ドネーション制(お気持ち制)のライブを企画してみた【どきどき当日編】
【わくわく準備編】の続きです↓
物販の女神がほほ笑む
予想を大きく上回り、Tシャツには17枚の注文が入った。
なんてありがたいことだろう。
その結果、なんとライブ前に、収支が黒字になることがほぼ確定した。
このままいけば、ドネーションの全額と当日の物販の売上の大半を、ケンスケさんにお渡しできることになる。
あとは、当日のポーチと記念絵はがきの売上にかかっている。
「ドネーション」が意味するもの
実は今回のライブは、「ドネーション」というものについて改めて考えるよい機会にもなった。
「ドネーションをいつ回収するか?」というのがちょっと話題になったからだ。
本来であれば、パフォーマンスのあとに集めるのが筋なんだろう。
「パフォーマンスに対するドネーション」というとらえ方で。
ただ私は、今回に関しては、それに対して違和感があった。
もちろんみんなはケンスケさんのライブを聴きにくるので、「ライブに対してドネーションをする」とはいえる。
でも、本当にそうだろうか。
観客のほとんどが、もう何度も何度もイベントやセミナーやリトリートで共にときを過ごしている気心の知れた仲間たちだ。
遠方から、飛行機や新幹線でやってくる仲間もたくさんいる。
だから私は、自信を持っていえる。
みんな、ケンスケさんに会いにくるのだ。
ケンスケさんを応援しにくるのだ。
ケンスケさんとケンスケさんの歌に、ドネーションをしにくるのだ。
イメージはクラウドファンディングに近い。
パフォーマンスの質がドネーションの額に影響を与えるだろうか?
おそらく、それはない。
ケンスケさんのライブが、聴いてみなければわからないほどクオリティが乱高下することは絶対にないし、みんなもそのことはわかっているはずだ。
「ドネーションは先に回収しよう」
そう決めた。
ライブが終わってからの時間的制約も、その決断を後押しした。
ライブ本番を迎える
歌とか音楽には不思議な力がある。
音楽を聴いて元気が出たり、慰められたり、癒やされたり、それが人生に欠かせない人も多いだろう。
ケンスケさんの声にも不思議な力がある。
端的にいえば、それは癒やしと浄化。
ケンスケさんが歌い始めると、目を閉じて聴き入っている人が何人もいた。
ケンスケさんの声を聴いていると、瞑想をしているかのように、ふんわりと心地よい状態になるからだ。
その日のケンスケさんの声は、歌い出しのオリジナル曲「風」から好調だった。
そして、曲を経るごとにじわじわとボルテージが上がり、「鳳凰の歌」で完全にスイッチが入ったのがわかった。
こうなると、もはや歌っているのはケンスケさんであってケンスケさんではない。
ケンスケさんを超えた深き深き源、いうなれば「静寂」の奥底から伝わってくる何かが、ケンスケさんのやわらかい声をとおして会場に静かに満ちあふれた。
そうだ、私が求めていたものはこれだ。
探してもなかなかにたどり着けない「静寂」というおそらくは無音の世界から派生するものを、ケンスケさんはこうやって三次元の音と響きに変換して私たちに伝えてくれる。
つまりは逆だ。
ケンスケさんはその繊細な声で、その「静寂」の世界に限りなく近い場へと私たちをいざなってくれるのである。
わかりやすくいえば、私は「ケンスケさんの歌を生で聴きたい」から、このライブを企画した。
それをわかりづらくいえば、私は「その静寂の末端に触れたい」から、このライブを企画したのである。
まあ、そんな難しい話はどうでもよい。
何も考えなくても、みんなそれぞれが「肌で感じている」のだから。
この日ケンスケさんが歌った曲は、多岐にわたった。
オリジナル曲は、「風」「玉響(たまゆら)」「名前のない暮らし」「神様の声」「鳳凰の歌」「アマテラス」「言葉にならないよ」「dance dance dance」「龍の唄」「願い」など。
ケンスケさんがギターを始めるきっかけとなった、ビートルズの「Let It Be」、ジョン・レノンの「Imagine」。
青春時代にどハマりしたという尾崎豊の「卒業」。
旋律が美しい薬師丸ひろ子の「Woman」。この曲は、ケンスケさんの声にとても合っていて、驚いた。
もう定番となった楽しい楽しい「オー・シャンゼリゼ」。
そして、渾身の「アヴェ・マリア」。
私はケンスケさんがこの曲を歌うのを聴くと、いつも不思議な気持ちになる。
後半のファルセットからは、もう男性が歌っている声とは思えない。
なんだか時間と空間を超えて、別の時代のどこかで別の誰かが歌う歌声を聴いているような感覚になるのだ。
