熱愛時代 #音楽の履歴書
その家へ向かう坂道は、両側に小さな食堂や飲み屋が並んでいて、いつもなんだかいい匂いがしていた。鼻腔に美味しい空気を吸い込み味わいながら、軽い足取りで坂をあがるのだ。
坂をあがる前に、コンビニの公衆電話から「もう着くよ、何か買っていくものない?」と聞くのが常だった。そうしておくと、玄関をピンポンした後すぐに開けてくれるから。いつもの笑顔とともに。
私の家から見て、大学の敷地を挟み反対側のエリアにその家はあった。三階建のアパート。上から見るとアルファベットのH型をした変な建物で中庭や渡り廊下があった。エントランスを入り一棟目を抜けた奥の階段を上がって三階へ。階段のすぐ横が目指す部屋である。
幾晩、その部屋で朝を迎えただろう。
幾晩、寝ないで語り合っただろう。
叶うならば、また、その部屋に行きたい。
その部屋の主は、ふたばちゃん(仮名)という。
大学時代の私のツレである。
もちろん、女子。
初めてその部屋に遊びに行った時のことを昨日のように覚えている。
何かの新歓コンパの後、帰る方向が同じだったのでついて行ったのだ。なんの心構えもせずに入ると、もうそこにはふたばちゃんの巣であって、ふたばちゃんワールドが私を呑み込んだ。
一言で言うと、物だらけ。
実家からありったけ全てのカセットとCDと本とコミックを持ち込んであったのだ。ベッドの下、フローリングの床の上には、お宝が詰まったまだ開封していない段ボール箱が所狭しと並んでいた。彼女の中の一軍と思われるコンテンツたちはすでにいい感じで本棚やライティングビューロー(本物)に並べられていた。どおりで「一人暮らしを始めるのに家族総出で、一日中、物を運んだ。」と言ってたわけだ。そして、大学生協で揃えたカラーボックスで構成された私のワンルームとは違って、そこはオークやウォルナットでできた重厚な木製の家具達で部屋が構成されていた。(ふたばちゃんは後から考えるとどうやらお嬢。)その隙間という隙間にぎっしりと本とコミックとCDが詰め込まれているのが見えた。
私は私立の進学校で高校生活を過ごしてきたため、3年間、体の外側からの圧により知識を詰め込まれるだけ詰め込まれてきた。それが急に終わり、「何を吸収しても良いよ」という開放感の中、初めて自分の内側からの喉の渇きに気がついたところだった。
いくつもの昼を共に過ごすよりも、たった一晩を共にするだけで、かけがえのない人になりうる。
高校時代、毎日一緒に小テストを受け、同じグループでお弁当を食べてきた女子達とは、明らかに異なる手応えをふたばちゃんから感じていた。
ふたばちゃんのオーディオセットは、キーボードの下に鎮座していた。その部屋はふたばちゃん本人が演奏する音とふたばちゃんがセレクトした洋楽の洪水だった。
Chicago "You're the Inspiration"
まさに、ふたばちゃんにビビビときたのである。
a-ha "Take On Me"
その日から、私は足しげくその部屋へ通うようになり音楽のシャワーを浴びた。お父様がFMのエアチェッカーだったそうで、お父様の字がびっしりと書き連ねられたインデックス付きのお宝カセットもたくさん持ってきていた。
世代を超えて膨大な数の曲に精通しているから、よくレコメンド攻撃を受けたなあ。
Billy Joel "Honesty"
ふたばちゃんは、「将来何になりたい?」という私の問いに即答で、「おかあさんみたいになりたい」と答える人だった。
きけば、「何でも作れて何でも知ってて何でも理解してくれる、万能な存在」なんだって、おかあさん。
そのおかあさんを守っている人、おとうさん。
ふたばちゃんは、いいご両親に育てられたようだった。
実はふたばちゃんは、割と度胸がすわっていた。しかも、意外と図太い。
大学の敷地内を耕して勝手にさつまいもを植えていたし、学内の薮からドクダミを収穫してきて、部屋で干してお茶を煎じたりしてた。
だから、部屋に行ったときに出される飲み物には、ちょっとだけドキドキするのだった。
「今日は、なんのお茶だろう?」
ふたばちゃんのベッドの前に一畳分くらいのペルシャ絨毯が敷かれいて、そこにクッションを持ってきて寝転がるのが私のお気に入りだった。どうやって入手したのかよく分からないヨモギのお茶をすすりながら、恋バナを延々と話す。その部屋のなかで静かに洋楽は漂っていた。
Bangles "Eternal flame”
今でも、あの一連の夜は永遠だ。
一回も出席したことのない講義のレポートを、手元にある友人のノートのコピーから想像してどうにか捏造した夜。
仕送りまでまだ遠いのに古本屋で漫画を大人買いしてしまって、手元に残った少ない食材を持ち寄ってやった給食合宿。
Richard Marks “Right Here Waiting “
ベランダの向こうに見える四角い濃紺の空が下の方からうっすらと白みはじめているのに気がつくのが常だった。
「ああまた講義に出なくては」
そう思いながらも、いつまでも音に身を委ねていた。
後から振り返ってみると、分かる。
友情においても、その人の背景を全て知りたい、吸収したいと思う熱量が振り切れていた瞬間が人生の中で何度か訪れている。
あれは熱愛時代だった。
今日、文化の日が誕生日のふたばちゃん。
おめでとう。
「私の誕生日はいつもお休みなんだよ!」
って自慢していたね。
今日もゆっくりと過ごしていることでしょう。
あの時は音楽のシャワーをありがとう。
☆☆☆
こちらの企画に参加させていただきました。
いろんな書き方があって良いとのことでしたので、学生時代にのみフォーカスした仕様となっております。
輪に入れて嬉しいです。