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[荏柄天神社 + 高家神社 + 布良崎神社] 稀有な出会いなようで仕組まれている縁

アナグラムで問題解決している映画や本に出合うため、試しに自分の氏名をアナグラムで解読してみたところ、「ミロク=弥勒」が隠れていることがわかりました。
同様に父母や祖父母、叔母の氏名をアナグラムを用いて解読していくと、母方には邪馬台国 卑弥呼の宗女或いは妹である台与/臺與(とよ)が隠れており、叔母の氏名には御稜威(みいつ)が出てきました。

アナグラムを解読して以降、キーワードに所縁のある土地や過去世からの引き寄せメッセージも多く受け取れる=気づくようになり、また点であった引き寄せメッセージを線のようにつないでいくと、今世私が生きている理由や意図が面としてより分かりやすい形で理解できるようになりました。

私たちの生きる時間には一切の無駄はなく、またすべての出会いや稀有な出来事には意味があります。

今世、神様から預かった「ミロク=弥勒」を私の使命として、点のように見える縁を手繰り寄せながら、中今に生きていこうと思います。



荏柄天神社(えがらてんじんじゃ) ー 神奈川県鎌倉市二階堂

突然に晴天の空が暗くなり、すさまじい勢いの雷雨が鳴り始めた空から天神像が描かれた巻物が降り落ちてきた時と同じくして、京の都では様々な不幸事が続いており、藤原時平により無実の罪におとしいれられた菅原道真公の祟りではないかと恐れた人々は巻物が落ちてきた土地に社殿を創建してその巻物を収めたことが荏柄天神社の起源とされる。

荏柄天神社

福岡の太宰府天満宮と京都の北野天満宮と共に日本三大天神の一つとして、鎌倉の鬼門を守る荏柄天神社は源頼朝公をはじめ、足利・北条・豊臣・徳川により篤く崇敬され、菅原道真公を主祭神に祀る。

拝殿 左、本殿 右


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拝殿の右側が気になり、覗いてみるとその奥には階段があり、登ってみると熊野権現が祀られていました。「ここから見える社殿の姿が最も美しいから」と権現様に言われたようで、振り返ると、そこにはとても優雅で落ち着いた朱色に輝く社殿の姿が見えました。

拝殿 左、本殿 右

現在の本殿は室町時代に建てられた鶴岡八幡宮の旧若宮 本殿を、江戸時代に荏柄天神社へ移築した社殿だそうで、室町時代から現存する鶴岡八幡宮の社としては、最も古く、重要文化財に指定されているそうです。
確かに社殿は周囲の景色から浮き上がるように際立っており、むしろこのエリアの結界として天神様が祀られていることがわかります。

熊野権現社

熊野権現社には国造りと国生みの神様となる熊野三山の家都美御子大神(けつみこのおおかみ)/素戔嗚尊(すさのおのみこと)、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)/伊邪那岐(いざなぎのみこと)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)/伊邪那美(いざなみのみこと)の三柱が祀られており、菅原道真公が結界の役目をもつ傍ら、熊野三柱はこの土地の氏神として守り栄えることを担う役割分担があるようです。

熊野権現社

寺社仏閣を訪れると必ず、拝殿と本殿をはじめ、社殿正面と横からの写真を撮るのですが、不思議なことに荏柄天神社では、荏柄天神社の正面からの写真は一枚も無く、熊野権現様から見える写真のみが撮られていました。



高家神社(たかべじんじゃ) ー 千葉県南房総市

料理の神様として磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)、別称 高倍神(たかべのかみ)を祀り、毎月17日に行われる庖丁供養祭には調理師等、料理関係者が供養に訪れる。

拝殿

毎年5月17日、10月17日(旧神嘗祭)と11月23日(旧新嘗祭)に行われる庖丁式(ほうちょうしき)神事では、烏帽子・直垂をまとった庖丁人が食材となる鯉や真鯛、真魚鰹等に一切、手を触れることなく、庖丁とまな箸だけを用いて調理を執り行う儀式があり、古式に則った所作と庖丁さばきは宮中行事の一つとして今なお、伝えられている。

拝殿

第12代 景行天皇がその皇子である日本武尊が平定した東国 上総国の安房浮島宮へ行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が弓の弦で堅魚を釣りあげ、砂浜では取れた白蛤(はまぐり)を天皇へ差し上げたところ、天皇は磐鹿六雁命の料理の技に魅せられて膳大伴部(かしわでのおおともべ)を与えられた。

