自分を見つけた3月
子どもの頃は考えるのが好きだった。
人生について。恋愛について。生きることについて。
自分をどう生きていきたいのか。
結婚をして、家族を持って、いつの間にか考えることをやめる癖がついていった。
夕食は何を作ろう?あの人の好きな物。
どこへ遊びに行こうか?子どもの喜ぶ場所。
生ぬるく忙しかった時間もそれはそれで幸せな日々だった。
子どもが県外の大学へ進学することになり、初めて私はこれからの長い日々を自分のために使わなければならなくなった。
もう、自分の意思を持つことなんて忘れてしまったのに。
全部頭の中では理解していた。
いつかこの日がやってくることなんて。
私らしい私をどうやって取り戻せばよいのだろう。
考えることをやめてから数十年が過ぎている。
すぐにはやりたいことなど思いつかない。
当たり前だ。
少し家族に突き放されたような寂しさを感じてもいた。
しばらくの間、じたばたする時間が続いた後、
ひとつの考えが生まれた。
ことばを綴る時間を持ちたい。
そこから始まったライターという仕事。
子どもを大人にするために。
私が一人の個を取り戻すために。
離れている時間がそれぞれを育ててくれる。
あれから2年が経ち、帰省するたびに子どもの顔が、少年から青年へと成長していく。
私が成長できたのかは分からないが、仕事を持ったことで今までとは違う母の顔を見せることができていればいいと思う。
また3月がやってきた。
寂しさに押しつぶされそうになっていた2年前。
あの頃の私は、もうどこにもいない。