見出し画像

『それぞれの恋の物語』      【第一話】 すれ違い

今日、君に好きだと伝えても、明日その言葉は消滅してしまう。
明日から君の世界に、僕は存在しない。
未来に進む機会を見失っていた僕は、今日を永遠に彷徨い続けるのだろう。
だから、自分に明日はない。

 
 共通の友人が紹介してくれた山根由利との出逢いは、一年前の春だった。

 「こんにちは、はじめまして」

 由利の透き通る声が、とても神秘的だった。
 桜が満開に咲いている中、優しい春の日差しに輝く長い髪と、彼女の綺麗な瞳に魅せられ、心をあっさりと奪われ恋に陥った。

 「海斗さん、紹介するね。彼女が友達の由利で・・・・」
 斜め向かいに座っている友人の小谷美香は、正面に座っている由利を紹介をしてくれているが、美香の話は途中から耳に入らなくなっていた。

 “えっ、どうしよう、すごく可愛い・・・・・・・”
 彼女の背後から差す春の日差しが、彼女の長い髪を輝かせる。そんな彼女は美しかった。運命の相手・・・・が、この世界に存在するのであれば、それは彼女で間違いない、そう思えて仕方がなかった。

 「ねえちょっと、話し聞いている?」
 彼女に見惚れている自分に美香が話かけてきた。
 「あ、え、聞いているよ」
 本当は聞いていない。だから、曖昧な返事しか返せないのだが。
 「まあ、さっき作ったグループメッセージの中で由利のこと紹介しているから、今更紹介なんていらないか」
 美香はちょっと不服そうに呟いていたが、すぐさま自分の背後から聞こえるカフェの注文受け渡し番号に反応して席を立った。
 「小谷さん、ちょっ、どこ行くの?」慌てて美香を呼び止める。
 「注文したドリンク」
 美香は、そう言って受け取りカウンターの方へさっさと行ってしまった。
 カフェのテーブル席に残された初対面の由利と二人きりでは、何となく気まずい。加えて、彼女を目の前にして鼓動が高鳴る自分がいる。アイスカフェを一口飲んで気持ちを静め、彼女に改めて軽く会釈をした。
 彼女もこちらを見ると申し訳なさそうに軽く会釈をする。
 ほんの僅かな彼女との遣り取りだが、互いに悪い印象は持ってい無さそうな雰囲気が感じられた。
 改めて彼女に声をかけようとしたら、美香が注文したドリンクを持ってテーブルに戻って来た。
 「はい、これ由利のアイスカフェオレ」
 美香が由利にドリンクを渡す。
 由利は、ドリンクを受けてとると軽く頭を下げてお礼を言い、アイスカフェオレを一口啜った。そんな他愛無い彼女の仕草が可愛い。
 「海斗さん、ごめんね。急に友達の由利を連れてきちゃって」
 由利が肩をすぼめて、申し訳なさそうにしている。
 「あの、すみません。もしお邪魔だったら、私、席外します」
 また軽く頭を下げた。
 「あ、ぜんぜん! 大丈夫です」
 邪魔どころか、むしろ、行かないで欲しいし、ここに居て欲しい!と、咄嗟に願う。

 先週、以前勤めていた会社の後輩である美香から、相談に乗って欲しいと頼まれ、今日ここのカフェで会う約束をした。で、由利がカフェで同席することになった流れは、美香がここに来る直前に駅で大学時代の友人である由利と偶然に出会い、なんだかんだで話が盛り上がり、この後、美香は由利と一緒に食事をすることになったとのことで、人懐っこくて屈託ない性格の美香だから、直前のメッセージで『友人と一緒にいくね~』という流れで、今に至るわけだが、由利を一目見た時から、そんなことは、どうでもよくなっていた。

