「境界例状態」からの回復の物語
挫折を知らなかった1人の青年が、職場での不適応を機に自信を失った。
それまでは「仕事ができる、有能な人間であること」を自らの拠り所にしていた青年は、委ねるものを失い、「自分を支えてくれる、確かな存在」を求めて彷徨っていた。
自分を受け入れてもらうために、周囲の人たちの言動に過剰なまでに気を配った。相手に不快感を与えないよう、必死に言葉を選んだ。しかし、発した後には、相手がどのようにその言葉を受け止めたか気が気でならず、相手の表情、声、しぐさの中に、少しでも自分を否定するようなシグナルが出ていないかを伺った。
そのシグナルが少しでも感じられた相手には、自分のすべてが否定されているような気がして、恐怖感から、それ以上話を続けることができなくなってしまった。
そして、逃げるようにその場を去った後は必ず、恐怖心は、怒りへと変わるのだった。
「俺は、こんなに気を遣っているのに・・・!」
そんな人間関係に疲れた青年は、治療者の元を訪れた。
しかし、治療者との関わりであっても、青年は治療者に対して気を遣いつづけた。
そして、時折治療者から滲み出る青年に対する否定的な情報に恐れを抱きつつも、そのことを話題にあげる事で、治療者との関係そのものが壊れてしまうことを恐れた青年は、治療者に対する疑問、不安を口にすることはなかった。
ある時、治療者は青年の薬の処方日数を間違えた。
青年は爆発した。
今まで感じていた、治療者に対する様々な感情を、その場にぶつけた。
治療者は、青年の勢いに驚き、次に「何でそのくらいで・・・」という怒りが湧いた。しかし、治療者は、怒りは怒りとして感じつつ、自分の非を感じた部分については、青年に謝った。
怒りを一通りぶつけ、多少の心のゆとりができた青年は、突然罪悪感、恐怖感に支配された。
「これでもう、先生のところへは来れない・・・」
しかし治療者は、当たり前のように次の予約を入れていた。
「そりゃあ腹も立ったし、もう診たくないわとも思ったよ。でも、人間関係って、そういうものじゃない?お互い傷つけあったとしても、失われない絆っていうのもあったりするんだよ。」
青年の不安そうな表情に対して先回りをするかのように、治療者は笑いながら答えた。
この出来事を機に、青年は他者との関わりに、多少なりとも余裕が持てるようになった。
まず、相手の顔色を以前ほど伺わなくなった。
「自分に対する否定的な情報」を受け取るアンテナは、鋭くなり過ぎても、より良い人間関係を築く上ではあまり役には立たないことに気づいたのだ。
「多少は自分のことを受け入れていないのかもしれないが、それでも自分のことを認めてくれている面もあるから、こうやって話をしてくれているのだろう。」
そんな風に思えるようになった。
そして間もなく「冗談のわかる奴」になった。
冗談は「トゲを愛情でくるんだもの」と思えるようになったのだ。
以前は、トゲは棘としか感じられなかった。だから、ひとつひとつの冗談に傷つき、その度毎に怒りを覚えていた。
トゲと愛情の複合物が、「暴言」になるか「ユーモア」になるかは、実は発する側だけではなく、受け止める側の心の安定度に拠るものも大きいことに気づいた。
「どんな時にも100%受け入れてくれる存在」はどこにも見つからなかったが
「足りない分」を自分で補う能力が、青年には育まれた。
職場に戻った青年は、繰り返し自分に言い聞かせている。
「まあ、人間関係なんて、そんなものか・・・」
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