Life goes on. #リュクスなクリスマス
遠いあの日、夫と別居していてもクリスマスは来た。
窓の外には大きな公園が広がっていた。
公園のさらに向こう側には、無数の建物と、灯りがともった小さな四角い無数の窓が見えていた。
ここはどこ?
🕯
クリスマスイブ、夫は私の家に車で迎えに来てくれた。娘は「パパの家に泊まりに行く」って大はりきりで持っていくものをどんどんスーツケースに詰めていた。
ぬいぐるみ。
ふわふわのフリースブランケット。
お気に入りのお菓子。
「ママもおしゃれしてー!」
そう。私も泊まりに行った。
その年の夏に別居し始めてから4ヶ月が経とうとしていた。
私が生まれ育った地方は古くからの慣習が残る農村で、その濃すぎる人間関係の中で疲弊した夫はノイローゼになった。そこから離れることで元気を取り戻したいと言ったので、私は止めなかった。ある意味、“一人旅“に出ているようなものだと思って送り出した。(娘には「仕事の関係で」と説明した)
夫は、私と娘を嫌いになって別居したのではなかったから、電話を毎日かけてきたし、連休になるような週末には泊まりでの企画をした。私と娘は、都会にある別荘に行くような気持ちで、美味しいものを買い揃えて遊びに行ったものだ。
でも、季節は変わって行く。
暑かった夏が終わり、昼の時間がだんだん短くなって、空気が冷たく透明になっていった。それでも、夫は帰ってくるとは言わなかった。私は少しだけ疲れてきていた。
なんのためにクリスマスなんてあるんだろ?
クリスマス、来ないでいい!
サンタ、私のために仕事してくれ・・・。
🕯
夫の部屋に入ると、何だか色々と頑張った様子が伝わってきた。夫の借りた部屋は、大きな公園に面していて見晴らしがよく、古いけれど三面採光でもともと居心地が良かった。その窓辺にはキャンドル。視線を移すと、こじんまりした部屋の真ん中に温かいこたつがあって、そこに夫が揃えた食器やスプーンやナイフそしてシャンパングラスがきちんと並んでテーブルセットされていた。
娘はキャーって言いながら、お気に入りのぬいぐるみを取り出して並べ始めた。娘のむき出しの喜びを目にして私はハッとした。
--そっか、はしゃいで良いんだ。
もてなそうとしてくれている夫に乗っかってもいいと初めて思ったのだった。私は、上着を脱いで寛ぐことにした。こたつに入ると、じんわりと暖気が体を包んだ。
その日のディナーは、よくしゃべる娘とそれに応える夫で賑やかに進んだ。
娘はいっぱい話した。
学校の先生とリースを作ったこと。
クリスマスリースだけど、いろんな飾りをグルーガンでどんどんつけて行くうちに正月飾りに近づいていっておめでたいリースが出来上がっていた。それを、嬉しそうに話す娘。心底おかしそうに聞く夫。
テーブルは「昨日はいなかった人」同士が相手を吸収し味わい合う空気で満たされていた。私も、よく笑って、よく話した。
話しながら考えた。
この部屋は、昨日の晩、誰も話す人がいなくて静かだっただろう。私と娘がかけた電話。今日の打ち合わせを終えて、電話を切ると、あちら側とこっち側に切り分けられて無音が際立つ。その中で、夫は一人であれこれ準備したのかな。
私たちは別々に住んでいる。
だからこそ、あわあわと光って映る食卓。
全員が数日間だけだと思い知っているその食卓は、切なかった。
ねえ、サンタさん。クリスマスなんて来ないでいい、って思ったけれど取り消すね。ありえないくらい尊い瞬間だねえ。
誰かが来るために準備をしたり、
誰かをがっかりさせないために思いやったり、
誰かを喜ばせるために精一杯明るく振る舞ったり、
私たちは今、できることをやっているよ。
🕯
その日、窓の外には、灯りがついた無数の窓が見えていた。
灯りの下にもいろんな人がいて、いく通りもの生活を営んでいたはずだ。
私は、今でも思い出す。あの時の食卓を。
Life goes on.