 「海斗さん、ちゃんと聞いてくれてる?」
 心ここにあらずの自分に、美香が詰め寄ってくる。
 「も、もちろん聞いているよ。それで相談の要点は?」
 「それでね・・・」
 美香の相談内容は、以前担当していたプロジェクトの内容についてだった。質問に色々と答えながらも、向かい側に座っている由利のことを常に意識していた。
 「とまあ、そんな感じで仕事を進めていくといいよ」
 「なるほど!ありがとうございます」
 「いえいえ、どういたしまして」
 仕事関係の話をしていたのは、ほんの数十分だっただろうか。
 「山根さん、分けわからない話に付き合わされて辛いですよね?」
 突然の同席で本人と関わりのない仕事の話なんて、退屈だし居心地が悪いだろうと思う。
 「いえ、興味深くお話し聞かせて頂き、勉強になりました」と、深くお辞儀をされた。
 「でも、私が同席してお話を伺っても大丈夫だったのでしょうか?」
 「大丈夫。守秘義務に関わる様な話でもないし。ね、海斗さん?」
 「まあ、社外の人に聞かれても問題無い業界の一般的な話の範囲とはいえ、どうなんだろうね」
 すると、由利は「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げる。
 「いや、山根さんは何も悪くないかと。小谷さんに半ば強制で連れてこられたのだろうし」
 「由利、ごめん!」
 「私は大丈夫だけど・・・」
 そう言うと由利は、隣に座っている美香を軽く突いた。
 「山根さん、ホント気にしなくて大丈夫ですよ」
 自分が美香にアドバイスをしている間、由利は、とても興味深く真剣に自分の話を聞いていた。その真剣な表情と眼差しに、美香にアドバイスをしていることを忘れ、由利を何度も見ながら説明していたので、幾度となく彼女と話をしている様な錯覚に陥った。



 その日は、美香の相談以外で、由利と何かしらの会話をしたはずなのに、どんな会話をしたのかもよく覚えていない。記憶に残るその日のことは、自分の向かいに座る由利の姿と、別れ際に由利が美香に何かを耳打ちで伝えたときの仕草だった。

 帰り際のあの時、由利は美香に何を耳打ちしたのだろう。まさか、自分との仲を取り持ってくれ、とか?まさかね。

 何となくだが、由利も自分に気が合ったのではないかと思っている。そう思うと、出会ったばかりのその日から、溢れる思いを抑えつけられず、直ぐにでも彼女に自分の想う気持ちを伝えたかったが、いきなりそんなことをしたら、彼女は引いてしまうだろう。だが、それくらい心を奪われている。
 しかし、何も行動に移さなければ、もう二度とこんな気持ちになれる女性とは出逢えない。だからこそ、慎重に彼女との関係を築いていく方が無難だと考える。直ぐにでも気持ちを伝えたいが、出会って間もないし、第一に、そんな大胆な行動を取ったら、この先、彼女と二度と会えなくなる方のリスクが高い。
 当たり前だが、そんな直ぐに自分の想いを伝える事なんてできない。

 だったら、先ずは気軽に連絡を取り合うことが出来る友達になれることが先決だ。

 そんなモヤモヤした思いを抱えながら、先ずは、彼女と友達になるべく行動に移すことにした。由利の連絡先は知っていた。美香がグループ登録してくれたおかげで、彼女と直接メッセージを遣り取りする切っ掛けはできている。そうは言っても、メッセージアプリに登録されただけだが。それでも、彼女との接点が出来ているので、最初の一歩は踏み出しやすい。

 先ずは挨拶から。そこから、色々と話題作りの為のネタを探し、彼女が話に乗って来た時には、さりげなく自分アピールしながらも、彼女に嫌われることがないよう慎重に会話を進める。

 彼女とメッセージを交換し始めた頃は、四六時中彼女と何を話せばいいかとか、そんなことばかり考えていた。少しでも、彼女との距離を縮めたくて、彼女の返答から見極めつつメッセージを送り続けた。  
 何より嬉しかったのは、ほんの些細なメッセーじでも、彼女は丁寧に返信をしてくれたことだった。そんな対応されたら、都合の良い解釈だと思うけど、彼女に少しは好意持たれているかなとか、そんな風に捉えてしまう。

