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嫌いな自分を切り離すのではなくて

こんばんは、moikoです。

ここ数日少し涼しいので、このまま秋に突入するのかなと思ったら、ちょっと寂しく思えました。ずっと元カレがよりを戻そうと迫ってきていて鬱陶しかったのに、急に連絡が来なくなった時のように…。(そんな経験はありませんが)

文句を言いながらも今あるものがゴッソリなくなったら、人はちょっと落ち着かなくなるものなのかもしれないなぁと思いました。

例えば、嫌いな上司や嫌な仕事、問題のある家族や友人とか、壊れかけて使い方にコツのいる電化製品とか、ままならない現実とか。

全て解決したら幸せなのでしょうか。

うん、幸せに決まってますね!


ただ、ゴッソリ一気になくなることはあり得ないと思うし、そうなったら実際落ち着かない気持ちになりそうです。

私は職場にどうしても苦手な人がいます。

それで、この前ふと気づいたのですが…

今日もその人を意識してうまく接することができなかったと、その人を好きになろう、できなくても意識しないようきしよう、と自分が努めていたこと。特にその人が何かしてくるとかではなく、私が一方的に「何か苦手」だから、そんな風に人を嫌いでいる自分を直そうとしていたこと。

つまり、「大した理由なく人を嫌うのは良くないから、そんな自分は切り離さなきゃ」と思っていたんですね。

それに気づいて、はっとしました。

いやいや、理由なく人を嫌ったっていいじゃん!

そんな自分を切り離そう、切り離そう、とすることは、きれいな自分(と自分が思ってる自分)だけ残そうとしてたということだなぁ、と思いました。

それって、トカゲの尻尾切りみたいなもので、きっとまた嫌いな自分が出て来るはず。だったら、切り離すんじゃなくて

「受け入れる」方が楽なんじゃないかな。


なんて感じました。

それとも、嫌いな自分を全部切り離したら、好きな自分だけ残ってきれいさっぱりした気持ちになるのでしょうか。私はそうは思えません。きっと私だったら、切り離した自分への罪悪感やモヤモヤが残ってしまって、余計にややこしいことになると思います。

切り離した自分も大切な自分の一部

だからです。何だか急にそういう思いが湧いてきて…。そう思ったら、無理して苦手な人を好きになろうと思ってたのが、ちょっと楽になりました。嫌いなら嫌いなままでも良くて、敢えてそこに集中する必要はないというか。

とりあえず、「◯◯する自分」は良くないと思うより、そんな自分もいるんだなぁと軽く受け流すことを忘れないようにしたいと思いました。

雨が降り、更に涼しくなってきましたね。そんな折、暑い時期に注文していてやっと届いた冷触感シーツを引き取りに行って来ます。無駄もまた良し!


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