コーチとしての自信がないという悩み
新米コーチの相談に乗る中で、
「セッションに自信がない」
「コーチとして自信がない」
もしくは(大変申し訳ないけれど)明らかにそう見える人がいる。
その気持ち、痛いほどよくわかる。
私も自分に自信が持てず、くすぶった時期を経験している。
何とか歯を食いしばり、たくさん失敗して、たくさん泣いて、やっと自信がついたころに、また自信を無くすようなことが起こったりする(他のコーチに力の差をみせつけられる、など)。
私にとっては通らなければいけない道だったのかもしれないけれど、
それでも今、同じような気持ちで歯を食いしばっているコーチたちに何かしらのヒントになれば、と思い今日は私の考えを記してみたい。
「自分のコーチングを評価する」という考えを捨てる
自分のコーチングに自信があるか、もしくは自分にセッション力があるかどうか、と言う考え方、そこにはクライアントの存在が入るスキがない。
クライアントにとって必要な物を提供したのか、ではなく、
「私のセッションはどうだったのか?私、私…」
まずは「自分のコーチング力がどうか…」という視点を捨ててみることはできないか?
自分のコーチングに自信があろうとなかろうと、目の前にいるクライアントはコーチを必要としている。
想像してみもらいたい、もしあなたが泳ぎに自信がなくても、
ある日、目の前で自分の子どもが川で溺れていたら、一心不乱に助けに川に飛び込まないだろうか?
「泳ぎに自信がないので、もっと上手になってから助けに行きます」
などと言っている暇はない。
そしてまた、実際に溺れている人を助ける経験をして初めて泳ぎが上手になるわけで、泳ぎが上手になったら溺れた人助けられるわけではない。
「コーチングに自信はないけれど、クライアントを見つけたい」
という発想は、自分の泳ぎに自信を持ちたいので、溺れている人を探してみる、ことと同じようなものではないか?
それはあまりに発想が自分中心すぎるし、それで手を差し伸べられた人はいい迷惑である。
まずはあなたが本当に助けたい人、助けられる人が誰なのかを考える。本当に助けたい、と言う気持ちがあるならば、そこでくすぶっている時間などないはずだ。
「誰にでもセッションができます」という嘘
コーチングの講座では、「コーチは誰にでもセッションすることが可能です」という言い方をすることがある。つまりクライアントの専門分野に精通していなくても、コーチングセッションをすることが可能だ、と。
これはロジカル的には正しい。でも実際には誰にでもセッションをすることができるわけではない、と私は思う。
何故ならクライアントを助けるためには、クライアントとの強力なラポール関係を築けることが大前提だし、クライアントがコーチに求めるものは人それぞれであるから。
セッションに自信がない人ほど、「誰にでもセッションをすることが可能です」と言う。でも実際には助けられない人もいる。
自分がコーチングをやる目的が「自分に自信をつけるため」ではなく「自分を必要としている人のサポートをするため」であるならば、「助けられない」と判断した場合にはセッションをお断りする勇気も必要だ。
あなたを必要としている人はどこかに必ずいる。
「泳ぎたい」という理由で誰かを助けようとしたとき、あなたはきっとその人と一緒に溺れてしまう。
あなたが助けられる人は、今も溺れながらどこかであなたを待っている。
まずは目の前のクライアントに集中して、自分の評価など、投げ捨ててしまおう。