闘病日記(20240914)
前回の日記を読んで日本語がやや支離滅裂だなと思うと同時に、あーこの時辛かったよなほんと、よく頑張ったよと自分を讃えたくなる。
移植は強い治療だと散々言われた通り、今回の副作用は今までの治療の中で段違いに辛かった。
気持ち悪いはもちろんのこと、下痢だの免疫不全だの色々なマイナートラブルに見舞われ。その中で何よりも辛かったのが粘膜障害だ。
粘膜、大きく分けると尻と喉が痛い。焼けるように痛い。
尻だけの時はなんとか耐えられるかと思ったが、痛みトーナメントに喉が参戦した瞬間、無理すぎてモルヒネを使った。麻薬デビューである。
それでも喉はずっと痛く何かを飲み込むたびに号泣する地獄の日々だった。薬も飲めず全部が点滴になり、水分過多で一時間毎にトイレに通っていた自分は心からかわいそうだったと思う。
本当にこの日々に終わりがあって良かった。
めでたく移植から14日目に生着が確認された。
カレンダー通りの優秀な細胞たちだ。
今日の好中球数は3500。今まで500が作れなくて退院が延びに延びていた骨髄とは思えないほどの優秀っぷりである。
ここからは白血病治療というよりも、GVHDという予後の後遺症みたいなものの治療をしつつ輸血もしつつリハビリもしつつ、ゆっくり回復を待つという時間。
とりあえず一山超えてほっとしている。退院を目指して頑張りたい。
どれもこれも子供の面倒を見ながら私の治療費を稼いでくれた夫と、全身麻酔で手術して骨髄を私に提供してくれた妹のおかげである。
本当にこの2人には感謝してもしきれない。
と、同時に正直この2人以外に過剰に感謝する必要もないな、と思うようになってきた。
というのも、過去、自分がこれからデカい意味でどうしていきたいか?ということを考えたら「みんなとなかよくしたい」というウソみたいな心に辿り着いたことに起因する。
少し前に西加奈子の『くもをさがす』を読んだ。
病気の情報が目に入るだけでも心が滅入っていた私にとって、癌患者のエッセイを読むことが出来たというのはかなりの心の回復を意味していたと思う。また、この本を読むことで回復したという側面も大いにある。
この本を読んで、自分の現状を思って、その上で(近くも遠くも)未来、どうしていきたいかを考えた時に、出てきた大きな答えが「みんなとなかよくしたい」だったのだ。
人と関わる事がお世辞にも好きだとは言えない自分にとって、かなり驚くべきことだった。
それは、西加奈子が作中でたくさんの友人に助けてもらっていた描写と間接的に関係があるのかもしれない。
はたまた「友人に助けてもらいたい」と思った西加奈子の心自体に感銘を受けたのかもしれない。
少なくとも私は病気が告知された際、親族や友人に助けてもらいたいとは露ほども思わなかった。
それどころかなるべく近い家族以外には広めないでいたいと望んでいた。
それでもタイミング的に話さざるをえなかった友人や、親族から漏れて情報が伝わってしまった人、このnoteにアクセスして病気を知った人など、何人かにはかなり初期の段階で色々と伝わってしまった。
それが望ましいかどうかはさておき、みんな本当に心配してLINEをくれたり、何かあったら助けるからと言ってくれたり、私を元気付けようとしてくれたり。そういうことをしてくれた。
親から漏れ聞いたであろう幼馴染はどうすればいいか分からんとアマギフを送ってきた(通販は入院中も出来るかららしい)。かわいいやつだ。
今はそれなりに回復への希望がある状態だからこれらに対して、私のことを気にかけてくれて本当にありがたいなあと思う。
だけど告知当初の私は正直
「マジでうっせえテメェ自分がこうなってみやがれ病状を聞いてどうする治療経過を聞いてどうする子供の行く先を聞いてどうするお前に出来ることなんか何一つない治してくれねえなら黙ってろお前に話して解決する問題なんて一つもねえんだ二度と軽い気持ちで私の病気に触れんじゃねえカス」
みたいなことを思っていた。
というかそれしか考えられなくなっていた。
治るか治らないかの二元論でしか病気をとらえていない私にとって、病気を治すのに必要なことは善、それ以外は全部悪だった。
今考えれば、病気になったという事象の中にいくつかの問題が内在していたことがわかる。
まず前提として身体が病んでいること。
それに加えて、精神が病んでいくこと、生活が崩れていくこと、行く先の見通しが見えないこと……など「病気になった」ことで起きる問題は現在起きているものより、未来起こるであろうものの方が遥かに多い。
きっと心は告知時点で現在・未来の問題を感覚として認識していたのだろう。しかし、どこかで処理不足があり「身体が病んでいる」という現在の問題だけを自分の問題として認識してしまったんだ、他ならぬ「自分」というものが。
そうすると友人たちとのコミュニケーションも噛み合わなくて当然となる。
彼らは私の精神や生活を助けてくれようとしていたんだから。身体を治そうなどとは決して誰も思っていなかった。
その考え方を理解してから、ようやく自分は「助けてもらいたい」と思えるようになったのかもしれない。
いや、それもちょっと違う。
正確には「助けてもらいたい」と思えるようになりたい、と思えるようになったが正しい。
私にはこんなふうに自分を思いやってくれる人たちが居るのに、その人たちに助けられる事を心が悪としている。そう感じてしまっている。
それ自体をなんとかしたいと思ったんだと思う。
手を差し伸べることは愛で、それを掴むことも愛なんだと思った。
それであれば、その愛を小さなコミュニティ(家族)にしか求められない自分というものが悲しくて。
夢だった生活に戻る前に一考した結果、出てきたのが「みんなとなかよくしたい」という心だったというワケ。
だから卑屈みたいな感謝はもうやめにしたい。
本当にありがたいことにだけありがとうと言って、その価値が薄れないようにしたい。
そしてありがたくないことにはそう言う。その後「やっぱありがたかったわ!」ということになればそれも言う。
なんか分からんけど、結局誠実であることが一番なかよくなるための近道だと思うから、過度に感謝したり謙遜したり、そういうのもう一旦やめようと思う。『素直に君と話したい』とpaioniaも歌っていた。私も素直に君と話したいのだ。
退院までに素直にみんなと話せるようになりたいのだ。
心だけで完結することの方が、実際は労力を使う。だから体力が回復したら実践できるように、今は心をフル回転させて「みんな」との対話に備えようと思っている。