女性から見た(わけでもないけど)工学部・情報科学部の魅力とは?

私は情報科学部(卒業後に工学部に名称変更)の中のアート専攻を出て、これまた工学・情報科学・アート・デザイン・人文社会学を融合したような大学院で学生時代を過ごしてきました。
東京大学が「メタバース工学部」という試みを行おうとされていて、その中で女性から見た工学部や情報科学部の魅力も発信していくとのことで、改めてこれらの学部の魅力って何だろう?と考えてみました。
考えてみれば女性らしさのカケラもないですが、物理的・社会的な女性が歩んだひとつのケースとして捉えて頂けますと嬉しいです。

自分が妄想したモノを具現化できる力、世界(メディア)を作る力を手に入れられる

力が…欲しいか…?
結論から言うと、工学部・情報科学部の魅力は、自分が妄想したモノを具現化できる力、世界(メディア)を作る力を手に入れられるということです。
デザイナーとして働く傍ら先生業もやらせて頂いていて、学生さんから似たようなことを何度か聞かれました。「メディアデザインを学んで楽しいの?」と。そのときは「例えば推しを具現化できるんだよ!すごくない?!」と伝えるのですが、そこで目を爛々と輝かせる学生さんもいれば、消費しているだけで満足だしプログラミングとか覚えることたくさんあって面倒、デザイン系にしよっかなーといった学生さんもいます。

本人のまわりにモノ作りを楽しめる環境があるか

芸大と異なり、工学部や情報科学部はモノ作りの専攻ではありますが相応の試験がありません。筆記試験さえ通れば誰にも門戸が開かれている意味で素晴らしいのですが、入ってくる学生さんのモノ作りに対する姿勢がバラバラなため、周辺の環境によって運命が変わってしまうといった欠点も持っています。中には教員が手を尽くしても、消費者のまま4年間が終わってしまった学生さんもいました。
学部全体がモノ作りを尊び楽しめる環境かどうか。それがまずこの分野を盛り上げる上で最低限必要な条件です(女性関係ないですが)。

私のケース、環境による発露

ではなぜ工学部や情報科学部を選ぶのでしょう?これは一般化できないと思うので、私のケースを書き出してみました。

私は日曜大工と電子工作が趣味&仕事の一部の父親のもとで育ち、ゲームとお絵描き、ミニ四駆の改造を趣味にしていたいわゆる「創作系オタク」。どんなギアとグリスを組み合わせてシャーシを削れば大会のレギュレーション範囲内で良い成績を残すことができるのか、そんなことを考えていました。
時代が合っていれば、父は喜んでMakerFaireに小さな私を連れて行ったことでしょう。もしかしたらロボティクス分野に行っていたかもしれません。

また当時読んでいた漫画の影響で、映画監督にも興味を持つようになります。工作と映像。メディアアートに興味を持つ素養はすでにそのときに出来上がっていたのですね。
そして時が経ち、作曲家:坂本龍一さんとアーティスト:岩井俊雄さんがアルスエレクトロニカで行ったパフォーマンスに衝撃を受けます。

今で言う「推し」の坂本さんがアーティストさんとなんか魔法のようなことをしてる…私もこういうことしてみたい! 調べたら、どうやらこれは「メディアアート」と言うらしい。ならメディアアートを学べる大学に行けば、この作品みたいなものを作れるんだ!とネットを駆使して大学を調べ上げました。
これまた周辺環境によって私が作られていったのです。思えばアート専攻に行った同級生で、お父様が大工さんという人が多かった記憶があります。

大学に入る前も環境、入ってからも環境ということを考えると、いかに「楽しいモノ作り」に対して門戸が開かれているかがポイントになるかと思います。そして大人が少年少女のように面白がっている姿を子供に見せる。それがいちばんの薬なのではないでしょうか。

学部でアート・工学両方学ぶも、1年生では意味分からず。2年生でモノ作りはすべてを媒介すると確信

1年生のときの私のスペックは、多少デッサンのお勉強をしてお絵描きアプリが使える程度。そんな中いきなりの今までとは異なるロジックを使うプログラミングの授業は大変でした。いきなりC#です。変数?繰り返し?関数?意味が分かりません。友達がいなければ確実に単位を落としていたと思います。
代数や幾何学は今でこそシェーダやロボットに応用可能なことは分かりますが、当時は「必要なことは分かるけどいつ使うんだろう…」ととにかく受験数学のように覚えるだけで終わりました。
自然物を使って筆を作る=メディアを自分で作って絵を描いたり、ボールペンを使い切るまでデッサンを行うという造形の授業だけが唯一の息抜き。また映像の授業では台車にカメラマン(私)をくくりつけて、やや坂道になってる廊下を友人に全力疾走してもらうという危ないカメラワークで遊んだり、音響の授業では自然音をカットアップしてリズムを作ったりと、授業なのに思いっきり遊んでいた記憶しかありませんでした。高いクオリティのものを維持し続けることよりも遊ぶことが許されていた大学だったのが、私の幸運な点だったのかもしれません。

いい意味で遊びの延長で授業を受けていた2年生のある日、芸術学の授業でと一般教養の哲学で同じことが出てきた点に衝撃を受けます。
「もしかして、作品に知識が使える…?」
考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、その瞬間、プログラミングも選択授業の電子工作の授業も、一般教養の西洋史も、他専攻の人工知能やエージェントとインターフェース論もすべてが作品に「使える」と確信したのでした。

モノ作りにおいて、すべての知識・技術は「作品に使える」もの

それから作品制作のために必要なことを学んでいきました。知識が増えれば増えるほど、自分の思い描いていたものを具現化する力を手に入れられることが分かったのです。
アートだけじゃなく、工学や情報科学はもちろん、生命科学や脳神経科学、生理学に医療人類学、社会学に哲学と、「モノ作り」がさまざまな分野をつなげていく。自分の世界が広がっていく。いや、自分の手で世界(メディア)を作り出すことができるのだと気がついたのでした。そしてそれが途方もなく面白いことだと…


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