私が、表現規制反対派を始めたのは、2014年のTVタックル事件のときからである。実は、それ以前からもこの問題には関心を持っており、非実在青少年問題のときも、ニュースで取り上げられるたびに目を釘付けにして見ていたものである。

私が表現規制反対派として、主に守っている分野は萌え絵と性表現である。もちろん、表現の自由を守る者として、政治的表現や暴力的表現の自由、その他言論の自由や個人の尊重といった、ほかの問題にも積極的に意見し、行動してきた。これは言うまでもない。

昔から日本では、その高度な表現の自由と表現者の創作意欲、技術によって多くのジャンルを生み育ててきた。できる限り多くのジャンルについて触れたいが、文字数をあまり多くできないから、一つだけ言う。

私は、前々から、事あるごとに萌え絵萌え絵とうるさい程に言ってきた。これはもちろん、規制派が萌えを良く狙ってくるからという理由もあるが、私はどうしても、この国の女性ヒーローのジャンルを絶やす、あるいは規制だらけにするということは、どうしても避けたい。

1966年 魔法使いサリーの原作マンガが出てから、ヒーローというものは男性か戦隊においては男性がリーダーを務めるという定義を良い意味で壊した。それから50年以上、経過した今でも、名前や作風は変わったが、様々な分野に進出。この日本生まれ、日本育ちの女性ヒーローたちの漫画やアニメは最初は非常に好調であったが、まどマギの頃から、雲行きが一気に怪しくなる。実は、それ以前にもセーラームーンが叩かれていたりしたことはあったが、さすがに魔法少女系の同人を持ち込んで逮捕された例や、プリズマイリヤが販売禁止になった国も出てきて、ロリコン規制の矛先が向けられるようになったという傾向には驚いた。SNSが普及した最近では、プリキュアの抱き枕まで狙われた。私はプリキュアを1作一作見たわけではないが、ニュースやネット記事でプリキュアの取り組みとかを見ていても、なぜ叩かれる必要があるのかと思うばかりである。さらにこれらのジャンルとともに成長した萌え文化についても、よく標的される。

私はこの、日本生まれのヒーローと表現技法を守るために、この活動に参加した。私のことを、裏で「ポルノの自由戦士」などと呼んでいる者もいるらしいが、大いに結構、好きにするといい。でも、私が守っているものはポルノではなくヒーローである。

そういうことを言うと、なぜキャラを学生にする必要があるのか、キモオタに媚びているとか言う人が出るが、別に理由を一つ一つ説明してやる必要はない。どうせ、見ている年齢層に合わせてるとか、最初は弱いところからの成長過程に感動するからという理由を説明しても、彼らは理解しない。