闘病日記(20230417)

ずっと怒っている。怒りに支配されている。
何にも向けられない怒り、やるせなさ、自分が置かれている状況にも、それを外から見ているだけの奴らにも本当に腹が立つ。

実家で預かっている間に息子が足を怪我したそうだ。
それを聞いて、良い加減にしろよと思った。
私の大切な存在に、これ以上辛いベクトルの感情を与えるな。ギプスが外れるまでそのまま実家が息子を預かるそうだけど、有難くもなんともない。

そもそも私がしたくてたまらない息子との生活をお前らが代わりにやってしまっているのに、何を感謝するというのか。
万が一私が帰って来なかった時のために、子供達とパパが三人で生活することを日常にしなくてはいけない。もちろん実家や義実家で交流するのもありだ。だけど息子だけ実家で過ごすってのは色々違うだろ、と思う。

息子からすればなんで妹はパパと一緒なのに、僕はジジババのおうちなんだろう?と思わざるを得ないし、このイノセントな幼児時代の息子を「育てる」のがなんで祖父母なんだよとも思う。
旦那様は頑張ってるんだろうけど、それでもオメエが父親だろ、なんで一緒に暮らせないんだよ、としか思わなくなった。

もし私がこのまま帰れなくなった時、息子の居場所がそのまま実家になっても良いのかよ。
今育てるのがお前じゃなくてどうすんだよ。私の入院中全力でお前が子供達の信頼を得ていくんだよ。

実家の方もそうだ。勝手ばっかり言いやがって。
病気について触れられるだけで精神がもげそうになるほどしんどい今、お前らの興味で進行も容体も聞いてくんな。答えたって何も出来ないくせに。
子どもを預かることは旦那様がしっかりやれば必要ない。親の骨髄もいらない。何の助けもいらないから静観していてくれ。そもそも助けようなんて驕ったことを思わないでくれ。親になんて何も助けられることはない。

子ども達のことを考えるだけで過呼吸になる。40度の発熱もする。(血球が下がっているので)
あんなに無垢な生き物を苦しめるものは、本当に許すことができない。だから子ども達を今苦しめているのが大義では自分だという事実に押しつぶされそうだ。

LINE電話越しに見る息子も娘も可愛くて可愛くて、吐き気に耐えながら画面をずっと見ている。

息子のおしゃべりが上手くなってきた。娘は食べられるものが増えた。この過程をどれだけ見逃せばいいんだろう。
死にたくない。だけど今この時間を子ども達と過ごしたい。

病気してから色々わかったことがある。
振り返れる人生というのは、病気になる前までのものを指すようだ。病気になっちまってからは消化試合だけ。

治れば人生はまた始まるけど、このまま死んだら私の人生は2023年の5月までだったのだと思う。
生まれてから病気になるまでの間の生活にどれだけ満足できただろう。結婚して、子どもが生まれて、家族が出来て、幸せではあったけれど、彼らのこの先を見届けられないと思うと、その不幸の比重の方がやはり大きい気がした。
幸せ、こわいやろう、普通に。とは後藤まりこの言葉であるが、これが今強烈にわかる。幸せは、こわい。なったら全てが完結する。ありていに言えば、それが壊れるのもこわい。

私が誰とも結婚せず、子どもも生まれておらず、ただ日々を消化しているだけの人間だったら、今この状況をどれだけか楽に受け止められただろうと思う。

失うものがでかい。
大切なものが大切すぎる。
全国の皆さんには、大切な人を普段から労わることをぜひお勧めしたい。非日常に足を突っ込んでしまうと、かつてと同じ意味で「労わる」ことは出来なくなる。
労わる、大切にする、もてなす、という類の行為は、対象が健康で初めて成り立つのだと思う。

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