[東叶神社・西叶神社+森戸神社+泉涌寺+気比神宮] その土地に宿る神々のエネルギー
八百万の神々と言われるほど、日本では様々な物に神が宿り、また様々な土地に神々が存在すると考えます。例えば、新しい土地へ転居すればまず、その土地の氏神様へご挨拶へ行ったり、新しいプロジェクトや新規事業を立ち上げる際には成功裏へ導いてくださる神様を選び、祈願祈祷を行ってもらう等、何かしらのきっかけを好機に、神様と対面することが日本古来からの風習です。
古代祭祀はその前身として、高天原に存在する神様を私たち人間が生活する地上へ降臨してもらうための儀式を執り行い、その降臨する物や土地を神奈備や神籬、磐座として祀りました。これらの神奈備や神籬、磐座といった古代祭祀場が後に神社の本殿や拝殿といった常に神様と対峙できる常設地となりました。
また、天照や大物主のように神様自身が安住の土地を見つけるために移動したり、或いは、人間が新しい土地へ移動するタイミングで、以前に住んでいた産土神を分け御霊として勧請させたりと、日本の神様は神様自身で移動を申し出ることもありますが、人間が神様を移動させたりもします。その分霊の大本は総本宮や総本社と呼ばれ、全国津々浦々にある分霊の親元となります。
移動した分け御霊はよそ者かというとそうではなく、むしろその土地にご縁があり勧請されているため、その土地では氏神様として祀られていることが多く、また地元の人々にもこよなく愛されています。そういった神社をご紹介したいと思います。
東叶神社・西叶神社(ひがしかのうじんじゃ・にしかのうじんじゃ) ー 神奈川県横須賀市西浦賀
浦賀港を挟んで向かい合う東と西の叶神社は、西を叶神社と呼び、東を東岸の叶神社と呼ぶ。その昔、浦賀が東と西の2つの村に分かれたためとされているがその名の由来には諸説ある。
それぞれの神社が対岸に位置するため、徒歩で30分かかるところが、渡し船を利用すると3分で到着する。
東叶神社
東叶神社は西叶神社より勧請された八幡神である誉田別尊(第15代 応神天皇)を祀り、裏山の明神山には奥の院が鎮座する。
奥の院には勝海舟が咸臨丸で太平洋横断する前に断食修行をしたとされる石碑がある。
西叶神社
源氏の氏神である石清水八幡宮の八幡神を祀る西叶神社は、その昔、平家の横暴ぶりに憤りを感じた文覚上人が、源頼朝による源氏再興の願掛けを八幡神に行い、その大願が成就したことにより建立されたとされ、叶大明神とも呼ばれている。
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鬱蒼とした林の中を歩きながら、「奥社へ行くのをやめとこうかな・・・」と、後ずさりする気持ちが大きく、奥の宮では祝詞を奏上して早々に下山しました。
頂上には祠や慰霊塔があり、人々がお参りをしている形跡がありましたが、やはり私にはその空気感がどんよりと重いものでした。
こんな時は、祓祝詞を奏上してその場の空気を浄化して、場合により慰霊鎮魂を唱えます。
私たち一人ひとりの魂は過去世からの思い出やカルマを覚えており、その魂が過去にご縁のあった場所へ導くことがあります。一般的にはデジャブと呼ばれていますが、それはその過去の記憶と現世がシンクロする時に起こります。
また過去の記憶は良い思い出だけではなく、思い出したくない記憶、または過去世を浄化するために思い出す記憶があり、特に浄化を求めている魂が強ければ強いほど、その場所の情報が常に目の前、耳に聴こえるようになり、気が付くとその場所へ赴いています。
ある場所へ訪れた際、気持ち的に冴えないや、背中がぞぉっと寒いといった悪寒のような状態があれば無理をせず、その場を去ることです。他方、ご縁があってその土地を訪れているため、訪れることが出来たことへの感謝の気持ちと、そしてその場の空気と自分自身の魂を浄化させるために祓祝詞を奏上されると良いです。
森戸神社/森戸大明神(もりとだいみょうじん) ー 神奈川県葉山町
ご祭神には山の神である大山祗命(おおやまつみのみこと)と宣託の神で知られる事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀られており、伊豆に流されていた源頼朝が源氏の復興を祈願した三嶋大社より分け御霊を賜り、森戸へ勧請したと言われている。
古来、朝廷による祓の一つに七瀬祓があり、災難がある度に神聖な河海を霊所として加持祈祷が行われた。その七霊場には、由比ヶ濱、金洗澤池、固瀬川、六浦、柚川、杜戸(森戸)、江の島龍穴がある。
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森戸神社は私が自らの意思で赴く神様というよりかはむしろ、人との会話の中で逗子や葉山の話題が持ち上がり、森戸神社を思いだすご縁です。今回も、知人と会話の中で森戸海岸の近くに住んでいるという会話から、森戸神社を訪れるきっかけとなりました。
森戸神社のご祭神は事代主神であり、事代主神と言えば言霊の力により物事を実行していく神様です。そして森戸の瀬は厄難や災いを祓い除ける七祓の霊場でもあることより、私が森戸を訪れるのは偶然ではなく、必然として導かれているようです。
