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社会科学系の研究者から見たベルリン(ないちゃんのぼやきnote)

ベルリンとプラハに合わせて10日弱一人旅にでたないちゃん。

社会科学系の研究者なりの?気付きや、文系研究者ネットワークによって更なる知識もゲットしたりと、単なる旅行が結局研究につながりそうなシーズを発見できました。
わたし、えらいな←

観光地を巡りつつも、ないちゃんがどのように感じ、どのように考えたのかをシェアできればと思います。
ポッドキャストではベルリンでの人との出会いを中心に話しましたので、気になる方はぜひポッドキャストもお聴きください!



墓の文字は死者からの最後のメッセージ?

ベルリンの特徴はなにか?と言われると、アートではないかなと思います。
街はグラフィティ(壁にスプレーで描くアート)で溢れていて、さまざまな戦争やナチ期の記憶をアートで残しています。

日本は、沖縄にあるひめゆりの塔や広島の原爆ドームのように、こういう事実があった、というのを伝えるスタイル。
一方でベルリンは、アートを通じて当時の人々の感覚を感じさせるスタイルだったのが印象的でした。

そのなかでも、ベルリンに訪れた観光客が必ず行くのは、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal für die ermordeten Juden Europas)かな?と思います。


虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

中心に向かうにつれて、石碑が大きくなり、周りの情報が遮断されます。この閉塞感が当時の人々の感覚を再現しているとのこと。
これに似た方法は、ベルリン・ユダヤ博物(Jüdisches Museum Berlin)でも用いられていて、平衡感覚の不安定さや暗闇から、展示だけでは伝わらない恐怖や動悸を体験できます。


ベルリン・ユダヤ博物の体験型展示

ないちゃんが思いを巡らせたのは、記念碑に何もメッセージが掘られていないということでした。
墓参りが趣味のパートナーに連れられ、日本のさまざまな記念碑や石碑を見に行くことが多いのですが、そこには亡くなられた方への敬意を込めたメッセージや、亡くなられた方の最後のメッセージが掘られていることが多いです。
そのメッセージは、その方がどういう方だったのかを断片的に理解する手がかりになります。

今回ベルリンでみた記念碑は、「アートであるから」ということもあると思いますが、何も描かれておらず、日本の石碑慣れしてるないちゃんからすると(?)、そこで亡くなられた方一人一人の個性が見えない…いや、むしろ虐殺とはそういうことなのか…と思いを巡らせたわけです。

地上にある防空壕?

ベルリンではさまざまなアートに触れたないちゃんですが、そのなかでも最も前衛的で、ある意味理解不能だったのは、ボロスコレクション(Boros Collection)でした。


ボロスコレクションの外観

学芸員さんが美術館の成り立ちを説明してくれるのですが、その建物自体が防空壕→バナナの保管庫→ナイトクラブ→美術館と変化していて、そんなことある!?と最初の驚きが。

そもそも地上に防空壕ってどういうことなの?と疑問だらけだったのですが、防空壕として利用していたというよりもユダヤ人を強制収容所に送る前の待機所だったみたいです…
かつ、急ピッチで建設しなければならなかったということで、地上に作ることになったということのよう。
そして、バナナの貯蔵庫になったのも、当時バナナが高価なもので、熟す前のものを輸入した結果、周りにバレないように熟す場所が必要だったみたい。

つまり、ユダヤ人の待機所にしろ、バナナにしろ、ナイトクラブにしろ、世間から切り離す場として機能していたのか…と思うと、そこに自分がいることが不思議でしたし、閉塞感も同時に感じました。

いまは、さまざまな現代アートが飾られていますが、その空間は時に人の待機所であることを思い起こさせ、時にナイトクラブ感を見つけることができます。
アート自体は、ないちゃんの美術感性が鈍感なのか全く理解できませんでした笑

どうでしょう。ベルリンの旅の記憶を綴りましたが、社会科学の研究者感ありますかね??笑
不安になりつつも、次はプラハ編です!
お楽しみに〜


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