 梅雨の晴れ間、昼休憩でオフィスビルから外に出ると、澄んだ青い空と新緑の街路樹が初夏の陽ざしで色鮮やかに輝く風景が目に映る。こんな日は、都会から抜け出し何処かに出かけたくなる気持ちに誘われる。そんな、今の気持ちを彼女に伝えたくてメッセージを入れた。
 『毎日雨が続いていましたが、今日は良い天気ですね?こんな日は、仕事じゃなくて何処かに出かけたくなりませんか?』
 特に彼女を誘い出そうとか、そんな意図はない。ただ今思う気持ちを伝えたかったメッセージだけど、直ぐに既読がついた。そして、瞬く間に返信がくる。
 『ホントですよね、私もいま丁度そう思っていたんです。こんな日は、どこか行きたいですよね(^ ^)/』
 どこか行きたい?それって、自分と一緒に行ってくれるってことかな。しかも、テキストの最後に絵文字付き。あ、いや、そういう日ですよね、って言いたいだけなのかな。などと考えていると、何だかくすぐったくなる様なメッセージを貰って、少し距離が縮んだ様な気がして嬉しかった。
 『それじゃあ、今度天気が良い休みの日、一緒にお茶でもいかがですか?』
と、勢いで送ったメッセージだが、送信して直ぐに後悔した。あまりにもバカっぽくないか?天気がいい休みの日にお茶でもって・・・・。
 彼女から直ぐに返事がきた。

 『いいですよー行きましょ!』
 
 結果オーライってことだよな?これって。
 携帯の画面を見つめて、思わずにやけてしまう。



 アスファルトに反射した太陽の陽射しが眩しく、夜になっても蒸し暑さが残る頃には、気軽に食事くらいは出かけられる仲になれた。由利と過ごす時間が多くなるにつれ、彼女との距離感が着実に近くなっていく実感がわいてきた。
 緑鮮やかだったモミジの木が綺麗に紅く染まる季節には、ドライブに出掛けたり、映画を観に行ったり、楽しい時間を沢山一緒に過ごすことができ、お互いに深く色々と思うことを共感できるようにもなっていった。
 由利は、一見大人しい感じだが、実は芯がしっかりしていて自分の意見をきちんと持っている女性だ。彼女と話をしていると、彼女が聡明だということがわかる、だからと言って、嫌味もなくとても自然体だ。

 ある日、彼女と次に何処へ行くか考えていたら、ちょうどニュースで日本人女性宇宙飛行士の話題がニュースで盛り上がっていた時期で、取引先から博物館の宇宙飛行士特別展示会チケットを貰ったので、デートとしては華やかさに欠けて、ちょっと地味かと思っていたのだが、話題性もあって悪くはないだろうと思い誘ってみた。
デート当日、今日はさらっと見て直ぐに食事でも行こうと考えていたところ、彼女があまりにも熱心に展示物や文献を眺めているので意外に思い、熱心に見ている彼女に興味あるのか尋ねてみた。

 「山根さん、こういうの好きなんですか?」

 夢中に文献を読んでいる彼女に話しかけると、由利は目を輝かせて「はい」と、答える。そして、宇宙にまつわることから物理学など、彼女なりに思うことを沢山話してくれた。彼女の話す内容に少し理解できないところもあって、相槌で精一杯もあったが、楽しそうに夢中で話す彼女があまりにも素敵で、内容はともかく熱心に聞き入ってしまった。
 由利は、「あ、何だかつまらない話を沢山一人で喋ってしまって、ごめんさない」と、急に我に返りペコリと頭を下げる。そんな可愛い彼女の姿に、自分の心は完全に奪われっぱなしだった。

 いつも由利と話をしていると、楽しくてあっという間に時間が過ぎ去っていく。
とにかく引き出しの多い彼女は、自分がどんな話題を振っても、それを上手に展開してくれる。話題を振ったのは自分の方なのに、いつのまにか彼女の話す内容が自分の話をもっと面白くさせていく。そして、一緒に沢山笑ってくれる。そんな楽しませてくれて屈託のない由利とは、全く信仰心の無い自分が、いつまでも彼女と一緒いさせて欲しいと神様に願ったくらいだ。



