、太陽神である天照大神を援護にもらい日が昇る東の和歌山県熊野から大和を目指していきますが、今度は先住民である女酋長 丹敷戸湖(にしきとべ)が神武群を迎え撃ってきます。神武東征ではこういった先住民族が幾多の場面にて登場しますが多くを語られることがありません。今月号ではそういった歴史にうずもれてしまった土着の人々にゆかりのある土地や寺社をご紹介したいと思います。
ニシキトベ - 和歌山県東牟婁郡串本町二色
ニシキトベとは、神武天皇東征の条に登場する丹敷戸畔という女性で、戸畔とは女酋長を表しており、縄文時代に存在した丹敷という土地にいた女酋長とされている。ニシキトベは毒ガスを吐いたとの記載もあり、神武一行が大阪での戦いで敗れはしたものの建国の意思は固く、その進入路を西からではなく、太陽神である天照大神のエネルギーを背負った東から入ろうと、その航路を熊野に変更をしたが、上陸の際、ニシキトベの毒ガスで気を失ったとされる。ちなみに丹敷戸畔の「丹」は辰砂や硫化水銀とされ、また熊野には鉱山が多いことより、神武は鉱毒ガスにやられたと考えられている。その後、目を覚ました神武に布都御魂(ふつのみたま)という剣が手渡され、その剣をもって神武はニシキトベの体をばらばらに殺してしまう。
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熊野三所大神社 摂社にはニシキトベを地主神として祀っており、記紀神話には毒ガスをはく恐ろしい人物のように描かれている一方、その末裔である串本の人々はその存在と功績を大切な誇りとして今なお語り継いでいる。
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カーナビではピンポイントにニシキトベの墓を設定できずに始まった旅でしたが、ある道をカーブしたところでブルーに輝く弘法大師像が突然に目の前に入ってきたため、慌てて車を停めました。
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「まさかこんな場所でお大師様に出会えるとは・・・」と不思議なご縁に興奮と感謝しつつ、「是非、ニシキトベの墓参りをさせてください!」とお願いをしたところ、「後ろを振り返ってみて」と心に言葉が浮かんできたかと思い、振り返ってみると、トルコのお守りの目がありました。
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悪い視線を跳ね返すと伝わるトルコでは一般的なお守りとして身につけたり玄関先に飾る
カーブのためか、気が付かず通り過ぎていたこの目は、ニシキトベの墓への目印としてネットにコメントがあり、反対車線にあるトルコのお守りの近くまで行こうと道を歩き始めた瞬間、再び、「後ろを振り返ってみて」と聞こえた気がしたため、振り返ってみたところ戸畔の森の標識が真横にありました。
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一つひとつの階段を踏みしめながら登りつめたところで、ひらりと黒アゲハが姿を現したかと思うと、そこから先の道を案内するかのように、ひらひらと目前を飛んで進んでいきました。その後をついていくと、目の前には、森の木々に囲まれ、少し恥ずかしそうに、静かに佇むニシキトベのお墓がありました。
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なんとか辿り着いたと安堵しながら祝詞を奏上していると、いつの間にかそよそよと風も吹き始め、頭上ではゴウゴウと飛行機のような轟音も鳴り響き、お大師様と熊野の神様たちに導かれてここまで辿り着けたと感謝しつつ、また熊野の人々が本当にニシキトベを大切に伝承してきたんだなとあたたかいエネルギーを体いっぱいに受けながら、帰宅の途につきました。
神倉神社(かみくらじんじゃ、かんのくらじんじゃ) - 和歌山県新宮市
熊野三山に祀られる熊野権現が初めて地上に降臨した伝承をもつ古社として、天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にある神倉神社は、熊野古道の一部であるおよそ538段の急勾配の石段を登ったところにご神体のゴトビキ岩がある。
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ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言であり、ヒキガエルの様相をもつ巨岩をご神体として、神倉神社の起源は磐座信仰から発したとものと考えられている。また社殿眼下には新宮市街地が広がり、県下有数の展望スポットとしても知られている。
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毎年2月6日に開催される御燈祭り(おとうまつり)は、和歌山県指定無形民俗文化財に指定された1400年以上続く伝統行事であり、上り子(あがりこ)と呼ばれる白装束に身を包んだ約2000人の男たちが御神火を移した松明を手に持ち、山上社殿から一斉に山の下へ一気に駆け下るという火祭りである。
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女人禁制の祭りとして、その準備段階から女性は上がり子に触れることも許されておらず、当日は参道からその男たちを見守る。神々に代わって人を浄化すると言われるこの御神火は、その煙にいぶされることで上がり子たちの諸々罪穢れを祓うとされており、また山を下るとそのまま、その御神火を自宅へ持ち帰り、家族を浄化する。
