僕のこれまでの人生と吃音について
僕は現在都内の大学院に通う学生で、吃音障害という言葉がスムーズに話せない障害を持っている。昔はこのことで死ぬほど悩んでいたが、今はそれほどでもない。どうして悩まなくなったのかは次の記事に書くことにする。
今回は、僕の吃音と共に歩んだ今までの人生について記したいと思う。これを読んで、悩んでいるのは自分だけではないと思う人が1人でもいたら嬉しい。
僕が吃音を完全に自覚したのは中学3年生の時だ。それまでにも、なんか言葉が言いづらいな、という感覚があったのは覚えているが、そこまで気にしていなかったので人前での発表や音読なども普通にできていた。
中学3年生になって、なにかの機会で学校全体で『英国王のスピーチ』を観た。その主人公の症状と、自分が今まで抱えていた発話の違和感が同じだと気づき、そこで初めて吃音という障害なのだと自覚した。
その後の英語の授業で、1人一文ずつ教科書の文章を音読する時間があった。そこで自分の番が来ても何も言えなくなった僕は、急に体調が悪くなったと嘘をついて保健室に行った。今までは言いづらい感覚がありながらも一度波に乗ると普通に喋れていたのに、なぜ急に何も言葉が出なくなったのかは分からない。自分が吃音という他の人とは違うものを持っていることを自覚し、怖くなったのだろうか。
以降、その授業で言葉が出なかった感覚が頭に染み付いて、高校卒業まで人前での発表や、音読がほぼできなかった。当てられても何も言わなかったり、国語や英語の授業で音読がありそうな日は学校をサボったりした。僕の場合、日常会話は普通にできるので、クラスのみんなは奇妙に思っていただろう。
幸い、仲の良い友達は、僕に急に吃音の症状が出ても特に変わらず接してくれた。良い奴らだ。
そんなこんなで高校を卒業し、大学生になると同時に上京した。今までの環境を離れたからか少し吃音はマシになった。自己紹介をするのも苦労していたのが、割と普通にできるようになった。しかし、他人に吃音のことを気づかれたくないという思いが強く、悩みは尽きなかった。
サークルで代表になってしまったため大勢の前で話さないといけない時には苦労した。飲み会で乾杯の挨拶をするのがどうしても苦手だった。
塾講師のバイト先で、リーダー的役割を任されてしまい、指導法について講師全員の前でプレゼンした時もボロボロだった。
単発バイトで、初めて接客系のバイトに挑戦した時、初日の研修で「ありがとうございました。」が全く言えず社員や他のバイトメンバーに笑われたこともあった。次の日から適当な理由をつけて行かなかった。
学部四年生になると研究室に配属された。卒論の中間発表と最終発表では、練習の段階から時間内に発表が収まったことがなく、本番も吃りまくって最後まで発表できなかった。その時は吃音のことを教授に伝えていなかったので、準備不足だし緊張しすぎだと呆れられた。
本当にたくさん辛いことがあった。(もちろんそれ以上に楽しいこともあったが)
現在は大学院に進学し、修士課程の2年生をやっている。今ももちろん吃音で大変なことはある。大学院生はゼミや学会、共同研究者との打ち合わせなど、とにかく人前での発表機会が多い。
それでも、以前に比べて吃音の悩みは自分の中でちっぽけなものになっており、生きるのがかなり楽になっている。本気で死んでしまおうかと思っていた頃と比べると、えらい違いだ。
こうなったのは、吃音への捉え方が変わったことが大きいと思う。吃音に対して必要以上に悪いイメージを持ちすぎるのをやめたおかげで、今は教授にも素直に吃音のことを打ち明けることができ、理解してもらっている。研究室内ではかなり快適である。
気持ちが楽になったおかげか、吃音の症状も前よりマシになっている気がする。
具体的にどういう風に吃音への捉え方を変えたのかについては、次の記事で書きたい。
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