[小網神社+愛宕神社+猿田神社] 気枯れを祓賜ひ、穢れを清めて賜ひ、幸願う
四国八十八のお遍路では99回以上の巡礼をされている方が使う錦札という100回目から使用できる納め札があります。
四国のお遍路を始めた第一霊場にて、全てが初めての体験のため太子堂にて迷っていると、男性が「はい、これ、あげます」と言って錦札を手渡しでいただきました。当時、この錦札が何を意味するのかすら分からず、その錦札を頂戴した途端、多くの人々が私の周りにやってきて、「とても尊いものだから大切に」と教えてくれたことを、昨日のように思い出します。
あれから数十年がたちましたが、あの時の体験とその錦札は肌身離さず、私といつも一緒です。
神様も先達のように、多くは語りませんが、常に私たちに必要なものを与えてくださり、必要な導きをくださいます。そして先達は転ばぬ先の杖を出してくださることもありますが、私たちがその杖に気が付かず、転んでみて学ぶこともあります。
神様のメッセージは常にやってきています。どうやってそのメッセージを聞き取る、或いは感じ取るかですが、そのメッセージに気が付くところが第一歩です。そしてそのメッセージに気が付いても、メンタルブロックが入ることがあり、それは「そんなはずはない」といった左脳が考え始めてしまうことです。
まずは心を静かに鎮めてみて、何か心に浮上したらそれは神様からのメッセージかもしれないと思ってください。そしてそのメッセージを信じてみてください。きっと面白いほどにもっと多くのメッセージが自分のハイヤーセルフからや他人のハイヤーセルフから、或いは周囲の精霊さんたちより到着するようになります。それは審神者として高次元へアクセスし始めている証です。
小網神社(こあみじんじゃ) ー 東京都中央区日本橋小網町
五穀豊穣の神である倉稲魂神(うかのみたまのかみ)をはじめ、弁財天の市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)、そして長寿の神 福禄寿(ふくろくじゅ)を御祭神に祀り、関東大震災の災難を免れたり、神社のお守りを持った氏子の全員が第二次世界大戦より無事、生還したりと、強運厄除の神さまとして信仰があつい。
拝殿の天井柱には天に昇る昇り龍と天から降りる降り龍が一対となった彫刻があり、特に降り龍はその御神徳を参拝者に授けてくれるとの言い伝えがある。
**
倉稲魂神に、市杵島比賣神に、福禄寿と金運の神様が勢ぞろいのようですが、ふと空を見上げると、海老の神様が両手を天に上げて、「アゲアゲ」をしている姿が見えました。
海老と言えば市杵島比賣神や福禄寿で知られる七福神の一柱の恵比寿のエビであり、恵比寿と言えば商売繁盛や五穀豊穣の神として倉稲魂神と同じような御神徳があり、また海老の姿よりその曲がった腰と長いひげはお年寄りを連想するため長寿を表しているとされ、更には海老の目は飛び出していることより、めでたし(目出たし)という意味があり、総じて喜び事に用いられます。
小綱神社を訪れる際には境内に祀られている神々だけではなく、小綱の土地に宿る精霊や根付いている眷属たちからのメッセージに目を向けて、感じてみてください。
アゲアゲをしている楽しそうな海老さんの姿を見上げながら、常に私たちを喜ばせよう見守ってくださっている神様や精霊さんに、ほくそ笑みました。
愛宕神社(あたごじんじゃ) ー 東京都港区愛宕
徳川家康公の勅願により火の神 火産霊命(ほむすびのみこと)を江戸の愛宕山 山頂に祀ったとされ、水の神 罔象女命(みずはのめのみこと)と山の神 大山祇命(おおやまづみのみこと)そして日本武尊(やまとたけるのみこと)が合祀されている。
愛宕山は標高約26メートルの自然の山として、東京23区内で最も高い山とされる。
徳川家光公が増上寺を参拝した後、愛宕神社の境内に咲く梅の花を馬で取ってくるよう家来に命じたところ、曲垣平九郎(まがきへいくろう)という武士だけが馬で石段を上下して境内の梅を献上したとされ、家光に馬術の名人と讃えられた。その後、平九郎の名は全国津々浦々に知れ渡ったことより、この石段を「出世の石段」と呼ばれるようになる。
**
火の神 火産霊命、別称 火之迦具土神の出自はとても複雑であり、伊邪那岐と伊邪那美の神生みにおいて最後に生まれた御子神ですが、同時にその火の炎により母 伊邪那美を焼き殺してしまいます。妻を亡くした伊邪那岐はその怒りと悲しみにより火産霊命を殺してしまいます。
火の神と聞いてギリシャ神話のプロメテウスを思い出します。ゼウスから火を盗んで人間に初めて火をもたらした神として英雄であるはずが、窃盗という罪のためにゼウスから苦役を与えられ続け、その後、ヘラクレスにより助けられます。またプロメテウスは粘土から人間を創造した神とも言われており、プロメテウスの名前は、プロ=はじまりとメテウス=知恵を持つという言葉の重なりであり、総じて「先見の明」という意味になります。
火産霊命もその母親を殺してしまったという罪はありますが、私たち人間にとっては火を与えた神としてプロメテウスのように讃えられるべきかもしれません。そして火産霊命の死から生まれた神々は、雷や水、岩そして山であり、今では私たちに恵みを与えてくださる霊神です。
火は扱い方によっては人を殺してしまうほどの殺傷能力がある一方、火の力により物が生み出される創造力もあるため、ある意味、神々は諸刃の剣なのかもしれません。
時に、「神様にお願いしているのに願いが叶わない・・・」といったことを経験します。それは神様が願いを叶えてくれないのではなく、神様は願いを叶えるための手助けや導きをしてくださる存在であり、実際にモノゴトを動かすのは私たち人間です。
願いを叶えるためには「祓い賜へ、清め賜へ」と邪心や邪悪といった心についている穢れを取り除くことを神様に祈り、そうすると神々は、身心についている不安や恐怖心、或いは三毒といった身から出た不浄を祓い除けてくださり、最終的には必要な道へ私たちを導いてくださいます。
心に不安や落ち着かないという方は、火産霊命の火の力を借りてその迷いを断ち切り、そしてその炎で不安を解消してもらってください。
猿田神社(さるたじんじゃ) ー 千葉県銚子市猿田町
御祭神には猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天鈿目命(あめのうずめのみこと)、そして菊理媛命(くりひめのみこと)を祀り、源頼朝公をはじめ武家からの信仰もあつく、戦勝祈願として崇敬された。
**
猿田神社の奥宮にて御砂を頂戴して帰ろうかと鳥居を出たところで、鳥居を背に左の方向が気になるため、もう少し上に上がってみようかと歩き始めると蝶々が目の前を通って同じ方向へ行くため、そのままついて行くと本宮の鳥居がありました。
鳥居の中からは「待ってましたよ」と言わんばかりに社殿が見えました。そのまま近づいていくと、とても落ち着いた空気が漂っており、まるで時間が止まっているような錯覚を起こすぐらい、平穏なエネルギーでした。
今では社殿が配置されていたり、祠の周りに柵がしてありますが、本宮では地面からのエネルギーと周囲の木々のエネルギーと呼吸を合わせていくと良さそうです。特に祠の場合、この土地を守ってきた目印であるため、実は柵で囲み、特別扱いをせず、全体に調和させておく方が心地が良さそうです。鳥居を入ったところにある木木がお出迎えをしてくださいますので、神域に入る・出る前に一言、「お邪魔します」と心の中で声をかけてもらえると良さそうです。
私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。
今を大切にお過ごしください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?