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まさか約500段の石段を登るとは想定しておらず、普段の服装とサンダルで始まった石段でしたが、その途中、飲み水も持っておらず、苦しいと思っていると手水舎が目前に現れ、身を浄めるための手水で口をすすぐことで体の潤いになりました。やっとの思いで山の上まで辿り着くと、80代ぐらいのおじさんが熱心に古事記・日本書紀に記述されている社殿の謂れを参拝者へ語っていたため、邪魔をしないように写真を撮っていると、私の姿を撮ってあげるとのご厚意があり、数枚を撮ってもらうことにしました。あまりにも熱心に神話を語られていたため、ふと、「ニシキトベさんを知っておられますか。」と問いかけてみると、「もちろん、わしは串本の部落出身で、ニシキトベさんの末裔や」と間髪入れずの返答でした。このおじさんは、毎日10時から11時の間、このゴトビキ岩に登ってこられるそうですが、私にとっては偶然にニシキトベの末裔である方に出会うことができ、また詳しくニシキトベの話を聞けたため、神様が引き寄せの法則をはたらかせてくれたのかなと、この一期一会の出会いに感謝しました。
おまけ
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ) - 京都市伏見区
「お稲荷さん」として親しまれる伏見稲荷大社は稲荷信仰の総本宮として、五穀豊穣や商売繁昌の神様である宇迦之御魂大神を祀り、その原点となる稲荷山は稲荷神の降臨地として古くは平安期よりその霊力にあやかろうと多くの参詣者が後を絶たない。その山上には、「一ノ峰」「二ノ峰」「三ノ峰」と三つの頂があり、その山道にはおびただしい数のお塚と呼ばれる石碑と数千もの朱の鳥居が建ち並ぶ。
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眷属である狐が狛犬として、向かって右側の狐が玉を、左側には鍵をくわえている
千本鳥居と言われる朱塗りの鳥居は、願いごとが「通るように」または「通った」というお礼をこめて奉納されたのが始まりとされ、江戸時代から今なお、その鳥居の数は増え続けている。また「いなり」という名前は、稲が成るを語源にもち、稲作の不作が続いていた時期に伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が稲荷山に稲荷大神を祀ったところ、五穀豊穣に恵まれ、国が栄えたとの言い伝えが伏見稲荷の起源となる。
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大雨になるだろうという天候の中、友人に誘われて初めて伏見山を登ることになりました。お山めぐりと言われるほどその境内は広く、片道約1時間の山登りコースです。
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本殿から伏見山へ続く道には、「おもかる石」という一対の石灯篭の頭にあるおもかる石を持ち上げてみて、軽いと感じれば願いごとが叶い、重いと感じれば願いが成就しないという試し石があったため、心願について尋ねてみることにしました。二礼二拍手一礼の後に石を持ち上げてみると、軽いという気持ちがあったためか、その重さはずっしりときました。心願が叶うには努力が必要そうかなと思いながら登り始めた伏見山でしたが、その下山途中、「今一度、おもかる石を試してみたら」という言葉が心に浮かんできたため、再チャレンジをしてみたところ、今回は意外に軽く感じられ、「自分を信じる力をもつこと」で、重い軽いが思い叶いになるのかと、この神託をやりはじめた先人たちのダジャレにほんわかとした緩みを感じ、癒されました。
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鬱蒼とした森の中を登っていくと、その参道には多くの磐座も見られます。その磐座からのエネルギーを吸収するかのように木の根っこが石に絡まりついている様相をみながら、イギリスの巨石遺跡ストーンヘンジを思い出しました。古の時代より日本では自然崇拝(アニミズム)という精霊崇拝があり、その代表的な例に神様が宿る磐座があります。神様が依りつくと言われる磐座はその周囲を玉垣と注連縄で囲うことで神聖さを保ち、また古神道ではその神聖な場所を神籬(ひもろぎ)として、古代祭祀の中心的な役割を果たしてきました。
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更に時代を遡り縄文時代においての磐座は宇宙と地球を結ぶアンテナとしての役割を持っていたとされ、宇宙からのエネルギーを磐座で吸収していたとも言われています。それを証明するかのように、深い森の中では、大きな石に木の根っこが絡まりつくように成長していく様を見かけることがあると思いますが、これは石が受けた宇宙からのエネルギーを養分に木が成長しているためと言われています。世界の七不思議とされるストーンヘンジも同様に、あの巨石たちがアンテナの役割をもっていたとされ、宇宙からのエネルギーを吸収しやすいように古代人があの円陣を成型したとの一説があります。
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この日は四ツ辻を左まわりに山頂を目指すことになり、一ノ峰では心地よく祝詞を奏上していると、ふと左の頭に丸い光が入ったイメージがありました。その光球を左頭に入れたまま、二ノ峰へ下山していくと、「一ノ峰の光球を置いていって」と言われたため、「三ノ峰もありますので半分をおいていきます」と、二ノ峰と三ノ峰では半分ずつの光球を置いていくことになりました。下山するにつれ、雨足が強く道が川のような状態となり、ある意味、日ごろの穢れを浄化してもらい、ずぶ濡れになりましたがとても気持ちのよいお山参りとなりました。その後、様々な土地にいらっしゃるお稲荷さんへ立ち寄りますが、お山まいり以来、宇迦之御魂神様とのご縁が更に強く、太くなったようです。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。