 吐く息が白くなり、都会でありながらも澄んだ夜空に星が綺麗に輝く頃になると、お互いの気持ちが一緒に歩む明日へ向かっていると信じてやまない、そういう確信を持つようになっていた。

 「もうすぐクリスマスだね?由利さんは、何か予定あったりする?」
 彼女を誘うつもりで聞いた予定が、由利から、
 「私は特に予定はないのですが、海斗さんに予定がないなら一緒に食事でもしませんか?もちろん、ご迷惑でなければ・・・」
 と、逆に誘われてしまった。
 「もちろん!24日は由利さんと一緒に過ごしたいと思っていたので」
 「じゃあ、決まりですね」
 「それでは、当日のレストランの予約とか、後で幾つか候補連絡します!」
 
 今まで由利と一緒に過ごしてきた時間を思い出してみる。
 結構いい雰囲気だったじゃないかな。いつの間にか、お互いに呼び合う名前も、苗字から名前に変わっているし、それに、クリスマスイブも自然な流れ?で、彼女と一緒に過ごせるプランを考えている。
 だから、確信していた。彼女の気持ちも自分と同じに違いないと。
 今まで何となく曖昧な関係だったので、クリスマスイブの日は、由利に告白して一気に距離を縮めるつもりでいた。

 街がクリスマス一色で覆われ一段と賑やかなイブの夜、彼女の為に用意したプレゼントを鞄に入れ、待ち合わせ場所のカフェで淹れたての熱いコーヒーを飲みながら、今夜のイベントに期待を寄せていた。

 今日を境に、由利を恋人にする。

 ”今夜という特別”な日に合わせ、ちょっと予算オーバー、いや大幅に予算オーバーしたクリスマスプレゼントも意を決し購入した。

 あとは、自分の気持ちを伝えるだけだ。
 
 どのタイミングで気持ちを伝えればいいのだろうか?
 あれこれと考える。
 そんなことを考えていると、緊張して手のひらにジワリと汗をかく。
 いざ、その時が来たら、気持ちを伝えることが出来るだろうか?
 隣の椅子に置いてある鞄を開けて、彼女に渡すプレゼントを改めて見つめ、行動に起こさなければ何も動かない!と言い聞かせて、自分を勇気づけると同時に自らを奮い立たせた。

 そろそろ待ち合わせ時刻になる。カフェのドアを開けて、誰かが入ってくる度に、由利かどうか確認する。

 来た!

 入り口で立っている彼女を見ていたら、これから事を起こすことへの期待と不安で緊張してきた。それでも、今まで彼女と過ごした時間を振り返り、絶対に上手くいくと自分自身に言い聞かせる。自分って暗示にかかり易いタイプなのだろうか、それとも、あれこれと考え過ぎて吹っ切れたのか、近づいてくる彼女を見ているうちに、興奮と緊張が入り混じって高揚した気分に変わった。

 カフェの店内を見渡す彼女に軽く手を挙げて、自分がここにいることをアピールすると、それに気づいた彼女が真っすぐこちらに向かってきた。

 何て言葉を最初かけたらいいんだっけ?

 心臓の鼓動音が大音量で耳元に鳴り響く。

 緊張しているせいか、そんなに広いカフェの店内ではない筈なのに、彼女がここに向かって来る時間がスローモーションの様に長く感じる。
 だが、近づいてくる由利の表情を見て少し違和感を覚えた。

 何だろう?少し様子がおかしい。

 明らかにいつもの由利と雰囲気が少し違う彼女が、黙って俯いたまま向かい側の席に腰をかけた。

 「何かあった?」

 これが、今の雰囲気で彼女にかけられる精一杯の言葉だった。
彼女がゆっくりと顔を上げると、その表情はとてもシリアスで、どこか悲しく、怒りともとれる表情だった。そして次の瞬間、彼女が何かを言っていた。

