ゾーニングへの意見(限定的ゾーニングという考え方)
最近では、インターネットを中心に、様々な場面で「公共の場での表現」が問題になることが増えている。ネットニュースでも「萌え絵の問題」や「政治的表現」については問題視されるケースが見られ、社会においても世代間ギャップの要素や思想の違いによる影響はあるものの「オタクコンテンツへの視線」が相変わらず厳しいものであることは再認識する必要があります。
私の場合、オタクコンテンツが今後も、厳しい世界情勢や国内外の世論のなかで、社会と共存するためには、いくつかのシナリオというか、考え方を持っています。その一つが「限定的ゾーニング」です。
ただ、このゾーニングは「従来のゾーニング」とは、多くの点が異なります。また、これを実現する場合、多くの先生方や活動家、業界団体の皆様の協力が必要となり、簡単ではありません。実施後も、不適切な運用がないかを観察する必要があります。正直に申すと、諸刃の剣と言える愚策です。やる必要がない状態が理想です。
私は今まで「一般社会との共存」や「一般人を取り入れた広い意味での表現規制への反対の必要性」をnote記事に書いてきました。
今回は少し、トゲのある対応方法の一つになります。
ただし、上手く実施すれば「一般的な表現規制寄りの人々」を納得させることは可能になります。
先ほども書きました「限定的ゾーニング」には、従来のゾーニングと決定的に異なる点が4つあります
1 目的は「成人向け作品の区分陳列」と言った意味合いではなく「見たくない人の見ない権利の確保」であること
2 年齢制限はしない。
なぜなら「成人向け」を区分けするためではなく「全年齢表現でも、それを不快に思う人への配慮であり、子どもに見せないためではない」から
3 基本的には「壁で覆う」「暖簾をかける」「18禁表示」はしないで、成人向けブースとは別の方向の店内の最も奥に配置するとか、入口から見えない位置や窓のないエリアに置くなどの「ソフトなゾーニング」を行うこと
4 入口で確認する場合は「年齢」ではなく「見たいかどうか」の「意思確認」(R18についてはこれまでと同様に成人向けブースに置くため不要という意味。限定的ゾーニングは全年齢のなかでも萌え系やホラーなど不快感を与えやすいものをワンクッション置き、見たい人や買いたい人だけがアクセスできるようにするという趣旨であるため、年齢確認はしない)
まあ、イメージとしては「深夜アニメの原画展」や「公式ストア」で入場時に「これらのものに不快感や嫌悪感は持たれませんか?」という確認をすると言えばわかりやすいですかね。
これを完璧にできれば少なくとも「良識ある規制派」は、オタクコンテンツについて、文句は言えなくなります。なぜなら「見たい」という意思表示のある人だけを入場させるからです。また、外から見えないようにしておけば普通は文句を付けられません。
ただし、これの副作用としては「それでもラディカルな人は納得しないこと」それに、ある意味では「オタクが社会に忖度して引っ込む」という解釈を招くため一部の人が調子に乗る可能性があること、運用が過度に厳格になり「勝手な年齢制限を始めたり、オタク側からそれを要求する声が高まる可能性」を否定できないため、継続的に制度の見直しや観察が必要になり、人手が必要になることや手間が増える恐れがあります。
この「限定的ゾーニング」は、街のアニメショップなどから「不快感を与える恐れがあるジャンルや作品」を「店の奥や窓のないエリアに配置」したり「エリア入場時に、これらに不快感を感じないかの確認」をするため、ある意味では「検閲」や「有害指定」に近い要素があります。そのため、限定的ゾーニングに従事する人々に「これは年齢制限のための措置ではなく、全年齢作品のなかにも不快感を感じ、余計なクレームや販売停止を求める人がいる。そういう人を極力防ぎ、見たくない人の権利を守るための措置である」ということを強く、繰り返し指導する必要があります。
これは言い換えれば「18禁」と「全年齢」の間に「要注意全年齢作品群(全年齢だが、クレームリスクや不快感を与える恐れがある)」を作ることになりますから、慎重になるのは当然です。最初に「限定的ゾーニング」は「諸刃の剣で愚策である」と言った理由はここにあります。
これに指定されたことが一種の「レッテル(烙印)」にならないように観察し、場合によっては見直しが必要になります。
また「R18に対するゾーニング」とは「異なる」という点を説明する必要もあります。この「限定的ゾーニング」は本来、ゾーニングを必要としないものを敢えて「準ゾーニング」のような管理下に置くことにより「我々は、見たくない人の権利にも寄り添っている」そして「公共の場での表現に留意している」という「アピール」です。
正直、痛みや犠牲を伴う「表現の自由防衛の苦肉の策」です
できれば使いたくない手段です
ですが、近年のネットでの炎上や国際社会からの「表現規制圧力」は目に余るものがあり、オタクやクリエイターの「団結」もかつてほど高くないことを考えると、最終手段としては頭の片隅に入れておいて損はない考え方だと思っております。
もちろん、これを実施する場合「オタク表現」を不快に思う側の人にも「徹底した不干渉」や「好きな人が楽しむ自由を妨害しないこと」は求める必要があります。つまり言い方は悪いですが、雑にまとめると「私たちは、配慮をして隠れました。あなた方も、私たちに関わらないでください」ということです。結末としては対立したままなので、バッドエンドですが、とりあえず「オタク的な表現を守る」ことだけはなんとかできます。
「限定的ゾーニング」が実施されないことを切に願います。
本来、ゾーニングはすでに十分なのですから―。