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精神科医、10年以上前に書いたブログに若干の修正を加えたものや、最近思うことを載せていく予定です。

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精神科医、10年以上前に書いたブログに若干の修正を加えたものや、最近思うことを載せていく予定です。

最近の記事

「のんびり行う」という選択肢

うつが遷延化(長引いている)方の生活歴を辿ってみると、もともとのんびり過ごすことが性に合っているのに、周囲からスピードを求められ、結果として後天的にせっかちな性格傾向となった人が結構多く、そのような方達は「やるか」「やらないか」の他に「のんびりやるか」という第3の選択肢を取り入れることが、遷延するうつから抜け出すきっかけとなる場合があるみたいです。 #精神医療 #コラム #うつ病

    • 「薬漬け」の生じる背景

      自分勝手な父親に苦労している母親を助けるために、自らも母親のように生きようと試みるも、実は本人は父親の資質を引き継いでいるため、母親のように生きようとすればするほど自らの資質と折り合いがつかず、結果具合が悪くなってしまい、本人自身も母親に苦労をかけ自己嫌悪を強めてしまっている、という方が治療に訪れたとします。 このような方の治療として「母親のように生きられる」よう、本人の父親的な資質を薬で抑える事も、本人に「父親の資質を意識的に生きる」よう促すことも出来ます。根本的な治療

      • パワハラ・モラハラと「医学モデル」

        「悪いところを探し、そこを攻撃し、やっつける(取り除く)ことが出来れば問題は解決する。」といういわゆる「医学モデル」を心の領域でも同様にあてはまるものだと考えている方は、対象の言動の「悪いところ」を一生懸命攻撃してやっつけることで問題は解決すると捉えており「一生懸命攻撃しているにもかかわらずその言動が減らないのは、まだまだ攻撃が徹底していないからだ。」と攻撃がエスカレートしてしまうという悲劇がパワハラやモラハラと称するものが生じる背景として比較的大きな割合を占めているのではな

        • 感情に賛成し、行動に反対する

          「ネガティブな感情や欲求を持つと、それは行動につながってしまうので、そのような感情や欲求を持ってはならない」という価値観が、どれだけ多くの人達を追い詰めているのだろう。と、時々嘆きたくなることがある。 「感情に賛成し、行動に反対する」という言葉は、精神科医の成田善弘先生が、自殺企図やリストカット等の激しい行動を繰り返す人への関わり方として挙げていたものだが、まずはその正反対の対応(感情に反対し、行動に賛成する)が、相手に対してどのくらいダメージを与えてしまうのか、会社を

          「境界例状態」からの回復の物語

          挫折を知らなかった1人の青年が、職場での不適応を機に自信を失った。 それまでは「仕事ができる、有能な人間であること」を自らの拠り所にしていた青年は、委ねるものを失い、「自分を支えてくれる、確かな存在」を求めて彷徨っていた。 自分を受け入れてもらうために、周囲の人たちの言動に過剰なまでに気を配った。相手に不快感を与えないよう、必死に言葉を選んだ。しかし、発した後には、相手がどのようにその言葉を受け止めたか気が気でならず、相手の表情、声、しぐさの中に、少しでも自分を否定するよ

          「境界例状態」からの回復の物語

          イライラの背景にあるもの(2)

           ある特定のタイプの人にイライラしてしまう場合、イライラの背景には自分が「その人のようにならないため」に多くの心的エネルギーを配分している傾向があり、その人のイライラさせる振る舞いを自分がほんの少しだけでも取り入れることが出来ると、その人に対するイライラが軽減するだけではなく、自分の抱えている課題を解決するきっかけに繋がることがあります。

          イライラの背景にあるもの(2)

          優れた人、豊かな人

          言葉はイメージを運ぶ荷車である。※ そして、そのイメージは実体験によって養われる。 「りんご」という言葉を耳にした時 以前食べたりんごの色・ツヤ・匂い・触り心地・歯ざわり・味が鮮明に思い浮かぶ人と りんごを食べたことはないが「りんご」を表す10カ国の単語が思い浮かぶ人 「りんご」という言葉に対して「豊か」なのは、どちらの人だろうか。 摂食障害やアルコール依存、リストカット等の問題行動を持つ患者さんの治療が進むにつれ、「空虚感」がテーマになる

          優れた人、豊かな人

          治療に役立つ「共感」

          医療従事者をはじめ、人を援助することを職業にするものにとって、「共感」という概念は「理屈ぬきで正しいこと」「心がけることが当たり前のこと」と位置づけられている。スローガン化・正論化した「共感」に対して「なぜ共感は良いことなのですか?」「どうすれば共感できるのですか?」という問いが投げかけられることはない。そのような問いを発した者は「共感能力がない」と非難・嘲笑の的になることだろう。 しかし「共感」について正しい理解を持つ者はどれほどいるのだろうか。 「先生、お腹が