 ・・・・・・・。

 先程まで彼女が座っていた席をぼーっと眺め続けていた。

 それが起こったのが、数分前なのか、数十分前なのか分からないが、彼女が来てから席を立つまでの間に起きた事を何度も何度も思い出してみる。
 彼女は、「ごめんなさい。今晩の予定はキャンセルにしてください。それと、また改めて連絡します」と言っていただろうか?
 そう言い残すと、たったそれだけで席を立って去ってしまった。
 青天の霹靂とは、まさにこのことなのだろう。
 一体どういうことなのか、さっぱり状況が掴めないままでいた。
 彼女と会う直前までは、幸福感で一杯に包まれていたのに、彼女が去ってしまった今は、奈落の底へ叩き落された自分がいる。
 何故彼女がそんな惨い行動に出たのか、その場で彼女に理由を訊きたかったのだが、あまりにも衝撃的すぎて、何をどうしたらいいのか分からなくなって、ただ黙って彼女を見送るだけになっていた。
 隣の椅子に置いてある鞄の口から、今夜、彼女にプレゼントする予定だったリボンの付いている小さな白い箱が視界に入る。
 放心状態で心が何処かへ飛んで行ってしまい、鞄から見える白い小さな箱ともぬけの殻となった自分を空中から眺めている気分だった。
 とりあえず、今夜のレストランのキャンセルをしないと・・・・
 携帯電話でレストランに電話を入れる。
 「あ、あの、今夜の予約、キャンセルさせてください。もちろん代金はお支払いします。すみません」そう伝えると、電話を切った。
 心にポッカリと穴が開き、悲しさみが急に込み上げてくる。カフェを出て自宅に着くまで、どこをどう辿って帰宅したのかさえも、途中のことは一切記憶に残っていなかった。

 あの日から、由利にしつこい人と思われないように気を付けながらメッセージを入れていた。彼女からは、明らかに深く関わりたくないという感じの返事がある程度で、歳末の頃になると、由利にメッセージを送っても返信はなくなり、いつからか連絡を取り合うこともなくなっていった。

 何か自分に落ち度があったのだろうか・・・?

 新しい年を迎え、待ちゆく人々が今年の抱負を抱きながら活動する頃になっても、自分は、由利と会った時のことを思い出したり、過去の綴ったメッセージのやり取りを読み返したりと、まだ心は去年の時間を彷徨っていた。
 とにかく何度も何度も何が原因だったのか、あれこれ自問自答を繰り返しては、見つからない答えを見出そうとしていた。素直に彼女に訊けば簡単なことなのに、それが何故か怖くて彼女に理由を尋ねることはできなかった。

 由利と出会ってからは、美香に何かと由利のことについて相談してきた。由利と出会って間もない当初は、彼女が自分のことをどう思っているか、彼女はどんなことが好きなのかとか、とにかく美香と会っている時は、由利の事を根掘り葉掘り聞くものだから、厭きれられたくらいだった。そして懲りずに今も、由利のとのことについて相談に乗ってもらっている。
 由利と頻繁に会って上手く付き合っていた時期だけは、美香の方から逆に、どんな状況なのかとか、上手くいっているのかとか、都度連絡が来ていたが。

 梅の花が咲く季節のある晩、いつもながらの相談に乗ってもらうために、美香を食事に誘った時のことだった。
 今や二人のすっかり馴染みとなったダイニングで、美香に色々と話を聞いていて貰っていた。そんな折、突然、美香から交際を申し込まれた。

 美香に、「最近由利と会った?」とか、由利に関してのたわいない話とか、どんなに小さなことでも自分にとっては重要な情報源で、とにかく、美香から何か一つでも目ぼしい情報が得られないかと色々と聞きまくっていた。ただ、期待もむなしく、美香からは、これといったものを訊き出すことはできなかった。
 酔いも程よく回って来た頃、美香が飲みかけのワイングラスをテーブルに置き、俯くと一呼吸つき、改めて自分を真っすぐ見つめ直し、突然、衝撃的なことを言った。
 「あのさ、言いにくいことだけど・・・・、」
 美香が何かを言いかけて、溜息をついた。
 「由利には付き合っている人がいるよ」
 一瞬、美香が何を言っているのか飲み込めなかった。

 由利に付き合っている人がいる?一体なんのことだ?