磐鹿六雁命

この功により磐鹿六雁命は安房国の長となり、代々その子孫は朝廷の料理人として皇族の食事を司るようになったと言われている。

涼詣で(すずもうで)
夏にはたくさんの風鈴が並ぶ境内
神輿


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手水舎の後ろ側が気になり、行ってみるとぽつりと立っている石に出会いました。無造作に置かれているような石でしたがこの土地の安寧と平安を守る結界石のようです。

神が降臨される磐座や地震を抑える要石以外にも神社の境内には、様々な石が敢えて置かれており、特に参道で見かける地面から少し顔を出しているような石は結界の役目を持っています。地鎮や慰霊鎮魂のために敢えて置かれている石であるため、不用意に動かしてみたり、触らないほうが良いかもしれません。
安房神社へ向かう途中にたまたま出会った高家神社でしたが、この結界石に呼ばれて訪れたのかなと、この一期一会に感謝しました。



布良崎神社(めらさきじんじゃ) ー 千葉県館山市布良

阿波の大麻比古神社に祀られる守護神 天太玉命(あめのふとだまのみこと)の孫にあたる天富命(あめのとみのみこと)を御祭神に祀り、天太玉命を祖神とする阿波忌部の人々と共に、布良の村人がこの地に社を建てたことが布良崎神社の起源である。

布良崎神社

天富命は阿波の国を開拓した後、天日鷲命の孫である由布津主命(ゆふつぬしのみこと)と阿波忌部の人々と共に上総・下総の国へも麻・穀の開拓を進めていくが、上陸した地が布良であったとされる。

拝殿
本殿
本殿から見える富士山
5月下旬と8月上旬には富士山に太陽が沈むダイヤモンド富士を観ることができる

房総を上総・下総と呼ぶ背景には、四国阿波の忌部氏が房総半島に進出して良質な麻を栽培したことに由来しており、麻の古語は「総(ふさ)」として良質な麻が育ったことから「総の国」と呼ばれ、古代の大和朝廷への距離から上下と付けられた。


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安房神社へ行く道すがら大風になびく旗が遠くから見えたため、急遽、立ち寄ってみたところ、その日は夏祭りでお神輿が出ていました。

神輿とは神様が宿った神体や依り代を一時的に祀られている場所より移動させるための乗り物ですが、特にお祭りの神輿が町を練り歩く場合は、地域の災厄や穢れを神輿に乗る神様が吸収して清めたり、人々の豊作祈願や願いを聞き入れたりする神幸祭(しんこうさい)または神輿渡御(みこしとぎょ)と言われます。

神輿

外を練り歩くお神輿を見かけた場合「祓い給へ、清め給え」と唱え、心身についた穢れが、体から剝がれだすことをイメージしてください。そして、穢れが落ちるのと同時に、「わっしょい!わっしょい!」の掛け声と共に、新しく瑞々しいエネルギーが心と身体に入ってくることを感じてください。

たまたま遠くから見えた旗に引き寄せられて訪れた布良崎神社でしたが、氏神だけにはとどまらない、とても大きな勇気と野望を感じるエネルギーが流れており、御祭神を見て「なるほど!」と思いました。
天富命と言えば、神武天皇の勅願を受けて奈良の橿原から阿波の国を開墾しした後、更に安房へ移動して東国開拓を行ったかなりの冒険家であり、野心家です。そんな天富命の魂を乗せた神輿に出会えたことがとてもラッキーであり、この稀有なご縁に感謝しました。そして神輿を担ぐ村人より「布良の人?」と尋ねられたため、たまたま訪れたと思っていた神社でしたが実は天富命に仕組まれてこの土地を訪れているのかなと、ほくそ笑みました。


私たちは高次である宇宙へつながればつながるほど、よりパワフルな引き寄せの法則を体現することができ、ひいては物事を動かすために必要なエネルギーを養います。そのエネルギーをつかみ取るためにも、中今(なかいま)を生きることです。中今とは過去を振り返らず、未来へ望みを託すこともなく、今に向き合い、今を全力で生きることです。高次へつながることは容易いことではありませんが、成し遂げた先には必ず、浄土があります。常に中心は私であり、あなたです。

今を大切にお過ごしください。



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