          治療に役立つ「共感」

          「秘密」について

           「先生、今まで黙ってたことなんだけど・・どうしよう・・・やっぱり言っちゃおうかな・・・」  治療が進展するにつれて、このような発言が患者さんから出てくることがある。  ここで「勇気を出して」患者さんにその秘密を言わせようとすることで治療の進展に結びつくことは、殆どない。  上の患者さんの発言で最も大切な情報は、「秘密があること」ではない。「秘密を伝えることにためらいがあること」の方である。  ためらいの部分に意識を向けてもらうことで、その患者さんが以前受けた「裏切り

          「秘密」について

          「現代型うつ」「定型うつ」

          いわゆる「現代型うつ」の方へのアドバイスは「やりたくないことも仕方なくやれるくらいには元気になりましょう。その為には、やりたいことも少し控えてエネルギーの回復に努めましょう。」となり、 「定型うつ」の方へのアドバイスは「まずはやりたいことだけやるようにして下さい。それが『何もしたくない』ということなら、まず休んで下さい。やらなくてはいけないことをやるのは、まず、やりたいことが出来る位回復してからにして下さい。」となる。 微妙なニュアンスの違い、わかってもらえるでしょうか。

          「現代型うつ」「定型うつ」

          気づかい能力が高いゆえの孤独

          気遣い能力が極めて高いのにそのことに無自覚である人は、ごく平凡な気遣い能力の他者と関わるたびに、自分が相手に行っている気遣いと相手から戻ってくる気遣いとのギャップに苦しみます。 そして大抵そのギャップが生じる理由を「自分は相手から嫌われているのだ。」と結論づけます。 そういった関わりが恒常化していくうちに「自分は誰からも愛されることはないのだ。」という信念まで出来上がってしまう方もいます。 そのような方が治療に訪れた場合、治療者が気遣い能力でその人に太刀打ちできることは

          気づかい能力が高いゆえの孤独

          イライラの背景にあるもの(1)

          イライラは「何かを変えたいのに変えられない」ことによるエネルギーが蓄積された状態であり、最終的に「破壊衝動」に繋がることが多い。 破壊衝動は、その対象に自らのアクションによって「変化を起こせた」瞬間に満たされる。ゴムまりを投げつけるのと、ガラスの器を投げつけるのは、同じアクションでありながら、その後のスッキリ感に違いが生じるのは、そこに由来する。 よって、強いイライラを抱えた方への対応は、その人が対象に何らかの変化を与えられ、しかも出来るだけ後悔しないで済むアクションを提

          イライラの背景にあるもの(1)

          精神科の薬の位置付け

          精神科の治療薬は「脳の絆創膏」であり、脳の病変部位を絆創膏が上手に覆っている状態が薬が効いている状態。 絆創膏が傷口を覆っている間に、自然治癒力の作用で傷口が塞がれば絆創膏はいらなくなるが、傷口が塞がる前に絆創膏を剝がしてしまった場合には、些細な刺激で再び傷口が開いてしまいがちであり(再燃)その際は再び絆創膏が必要となる。 絆創膏の下の傷口は塞がっているが、絆創膏が余りにも皮膚と密着してしまい、絆創膏を剥がそうとすると痛みが生じてしまう(退薬症状)ので、なかなか剥

          精神科の薬の位置付け

          「空虚感」を満たすもの

          「あのね、そういう患者さんは背伸びばっかりしていて、ちっとも身近なことをやろうとしないのよ。その子、自分の洗濯物、自分で洗ってる?まずは、そういうところから始めないとダメなのよ。」 研修医になりたての頃、外勤先のベテラン女性医師が、昼休みによくそんな話を私にしてくれた。 当時は医師として右も左もわからず苦労していた時期で、家のことよりも仕事のことばかりが頭にあった。患者さんについて、もう少し専門的な意見が欲しいのに・・・という気持ちと、その先生の患者さんに対するアドバイス

          「空虚感」を満たすもの

          いじめられっ子を守るために、いじめっ子をやっつけること

           前回のノートでは「神経症」とはなにかについて述べた。  あらためて説明すると  ①ある欲求を満たしたい自分と、その欲求を抑えている自分との間で喧嘩(葛藤)が起きていること自体に気付いていないこと。  ②その症状(行動)によって、自分が抑えているはずの欲求が満たされていること。  この2つの条件を満たすことが神経症の構造とされている。  今回、「いじめられっ子を守るために、いじめっ子をやっつける」ことについての神経症的な側面について論じようと思う。  もちろん、自分

          いじめられっ子を守るために、いじめっ子をやっつけること

          「反戦デモ」に対する違和感

           以前から反戦デモを始めとする、いわゆる「平和活動」と呼ばれるものに対して違和感を覚えていた。テレビに映る「平和」を訴える人たちの笑顔を、どうしても直視することができない。「自分は平和が嫌いなのだ。」と自分自身を納得させようとも思ったが、どうやらそれだけでもないらしい、と最近気がついた。  S.フロイトの提唱した精神分析ではいわゆる「神経症」の定義として  ①ある欲求を満たしたい自分と、その欲求を抑えている自分との間で喧嘩(葛藤)が起きていること自体に気付いていないこと。

          「反戦デモ」に対する違和感