急に終わる習慣、急に切れる命綱
生きていると、定期的にマイブームが現れて、定期的に終わっていく。
始めたきっかけも覚えていないくらい自然に習慣化していて、それをすることが当たり前になった頃に、突然やらなくなっている。
「マイブームとはそういうものです」と言われてしまえばそれまでの話だけど、1人で繰り返してきたこの行動に対して、自分自身があまり納得できていない節がある。
昨日まで当たり前みたいな顔でやっていたことを、やらなくてもなんとも思わなくなっている自分に思い至った時、毎回ちょっと怖くなる。
習慣化した行動というのは、日常生活の中に当然存在していて、基本的には怠った途端に気持ち悪くなるようなものだと思う。
寝る前に歯を磨かなければ気持ち悪いだろうし、朝起きて髭を剃らなければ気持ち悪くなる。
自分の中では、唐突に始まるマイブームも、それらと同じカテゴリーに分類している。
そして、その法則をあっさりぶち壊しているというのに、平然と生活できてしまっているということは、
何かの拍子に今のリズムが崩れた場合、どこまでも堕落していく可能性があるということで、
それは同時に怠け者の才能がありすぎるということでもある。
1歩足を踏み外した瞬間からどこまで落ちていくか分からないような状態のまま、闇雲に歩き続けていく人生に、
普段感じるものとはすこし毛色の異なる不安を掻き立てられる。
何がきっかけでこんなにネガティブになってしまったのかと言えば、食生活におけるマイブームが2つ同時に終わっていたことに気がついたからだった。
冷蔵庫の野菜室の底の方では、しばらく封を開けていない千切りのキャベツが袋の中で黄色く変色し続けているし、
自室の机の上では、ここ2週間くらい1粒も減っていない素焼きアーモンドの大袋が埃を被りはじめている。
今までは、このどちらも毎日食べていたと思う。
食べた瞬間のことをわざわざ記憶していないくらいには、この行動が習慣化していた。
この2つの食品は、健康状態が悪化してきていることに対する恐怖から食べ始めただけの、お手軽な命綱のようなものだった。
「自分はある程度健康に気を遣っている」と思い込むための道具として、低すぎる健康意識から目を逸らすためだけに、数年間当然のように食べ続けてきた。
そして、その効果が現れたのか、胃腸や皮膚の調子が良いと思える日が増えていった。
しかし、ふとした瞬間に、「このようなものに頼り続けて、実際の内面は荒み始めているのに外面だけを取り繕っていても仕方がないのではないか」
などと思ってしまった。
その日はなんとなく食べる気にならず、買ってあった適当なパンか何かを食べてさっさと寝た気がする。
その日以降、キャベツとアーモンドは1度たりとも食べていない。
生活の中でパッケージが視界には入ってくることがあっても、その日の分を食べておこうという気持ちが全く湧いてこなくなった。
そして、この習慣が失われた途端、やり場のない不安に駆られて、明け方の訳の分からない時間帯に、眠りもしないで訳の分からない文章をここにフリック入力している。
色々と考えすぎたことで始めた習慣が、そこから更に色々と考えすぎた結果、あっさりと終わってしまった。
余計なことをしなければ上手く回っていたサイクルを、訳も分からず止めてしまう。
咄嗟の判断でしくじり続けてきたような、こんなことの連続で生きてきたはずの人生なのに、結局また同じことを繰り返す。
なぜなら、毎回失敗したこと自体を後悔するのに全ての時間を割いていて、改善するためのアイデアを考えようとしたことが1度もなかったからだった。
たかだか意識の高そうな野菜とナッツと食べなくなっただけなのに、過去の後悔を中心にここまでの文字数が発生している段階で、
今日の自分は中々どうかしていると思う。
何も考えず、今すぐゆっくり寝た方がいい。
でも、そういう風に無理矢理寝ようとしている時に限って、どんどん頭が冴えてしまってどうしようもなくなる。
昨日読んだネット記事にも、そんなようなことが書いてあった気がする。
実名も肩書きも載っていない「専門家」を名乗る人物が、睡眠時に避けるべき行動として「こだわりを持つこと」を挙げていた。
要するに、ごちゃごちゃ余計なことを考えない方が眠れるのかもしれないね、ということらしかった。
専門家の人、
それはそうなのかもしれないけど、それが1番難しいと思います。
とりあえず、この性分を矯正しようとするのは無謀なので、対症療法でどうにかしてみようと思う。
明日、スーパーに行って、きれいな薄緑色をした千切りのキャベツを買ってくればいい。
アーモンドはきっとまだ傷んでいないだろうから、普通に食べればそれでいい。
それができれば、今夜は安眠できる気がする。