産まれてきてくれてありがとう
我が親愛なる孫の薫子へ byママより
登場人物は、母と私。
祖母の人生で、彼女が訪れた場所、食べたもの、飲んだもの
スマホで撮られた写真を眺めながら、母親と一緒に祖母の思い出の旅。
そこで、1通の手紙を見つけた。
「ほら、貴方宛の手紙よ。」母が私に渡してくれた。
手紙の書き出しは、冒頭の見出し言葉。内容は沢山書いてあってよく覚えてない。
ただ一言
「産まれてきてくれてありがとう」
その一文だけが、黄色の蛍光ペンで引かれキラキラと輝いてた。
「ママ〜」(私の祖母の呼び名)大声で叫びながら号泣して目が覚めた。
祖母に会えない現実の「悲しみ」、私に投げかけてくれた言葉の「喜び」、この二つの感情がごちゃ混ぜになって、夢から覚めた私はなんとも言えない静かな感情の余韻に浸った。
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2015年に祖母が亡くなって5年が経過した。
今でも毎日1回は思い出し、空に向かって呼び掛ける。
人が生と死の境目にただ存在してることを、
彼女が身体を張って私に教えてくれたあの日。
この5年、46年の人生で一番つらかった。
人に語りづらい経験を沢山してきたが、これに勝る経験はもうないのではないか?今はそう思う。
過呼吸もした
情緒は不安定だった
病気は悪化した
自己を全否定した
生きてることに混乱した
変な声も聞こえた
変な映像も見えた
そうね、狂気だった
本気で私はおかしくなったって思った。
でも今朝、夢から覚めて
この5年はいい時間だった。お腹の底からそう思った。
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人は誰しも、真っ暗闇の中、小さな光に向け小さい道を身体をくねらせながら、たった一人で移動してきた一日がある。
その日、
この経験を頑張って一人でしたことを、沢山の人が祝い喜んでくれた。
悲しいがな、誰もその経験をしたことは覚えていない。
でも、
今生きてる人でこの経験をしなかった人はいない。
あの1日があって今があり、今ここで生きてる。
あの日の自分と今の自分を褒め称え、「生きてること」を人生かけて喜び続けてもいいのじゃないかと思っている。
あの日を沢山の人が喜んでくれたけど、肝心の自分は大声で泣いただけ。頑張って一人で生まれてきたんだから、何者にもならず自分自身であり続ける。これ以外、大切な事ってない気がする。
どこかで誰かが生を終えても、世界は何もなかったように回り続ける。祖母が亡くなって、混乱の極みにいた私の周りも何事もなかったように回り続けた。
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今朝の祖母からの一言
「産まれてきてくれてありがとう。」
とてもシンプルでよく聞く言葉だけど、多くの人に伝えたい。
産まれたこと、生きてることを思う存分満喫することを自分に許していきたい。
生きることも命を終わらせることも、どちらでも選べるのだ。
私は、5年かけて、悲しみから始まった自分の生を、喜びから人生を生きることに変える選択をした。
だから、生を継続させている自分が纏う小さな喜び一つ一つの幸せを感じ尽くたい。
祖母からこの言葉が届いたことは、祖母が見ててくれてる証だと思った。
にしても、この年になって久方ぶりに大声で泣きながら目が覚めることは、なかなかスッキリする経験だ。