「オタク市民」という考え方について
はじめに
近年では「オタク」の定義や範囲も拡大しており、オタクだと自認する人も増加傾向にある。また、オタクも「アニメやゲーム、マンガなど」に限らず、自動車や電車、ミリタリー、船、飛行機、パソコンなど、多くの分野で日常的に用いられる言葉になってきた。
今回、説明する「オタク市民」は、基本的にはマンガやアニメ、ゲーム及びその周辺分野(アイドル、フィギュア、ラノベなど)を対象にしている。なるべく、その他のオタクにも理解できるように配慮するが、対象は先ほど述べたような分野のオタクを想定しているため、あらかじめ書いておきます。
1 「オタク市民」 ってなに?
まず、一言注意しておくと「オタク市民」という言葉は学術的な定義などはなく、個人の意見と考察によるものです。そのうえで、オタク市民とは何かをお話しする。
「オタク市民」とは、ざっくり言うと「一般社会や地域に積極的に参加し、最低限の共通認識(いわゆる【常識】)は守りつつ、自らの好きなものを楽しむオタク」である。もっと短く言えば「一般人に適合し、言う事は言って守る事は守るオタク」とも言える。
2 「オタク市民」に定義はあるのか?
基本的にオタク市民にはっきりと決められた定義はないが、考えられる定義の例としては以下のようなものがある。
・法律や条例を守る。どうしても承服できない法律や条例には、正当な方法で抗議や意見を言う。(容易に荒らしや誹謗中傷に走らない)
・コラボイベントなどの際に丁寧な対応ができる、マナーを守れる。(ゴミのポイ捨てやコラボ先の地元の方や店員への雑な言葉遣いは控える)
・オタク当事者として、政治や社会問題に興味、関心を持ち、可能な場合は議会の傍聴や政治家の報告会などに行き政治に参加する
・身だしなみや衛生面などに注意する。
・ネット上でも、規制派のツイートや投稿をスクショに残し、無断で4コママンガを作って遊んだり、勝手にスクショ同士を対決させるような加工をして玩具にしない。どうしてもスクショを使う必要がある場合、相手の名前やアイコンは隠すなど、最低限のネットマナーを守れる。
3 今、なぜ「オタク市民」が必要なのか?
現在、ネット・リアルを問わず「表現規制派」の活動が活発化している。
なかには、過剰な暴言や大量クレームなどの問題行為を行う者も確認されており、リアルでも撮影禁止の場所の画像をTwitterに投稿する、画像を加工して自らに都合のよいようなものに仕上げる(大阪ロフトの件で複数の方より指摘されていた、リボンの画像のことです)といった行為が確認されている。
こういった情勢のなかでは、オタク側もただ戦い、相手を晒しているだけでは、勝ち目はない。いずれ規制派も戦法を変え「丁寧路線」になるだろう。乱暴な言葉では、一般層の支持は得られませんからね。
また「社会的合意」という法規制に頼らない表現規制の新手法も登場している。ここでオタク側の対抗法として重要になるのが「オタク市民」の概念を用いた「草の根戦法」である。この方法は時間もかかるし、結構大変な点もあるが、確実に効果が出る。
今後起きる事は「社会的合意」と「弱者の仮面」を用いた法規制によらない表現規制、またの名を「自主規制の強要」である。このとき重要な要素に「世論」がある。世論が「自主規制すべき」という方向に傾けば傾くほど、規制派は得をする。言い方を極限まで雑にすれば「一般人」という「支持層」の取り合いである。どれだけ多くの一般人を味方につけ「クレーマーよりオタクがマシだ」あるいは「規制派より客(オタク)の方を向いて商売をした方が得だ」と思ってもらえるかが重要である。オタクは最悪「金のなる木」扱いをされても「やはりオタクの方がいい」と思ってもらえれば勝ちなんですよね。
さて、一般人にとって「オタクの方がマシ」と思ってもらうためには何が必要かと言えば、まずは「リスクマネジメント的にリスクが低いこと」である。単純に言えば「悪い意味での炎上リスクが低い」ということ。そして「自らにとって害が少ないこと」です。
ここで「オタク市民」の概念が登場する。オタクを客に商売をするのは「エンタメ企業」だけですか?違いますね。広義で考えればコラボ先の「施設や自治体」「オタクコンテンツも扱うIT企業」なども「オタク(も)商売相手」ですよね。そういうときにそのオタクが「いつも誹謗中傷しか書き込まない」とか「店員への態度が雑」では、相手はどう思うでしょう?
「今度からコラボしたくないなあ」とか「ガイドラインを厳しくするか」みたいな感じでオタクへのイメージは低下するよね。
これは、商売側だけではなく「一般層の個人」でも同じ「こいつらいつも暴言だらけじゃん」では印象が良いわけがない。そうなると規制派さんが来た時に「オタクはこういうひどいことをするんです」って言われたら「そうかも」ってなる人が増えますよね。だからマナーを良くする必要があるんです。言葉遣いを考える必要があるんですね。
規制派を批判する際も、スクショをマンガ風にして叩くとか、引用で滅多打ちにするのではなく「引用ではですます調」「スクショ利用なら名前を隠す」「レスバはしない」「言いたい事は自分のツイートで言う(引用やリプ欄では言わない)」といった基本的な姿勢が必要なわけです。
特に「レスバ」は精神衛生的にも凍結リスク的にも良くないので、避けるのが無難。
要は「オタクに対する一般層の誤解や偏見をなるべく解いて、規制派にも過度な暴言など【エサ】は与えず、コラボ先からの評判も良くして、総合的に有利になろう」ということ。これをまとめて、さらにオタクとして政治や社会に関心を持って行動できれば「オタク市民」なわけです。
4 「一般人」を味方につけたい理由は?
これは隠さずに理由を言うと「もはやオタク単独の力ではどうにもならない状況だから」です。
つまり、オタクが意地を張って、一般人や社会と違う方向に向かうのではなく、表現の自主規制の強要や法的な表現規制といった断固、拒否する事柄については拒否するが、それ以外の側面(マナーや礼儀、ネット上での態度、衛生観念など)については、一般社会や一般層に合わせるといった、最低限度の「妥協」や「共存」を目指さないと、今後「オタク」(特に萌え・エロ・グロ・ホラー・オカルト・同性愛系の表現を好む層)は、社会的にも国際的にも先ほど説明したような「新たなタイプの表現規制」によって、自然淘汰されます。
こうなる前に一般層との共存や最低限度の妥協を行うことにより、反オタク的な人を少しでも友好的な姿勢へと変え、オタクへの偏った認識を変えてもらうこと、オタクにもまともな人がいることを理解してもらい、またオタク側も「一般人=潜在的表現規制派」ではなく「一般人=オタクを理解してくれる層もいる」という形で、認識を変えてほしいという願いがあります。
これから先も、オタク表現を楽しむためには、まずはとにかく「一般層」との共存・共栄です。一般人は「敵」ではありません。
凝り固まった規制派よりは遥かに話も通じますし、態度で示せば理解してくれる人もいます。まずは、一般層との共存を図り、今後、表現規制派が、本格的な社会的合意形成や自主規制の強要を始めても、一般層のなかに「仲間」がいるだけで、状況は大きく変わります。
一般層と共存することは「新たな味方」を増やすことにもなるのです。