この日の「アヴェ・マリア」は、ケンスケさんにとっても最高の出来だったようだ。
ケンスケさんの声に寄り添うように奏でられるAちゃんのピアノ伴奏も、本当にすばらしかった。
時間に少し余裕があったので、新曲まで歌ってもらえるというおまけつき。
ケンスケワールドにどっぷりと浸かった2時間だった。
オフ会ではお約束のサプライズ
ライブのあとは、久々に「麒麟の会」(ケンスケさんのコミュニティ)のオフ会が開催された。会場は、ケンスケさんの故郷である北海道の食材を使った創作料理のお店である。
こじゃれたお店で、とてもおいしい料理とお酒を堪能できた。
でも、もちろんそれだけでは終わらない。
ケンスケさんの“苦手な”サプライズが2つ用意されていた。
ひとつは、前回【わくわく準備編】で書いたケンスケさんへのメッセージのお披露目である。
この大役は、遠路はるばる福岡と鹿児島から駆けつけてくれたKちゃんともうひとりのSちゃんにお願いした。
この役目を打診するにあたり、KちゃんとSちゃんとはちょっとおもしろいやりとりがあった。
最初に連絡が取れて快諾してくれたSちゃんに、私は聞いた。
「ぶっつけ本番がいいですか? 練習したいですか? 練習したければ、事前に原稿を送ります」
それに対するS ちゃんの返事はこうだ。
「ぶっつけ本番で。(練習すると)思考が入っちゃいそうで」
私はこの返事を読んでうなった。
さすが、ケンスケさんのもとでVisionを学んだ仲間だけのことはある。
そうだ、思考はうそつきだ。思考は過去か未来だ。
この件をKちゃんに伝えると、「それでは私もぶっつけ本番で」と返事をくれた。
KちゃんもVision仲間である。
そして、そのときがやってきた。
司会のTさんが趣旨を告げると、ケンスケさんの顔に一瞬にしてとまどいの表情が浮かんだ。
「なんてことをしてくれるんだ、こんな公衆の面前で」と思ったかどうかは定かではないが、例えていえばそんな感じだ。
誰がどのメッセージを書いたのか、KちゃんもSちゃんも知らない。
2人は初めて見て初めて読む文章を、一語一句漏らさぬように、ゆっくりと丁寧に読み上げてくれた。
まさに今この瞬間の、臨場感あふれる想いが届けられたのではないかと思う。
さらにもうひとつのサプライズは、ライブの収支の発表とギャラの贈呈である。
もちろん、収支の発表とギャラの贈呈については、ケンスケさんにも事前に伝えてあった。
サプライズはその「金額」だ。
前述したように、事前に黒字はほぼ確定していたが、当日にポーチ12個が完売したことにより、それが確定した。
経費が相殺されておつりがきた。
だが、それ以上に注目すべきはドネーションの金額である。
これは集計していた私も驚いたのだが、最終的な参加者14人分のドネーションの合計金額は、事前に試算した額の約1.8倍だった。
だから、ケンスケさんにお渡しできるギャラの合計は、「想定した額の1.8倍のドネーション全額+物販の売上の残金」となった。
「存在給」という言葉を、私は久しぶりに思い出した。
ドネーションを先に回収するとか後で回収するとか、まったくどうでもいい些末なことだった。
みんな、ケンスケさんの存在に、ドネーションしてたんだなあ。
想定外の紙幣の厚みでパツパツになった封筒を、ケンスケさんにお渡しすることができた。
これは嬉しいサプライズだったのではないだろうか。
巡り、巡る
オフ会で読み上げられたメッセージに、私はこう書いた。
ケンスケさんを慕う仲間はみんなケンスケさんのことが大好きだ。
でも、ケンスケさんはそのことに気づいていない節がある(笑)
いや、ときどき忘れているだけかもしれないが。
今回のライブでそのことを少しでも感じて(思い出して)いただけたなら、ライブを企画した甲斐があるというものだ。
そうでなくても、なじみ深い仲間とともに、とても楽しくて有意義で貴重な体験をさせていただいた。
ケンスケさんの歌声を再びみんなで共有する機会が持てたことを、とてもありがたく思う。
私にとってささやかだがひとつうれしかったことは、ライブが始まる直前に、受け取ったばかりのTシャツにわざわざ着替えてライブに臨もうとする仲間が少なからずいたことだ。
わくわくしている気持ちが伝わってきて、心がほわっと温かくなった。
さて、楽しい時間にも終わりがある。
オフ会の最後の最後で、ケンスケさんから十分すぎるほどのご芳志をいただき、ありがたくオフ会の代金の支払いに充てさせていただいた。
ごちそうさまでした。
そう、こうやって巡り巡っていくのだ。
お金も、愛も。
おしまい。