表現の自由戦士
【はじめに】
この記事は、以下のnote記事に関連しています。
読まなくても、内容は把握できるようにしていますが、興味のある方は、ご参照ください。
1 表現の自由戦士と規制派(規制派と反対派の対立についての意見)
最近では、主にTwitterや一部のまとめサイトなどにおいて、表現規制派と反対派の対立が過激化している傾向が見られる。なかには、単純に叩きたいだけではないか?と疑うほどのものもある。表現の自由戦士側の具体例としては、他人のツイートをスクショして、それを加工して遊ぶ。あるいは、特定の政党や個人を名指しして、暴力的な言葉を何度も書き込むなどが見られる。規制派側の具体例としては、表現規制反対派に対して不適切な呼び名や名前で呼ぶ。自分の意見に従わない人々については、身内であっても容赦なく攻撃する。などが見られている
このような現状は、正常な議論環境に悪影響を及ぼす。しかし、絵師やオタク系の企業が、インターネットで商品紹介や販売を行う現在の状況や、地方の表現規制に関する情報の第一報が、ネットからもたらされる現在の情勢を考えると、SNS上での議論に制約を設けることは、思わぬ有力な情報や、個人の活動範囲を狭めることに繋がる。また、表現規制反対派のみが、手を引けば、規制派が絵師や企業への攻撃を活発化させることも心配される。
現状を考えれば「もう、ネットでの議論は無駄だから止めよう」というのは、おすすめできない対処法である。そのため、私は、最低限、これだけは守った方がいいマナーについて考えてみた。
その1 「無駄な引用リツイートは控える」
(公式サイトや記事の引用は除く)
その2 「スクショで遊ばない」
(少なくとも、勝手にスクショを加工して4コマ漫画を作って遊ぶようなことは控えたほうが無難だと考えている)
その3 「レスバをしない」
(これは、あなたのアカウントの安全性を高めるために有効、他人のためというより、自分のためにしてほしいこと)
その4 「特定政党や宗教、団体を名指しで批判することが目的であるハッシュタグは作らない(例 #〇〇〇党・会は表現規制派の手先 など)」
この4つを、多くの表現の自由戦士が守ってくれるだけでも、ずいぶん状況は良くなると思う。この4つ全てを守ることが難しくとも、意識はしてほしいなあという個人的な感情はある。
一応注意しておくと、これらは「事実に基づく批判」や「個人的な意見や感想を表明すること」を妨げるものではない。あくまでも「名指しで、汚い言葉を使って、拡散用のハッシュタグも用意して、気に入らない相手は論破してやろう!そのためなら、他人のツイートをスクショして利用してやる!」みたいなことは避けたらどう?という程度のものである。
2 なぜ、こんなことを言うのか
たぶん、私がこのようなことを言い出すのを、不思議に思う人がいるかもしれない。念のために言っておくと、表現規制反対派は不利な戦いをしている。世間は「規制派の味方」に近い人も少なくない。そういう、厳しい情勢を把握している人ならすでに「表現の自由運動」をより広く拡大するためには「マニアックなオタク」に訴えかけるだけではなく「一般人のなかのオタクに理解がある層」や「かつてマンガやアニメを見ていた層」にどう訴えていくか、いかにして「中立派・穏健派の議員を増やすか」も重要であると考えている人がいるだろう。
私は、いまの表現規制反対派の一部の人たちの過激な発言が「一般のオタク層や規制派ではない一般人」に「表現規制反対派は危ない人たちだ」と認識されたり、逆に表現規制派が「表現の自由戦士に叩かれました!」と被害者モードになることを心配している。
つまり「無駄な敵」を作ってしまったり「味方」を失うことに繋がる。
そのためには、可能な範囲で表現の自由戦士のマナーを向上させる必要がある。表現の自由を守るため「0.1ミリだけ」我慢してください。と言いたい。
先ほども言ったように、できる範囲で意識してもらいたい、それだけです。
インターネットやSNSの可能性は無限大です。自分から、その可能性を狭める、余計な規制をおびき寄せるような行為をする必要はないでしょう。
あなたのその批判、スクショで4コマ漫画を作らなくてもできませんか?
あなたのその意見、レスバ以外でも伝わりませんか?
3 もちろん表現は自由だが「責任」もある
それでも、他人を名指しで、面白がるように叩きたいという人を止める気はないが、表現の自由には責任もセットである。私はそんなに有名人じゃないからよいとか、責任を問われないということにはならない。
議論ができないなら、意見を言えばいい、その意見を拾って議論の材料にしてくれる人もいる。決めつけず「こうではないか?」という文章形態であれば、基本的には問題にならない。一番まずいのは事実確認をせずに「〇〇が表現規制をした、こいつは敵だ」と断定してしまうこと。同じことをやさしく言うならば「○○等が表現規制に関わったという情報が出ている、もし本当ならば、具体的な説明がほしい」みたいにすれば、個人攻撃をしたとは言われにくい。言い方を変える、工夫するだけでも、全然違う場合もある。
「長文は読んでくれない」という人もいるだろうが、文章としてまとまっていれば、見てくれる人は見てくれる。積み重なれば「この人いいことを言ってるな」と興味を持ってくれる人が増える。スクショを使う時は、相手の名前を隠すだけでも、全然違う。プライバシーを守ります、という姿勢を示すだけでも反応は違ってくる。
4 これから先のネットでの議論
私は、表現の自由やオタクに関する問題についての議論を「一部の学識者の特権」にはしたくないと考えている。だからこそ、対立が激化傾向にある今の段階でこの記事を書いてみた。こういう対立が過激化し、お互いが疲弊しているときにこそ「もう、お前ら黙れよ」みたいな人が出かねない。そうなったら非常に面倒である。私は、表現の自由を守る活動を本当の意味での「市民運動」にしたいと思ってる。幅広い人が自由な意見を言える環境を守るためにも、最低限度の自制を求めたい。これは、表現規制反対派や表現の自由戦士だけの問題ではない、表現規制派にも、同じことが言える。