綺麗だった彼女
ふとした瞬間に、今朝の記憶が蘇る。
綺麗だった彼女。
「おはようございます」
いつもクールで無表情な彼女が、今朝も受付に立っている。
彼女のことを気になりだしたのは、いつからだろうか。
だから彼女を目の前にすると、当然の様に意識してしまう。
「おはようございます」
だけど、そんな抱えている気持ちを悟られたくないから、自分は敢えて事務的な対応で彼女に接している。
「受付票をお願いします」
そう言われて彼女に受付票を差し出す。
そして、淡々と受付事務を進める彼女の手を眺めるのが、今の自分にとって精一杯の装いだ。
「支払いは?」
「クレジットカードで」
そう言うと、彼女はクレジットカード読み取り機器の画面に数字を打ち込んだ。カードを差し出すと、彼女はこちらを見ることなくカードを無言で受け取り機器に差し込む。
自分と彼女しかいない淡々と静かな時間が流れている空間に、カード読み取り機の画面をタップする音だけが妙に大きく聞こえてくる。
「カードが上手く読み取れないみたい・・・です」
彼女は手に持っていたクレジットカードを差し出してきた。
恥ずかしい思いが一瞬湧き上がると同時に少し焦りながら、財布から急いで別のカードを差し出す。
「こちらのカードで、もう一度お願いできますか?」
「はい」
彼女は、そう短く返事すると、今度は笑顔で自分の差し出したカードを受け取った。
彼女が微笑んでくれたのは、今日で2回目だ。
そして折角、彼女が微笑んでくれたのに、自分は恥ずかしさのあまり顔を手元に持つ財布へと背けてしまった。
こんなチャンスは滅多にないのに。
今朝の彼女との遣り取りに費やした時間は、ほんの僅かな時間だった。
それでも、記憶を辿ればスローモーションの様にゆっくりと流れる彼女の残像が、今でも記憶の断片に残っている。
一瞬で過ぎ去った遣り取りの筈なのに、目を瞑ると彼女の見せた笑顔がうっすらボヤけた写真となって心に刻まれている。
あれから今日一日、その笑顔を思い出す度に思考が幾度となく止まり、胸が締め付けられ切なくなる。
何故だろう、なんか悔しい。
もし、この想いを彼女に伝えたら、その瞬間に自分はズタボロに打ちひしがれ、この美しい世界の何もかもが崩れてしまい、廃墟と化した灰色一色の世界に変わってしまう。
だから、これは実ることのない恋。
未来がない恋だと知っているから、今日みたいに自分の気持ちを持って行かれると、切なくて苦しくなる。
今日、砂浜についた足跡は、
夜風に吹かれ風化し満ちた潮で流されて、
明日の朝には跡形もなくなる。
そして砂浜は、また新しい一日を刻んでいく。
そんな風に、今日の記憶も、この想いも消えて無くなればいいのに・・・。