すなわち心願を成就させたいタイミングで森戸神社を訪れるようです。
森戸の事代主様には自分の強い願い、または意思を告げ、そして森戸の瀬にて身を清め、穢れを取り、成すところの願いを成就させる儀式を行います。
その昔、源頼朝が源氏の再興を祈願して森戸大明神を訪れたように、心願成就を願う方は森戸の事代主様にその願いを伝え、そして願いを妨害するような災いや穢れを祓い清める場所として森戸海岸にて身の穢れを取り、「身清く心に潔き事あり」と言挙をしてください。
泉涌寺(せんにゅうじ) ー 京都府京都市東山区泉涌寺
仁和寺や大覚寺と共に、皇室の菩提寺として御寺(みてら)と呼ばれており、開創者を弘法大師 空海とする真言宗泉涌寺派の総本山である。創建当初は仙遊寺と称していたが、境内から泉が涌き出たことにちなんで泉涌寺に改名された。
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泉涌寺には第38代 天智天皇以降の天皇が祀られている一方、天武系統の持統、元明、元正、文武、聖武、孝謙(重祚して称徳)、淳仁天皇は祀られていないという話を耳にして、訪れてみたくなりました。
第40代 天武天皇と言えば壬申の乱をおこした策士であり、また遁甲といった忍術を心得ていた人物と言われており、歴代の天皇とは異質であったと言えます。
天武の御代に始まった改革には、律令制度や姓の制定をはじめ、日本史の編纂、そして斎王という天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神にお仕えする制度を設ける等、日本の礎を築いた偉人と言っても過言ではありません。
月輪陵を参拝した後、行き止まりのような道から呼ばれる気がして近づいてみると、その横には細い道が続いており後月輪東山陵へと導かれました。第120代 孝明天皇は江戸幕府最後の天皇として怒涛の時代を過ごされた方として、その最期は病気であったとか、毒殺された等々、様々な憶測がありますが、孝明天皇が眠る後月輪東山陵にはとても穏やかな空気が漂っており、その魂はすでに慰霊鎮魂されているようでした。
戦国時代を経て京都は様々にその影や像を変えてきましたが、泉涌寺は平安の字が示すごとく、赴きや侘び寂びのエネルギーが今も昔も変わることなく流れています。ある意味、天武はこういった静穏なエネルギーが漂う場所ではなく、むしろ時代を大きく変容させた推古・蘇我が息づく飛鳥にその御霊の居場所がある気がします。
歴史と時空が大きく交差する風の時代、何が真実で、何が正義で、そして何が偽りかを見極める心眼が求められます。風の神様はそういった偽りに隠れてしまった・隠されてしまった真実をあばくための風を起こす手助けをしてくれます。天武がなぜ龍田の風を愛していたのか、また天照も伊勢の風を好んで転居したのか、その理由が見えてきた気がします。
気比神宮(けひじんぐう) ー 福井県敦賀市曙町
越前國一之宮 氣比神宮には伊奢沙別命(いざさわけのみこと)をはじめ、日本武尊とその子となる仲哀天皇とその妻 神功皇后、そしてその子となる応神天皇、また家臣であったとされる武内宿禰命と、神武天皇の父となるウガヤフキアエズの妻 玉姫命の7柱の神々が祀られている。
木造の大鳥居は厳島神社(広島県)と春日大社(奈良県)と並ぶ日本三大木造鳥居として知られており、昔より北陸道総鎮守の「けいさん」と呼ばれ、親しまれている。
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気比の神々へご挨拶をした後、駐車場へ向かう道で目の前にある木々になぜか、気が引き寄せられました。
それは土公(どこう)という氣比のご祭神である伊奢沙別命降臨された神籬でした。
土公とは土公神(どくじん)という土の神様であり、春は竈(かまど)、夏は門、秋は井戸、そして冬は庭というように四季に応じてそれぞれの地中に存在する土の神様として、その季節に土公神が宿る土を掘り起こしたり、土公神の遊行の方角に向かって土木工事を行うことと、必ず祟りがあると忌み嫌われていたようです。気比大神が宿る土公も同じように、「触るべからず、畏み尊ぶべし」と、神籬として祀ることでその土地を守っているようです。
気比の土公は、見過ごせないほどの存在力とエネルギーが漂っており、天からのエネルギーを地中の奥深くに、吸い込んでいくようなとても力強い吸引力です。
最近、エネルギーが少し不足気味かなと感じておられる方は是非、この土公を訪れてください。小学校の中に土公が存在するため、近くへ行くことが出来ないかもしれませんが、その見ている位置からでも、足裏から感じる土神様のエネルギーを分けていただくことが出来ます。
更に祓祝詞を奏上しながら、身体に蓄積された不要物を祓い除けるイメージを持ち、そして新しい気が身体中に充満していくように深呼吸を繰り返し行ってください。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。
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