Xには最近いませんが、実は裏でいろいろ動いてます。表現規制反対派は辞めてないので、リアルで動くようになりました。
なんかウマ娘のCMが炎上したり、しまむらの出した服のデザインが炎上したり、みんなゆとりがなくなったなと思います。嫌いなものは見ない、買わない、関わらないがなぜできないのか。
弱者を排除してもまた新しい弱者の概念が登場する。弱者を差別したいというのは、動物としての人間の本能なので、いくら排除しても無駄なのだ。
日本の精神障害ある人の中には、ネットの過激な論調に触れすぎて、悪化した人もいると思う。あと、妙に安楽死を希望してるのも、ちょっとなと思う。精神障害でも明るく生きる方法はあるんだけどなぁ。
最近のクレカ会社、以前よりもずっと厳しいな。ついにfanza同人とかでも使えないものが出てきたし、アダルト決済専用のサービスとかが必要な流れになるかもしれないね。
発達障害が増えてるのは「普通の基準」が上がりすぎたせいだと思う。マルチタスクできて当然、ワンオペできて当然、ミスしないのは当然、少しでもできないと変な人扱い。昔は単純労働があったから変な人も平気だったが、今はそれが少ないし、発達障害が知られてきたから、その枠に押し込まれてる
障がい者福祉の世界には「愛される障がい者像」という言葉がある。 これは、健常者に愛される(好まれる)障がい者の傾向のことであり、学術的に決まった定義はないが、一般的に「障がいに甘えず、健常者と同じ働きをするよう努力して、適度に社会に頭を下げながら弁えている人」と言える。 この愛される障がい者像が、問題になることがある理由は、ある意味において健常者からの障がい者への押し付けや、選民的思想(健常者の都合で大事にする障がい者を選べるという考え方、健常者に障がい者の社会的生殺与奪
現代で、とても広がりつつある「多様性」を尊重しようという論調だが、果たしてどれだけの人々が多様性の意味を理解して動いているかは疑問が残る。 実際、諸外国の例なども含めると「多様性」が本来の意味ではない全く別の方向に進んでいると言わざるを得ない事例が増加している。 これから先も、多様性を尊重あるいは大切にしようという「論調」や「雰囲気」は強くなると思うので、多様性を尊重しない多様性に巻き込まれないように、私なりになってしまうが、少し「多様性」の話をしたいと思う。 本来「多
安楽死問題、最近にもテレビで特集があったから話すけど、この特集の反響がネットに多く見られたが、弱者とされる人々が、自ら安楽死を進んで希望している状況がみられ、これは非常にまずいことであると思う。自分で自分を追い詰めている人が、それだけいるという事だからね。
怒るの控えようと思います。どうしても障がい者の現状とか聞くと怒りがちなんですけど、怒りまくると、顔に出ますし、ストレスも貯まりますから、あまり考えずに「やりたいこと」を優先します。あと、やりたいことのために肌の手入れと食事改善、ポテチは食べない(特に袋菓子)とかを始めました。
ライブ参加時のおすすめ② ライブは、ジャンルにもよるが、長いと休憩なしで3〜4時間くらいぶっ通しである。そのため、利尿作用があるカフェインや砂糖が多いジュース類を飲み物として持って行くのは不向きです。おすすめは麦茶、カフェインゼロでミネラルもある程度はとれますので。
ライブ参加時のおすすめ① ライブはスポーツ、ペンライト持つ場合は、控えめでも結構な運動量あるので、普段の食事以外に、カロリーメイトやウィダーinゼリーみたいな、高カロリーで手軽に食べれるものを持っていき、栄養補給できるようにした方が体力もちます。(ゴミは持ち帰りましょう)
表では絶対に言えないが、表現規制は確実に進んでる。国家権力や地方自治体も表現規制に関することはしてるけど、一番の問題は「市民」が規制を求めてるから、そして価値観の違いによるものだ。国家権力は憲法に縛られるが、市民なら縛られない。表現規制は進んでるよ、市民の手でね。
近年は「禁止用語」があまりにも増えている。 禁止用語が増えているのは「差別だから」とか「時代遅れだから」と言った理由が多く見られる。 しかし、実際の差別や偏見はその用語すなわち「言葉」を禁止、制限すれば解決するのだろうか? 言葉を禁止しても、内心や制度上の差別は残り続けることが殆どである。 つまり「口にしなくなるだけ」なのだ。 実際の差別は減らず、逆に心の中に溜まり続けているのに、表面上だけは差別がなくなったように見える。 つまり言葉の禁止だけだと「差別が地下に潜る」だ
今朝、またXで「安楽死」がトレンドになってたね。 この国の弱者と呼ばれる人のなかには、自分なりの希望や生き方を見つけられず「死」に頼る人がいる。理由も苦しいとか迷惑をかけたくないという理由だ。弱者が死を求める社会について、多くの人は気にもしない。
表現規制から生まれるのって、それによって「好き」を奪われた人の怒りと無意味な対立、分断だけで、表現規制によって性犯罪や差別が減る保証は全くない。でも、何か「対策した」気になりたいから、多くの人が表現規制に「すがる」のよね。