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肉の記憶 < 脳の記憶

一時期どっぷりハマっていて、しばらく遠ざかっていたようなことを久しぶりにやろうとした時、毎回思うことがある。

「体が覚えてるんだよね」という体験、存在しなくないか??

遠ざかっていた期間の分だけ、しっかり退化してないか???

ちゃんとリハビリから始めないと、碌なことにならなくないか????


こんな些細な感覚の話を誰かと共有したことなどあるはずもないので、
もしかしたら世の中には、久々にやることでも当然のようにこなしてしまう、
なにかしらのキャラクターのようなすごい人というのも存在するのかもしれないけど、
まだそんな人には出会ったことがない。

少なくとも自分の経験の中では、
「体が覚えてる…!」などという現象は完全にファンタジーだった。

むしろ、体の方が脳よりも積極的に忘れていく気がする。
頭ではわかっているのに、体が理想の動きについてこないことの方が圧倒的に多い。

そもそも、この言葉をどこで仕入れてきたのかを思い返してみると、スポーツ漫画のようなフィクションの世界の中からだったような気がしてきた。

フィクションの中のセリフは、基本的に日常生活の中では通用しないものが多いわけで、そこが出処なら仕方ないだろうなと思う。

しかし、このスポーツ漫画というのが曲者で、これらはその他のジャンルに比べて現実に近い設定のものが多く、
そのストーリーの中の事象に夢を見ても許される余地のようなものが若干広めに用意されているように感じてしまう。

事実、少し上の世代の人々が吹聴しがちな意見として、「スポーツは1日休むと取り返すのに3日かかる」というものがある。

この言説の信憑性はともかくとして、世の中にそういう言葉があるからには、
そう感じた人が過去に一定数存在していたのは確かなんだろうと思う。

そして、この法則が適用されるのはスポーツに限った話ではないのではないかと思った。

どんな行為であれ、身体を動かすことが必須の要素なわけで、体が覚えていないことには以前のようにうまくいくはずもない。

目薬をさすのだって、久しぶりにやろうとすると全く眼球に命中しないし、まぶたの変なところばかりがびちゃびちゃになっていく。

それでも、目元をハンカチで拭いながら何回か再挑戦していれば、次第にあの頃のようなスムーズさで眼球を潤せるようになっていく。

そんな風に、スポーツの腕が鈍らないように時々練習するようなイメージで、
過去に習得した技術等に関しても、定期的なメンテナンスが必要なんだろうなと思った。

実際はそれをやること自体に飽きてしまったからこそ遠ざかっていたわけだけど、
少しだけ覚悟を決めて、再びそこに手を出してみることの方が、
せっかく1度はできるようになったことをまた最初から練習し直すよりはよっぽどマシなんだろうと思う。

なぜこんな主張をくどくどと述べてきたのかというと、
一時期毎日のように作っていた出汁巻き玉子を久しぶりに食べようとした時に、シンプルにめちゃくちゃ焦がしてしまったからでした。


もっと苦くなくてボソボソしてないちゃんとしたのが食べたかった。
また練習しよう

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