 由利と会っていた時、彼女にそんな素振りはなかったし、むしろ自分に対して明らかに好意を抱いている実感さえ得られていたくらいだ。だから、そんなことは絶対にありえない。
 「いや、ありえないよ!そんな風に思う様な素振りも山根さんにはなかったし、それに、それに・・・・、」
 頭をハンマーで殴られた様な衝撃を受け、何かを言いたいが、言葉が詰まって上手く言えない。

 「もしかしたら、由利は、海斗さんに気を遣って言えなかったとかじゃないかな」
 「そんなことないと思う」
 咄嗟に否定した。
 実際、そんなことない。由利は、そんなことを隠したりして自分とあんな風に時間を過ごすことなんてできない人だ。
 美香との間に沈黙の風が吹いた。
 すると、美香が自分の顔を真剣に見つめ直してきた。
 「私だったら、そんな思いさせないよ。好きな人に・・・、海斗さんは好きな人だから、そんな思いさせないよ」
 一瞬、目の前にいる美香が何を言っているのか理解できなかった。
 「私と付き合えばいいじゃん!」
 今、目の前いる美香から告白をされた。
 ただ、美香が何を言おうと、それら言葉は、自分の心に留まることなく通り抜けていくだけだった。
 「ごめん。今は、何というか、そんなこと言われても、考えられないから。小谷さんとは良い友人関係だと思っているし。これからも」
 いつもは活発で明るい目の前の美香が、とても小さく見えた。美香の気持ちが十分すぎるくらい伝わってくる。自分も由利に告白をしようとしていたあの時と同じだから。だけど、何よりも、今は目の前の友人ではなく、由利のことしか考えられない。
 その後は、何となく美香と気まずい雰囲気になって、美香のまだ一緒にいたいって気持ちが手に取るように分かったが、自分は由利のことでショックを受けて頭が一杯になり、とにかく早々にその場を立ち去りたかった。
 そんなことがあって、その日は、色々と衝撃的な夜だった。

 あの日の夜から数日がたった。美香からメッセージが来ていたかが、できる限り彼女を傷つけまいとやんわり美香の気持ちに応えられない旨、交際の申込を断り続けた。
 それからも、『美香の気持ちには応えることが今は出来ない』と、出来る限り彼女を傷つけまいと断り続けてきたが、その度に美香は『私、待ってるから』と返事をよこした。
ある日、これ以上、美香に期待を持たせる曖昧な態度も良くないだろうと思い、
 『美香は、彼女の代わりにはなれない。それに今はまだ、由利のことが忘れられない』
と、メッセージを送って美香にはっきりと断った。
 そのメッセージを境に、美香からのメッセージは来なくなり、お互いに連絡をすることも無くなった。

 時は無情にも過ぎて行き、ふとした何気ない合間にぼんやりと、由利のことを思い出す日々が暫くは続いた。その頃は、まだ心の中から彼女との楽しい思い出を消すことが出来なかった。大切な思い出であり、まだ暫くは、その記憶の世界に浸っていたかったからだ。
 心を癒すには時間がかかる。
 季節が来れば、その季節に纏わる由利とのことや、由利と訪れた場所に来れば、彼女の楽しそうな笑顔と幸せだった時間、彼女と見たり話したりしたことを思い出すばかりだった。

 柔らかい日差しと暖かい風を感じ、厚手のコートを脱ぎ、ジャケット一枚で歩ける頃になると、由利との記憶もぼんやりとして、彼女に対する気持ちは少し薄らいでいた。心に少し余裕が出来てくると、今まで気づかなかったことを思い返す様になる。
 そう言えば、由利と気まずくなるほんの少し前、彼女が時折不安そうな表情を見せていた様に思えた。
 あの頃の彼女は、自分に対して気を配っていたというか、あえて明るい表情を見せようとしていた感じだった。そんな彼女を見て、きっと仕事が忙しいとか、そういう類のことなのだろうと勝手に思い込んでいた。もちろん、何か不安なことがあれば、いつでも相談に乗るからとも伝えていたし、自分も精一杯の気配りをしていたと思う。
 でも、もしかしたら、その時、由利には別に好きな人ができていたのかもしれない。あの時の不安そうな表情は、そういう意味だったのかもしれない。
 だとしたら、今、由利を失ったこの状況は、然るべき運命であったということなのだろうか。彼女との楽しかった時間は、自分の単なる思い違いで、彼女が自分のことを好きだと思い込んで舞い上がっていただけかもしれない。出会ってからの彼女が自分に向けていた笑顔も何もかもが、全て自分の都合の良い様に思い描いていた勘違いだったのかもしれない。

 恋は盲目って言うのは、まさにこういうことなのかもな・・・・。

 過去の色々なことを思い返す度に、そういうことだったのだろうと思い込むことで、彼女に対する気持ちの記憶を書き換え、一つ一つの思い出を消すことで自分の気持ちに踏ん切りをつけてた。あの時の浮かれていた自分を記憶から抹消し、何もなかったんだと、そう自分で思い込み、由利のことを忘れる努力をしていた。

 日が経つにつれて、由利のことで胸を痛めることもなくなっていた。
 それもそうだろう。もともと、何も始まっていなかったのだから。
 一時期は、由利へ告白していないことに対し後悔の念が強かったが、今はむしろ告白しなくて正解だったと思っている。告白して、結局のところ彼女にふられて傷つく自分を想像すると、やはり告白していなくて良かったと安堵し、そんな風に考えていると、時間と共に彼女の面影を追いかけることもなくなっていく。
 告白なんて、とんでもない。わざわざ傷つく思いなんてしなくて良かった。全てが正解だったんだ。
 そう自分に言い聞かせることで、由利のことを気持ちの中でどうでもいい存在として扱う様にしていた。

 再び毎日雨が降る季節が訪れると、風の便りで由利が結婚をすると聞いた。

 その話を聞いて幾日か過ぎ去った頃、由利を知っている友人から、結婚式は都内の教会で行われること、由利が、どうしてその相手と付き合い結婚するのか色々と経緯を話してくれた。

 由利と結婚する相手は、彼女の父が勤める会社の取引先相手で、会社を経営しているらしい。
 一昨年、街の飾りつけがクリスマスから新年を迎える行事の準備に追われる頃、彼女の父親が半ば強引に進めたお見合いで知り合ったという。
 父親がお見合いを由利に奨めていた時期、由利には、桜が満開に咲く季節に出逢った男性に好意を寄せていた。だが、その男性には、既に交際相手がいるとのことを、クリスマスを迎える直前に、その男性を紹介した女性から聞かされて知ったという事だった。由利は、その男性に交際相手がいると友人から聞いてから、連絡を控えるようになったらしい。

 その話を聞いた時、忘れかけていたあの時の気持ちが再び蘇ると同時に、心の奥で何かが重くのしかかる気持ちだった。もし、その話が事実ならば、あの時、自分が由利をしっかりと掴まえていたら、彼女に告白をしていたら、今とは違う未来を描けていた、ということなのだろうか。

 “もしかしたら、結婚する相手は自分だったのではないだろうか?”

 ふと、そんな思いもよぎったが、再びあの時の気持ちを蘇らせることなく、彼女を想う気持ちに蓋を被せると、彼女の全てを忘れることにした。
 なぜなら今はもう、彼女と一緒に過ごした、あの時間には戻れないのだから。

 明日、その彼女の結婚式がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?