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中村さんはやさしい

10年ほど前、3人の中村さんに出会った。


1人目は喫茶店の中村さん。仕事で知り合った。

店内には、4人がけテーブル席が2つとカウンター。こじんまりとした喫茶店を1人で切り盛りしていた中村さんは、人懐っこくて明るい。淹れるコーヒーにはほんのりと甘みがあって、アイスコーヒーはまろやかだった。

仕事中に空き時間ができるたびに寄り、カウンターでよく話し込んだ。休みの日、食事しに訪れた日もある。素朴でシンプルなピラフは、心にも響く。

母を連れて行ったこともある。年が近いからか中村さんと母はたわいもない話に次々と花を咲かせ、そんな2人を見ていた私も楽しかった。

路地裏にひっそりとたたずむ喫茶店。私が中村さんと話している最中、お客さんが来た日はほとんどない。お店の将来を案じながらも、ゆったりと過ごした。



2人目の中村さんとは、仕事関係のイベントで出会った。

陶芸家の方で、初めて作品を見た時にただただ圧倒された。ふんだんに色を使っているのに落ち着きがあって、どこかやさしい。「きっと中村さんはやさしいだろうなあ」と瞬時に思った。話すと物腰が柔らかく、初対面の私に作品の説明をしてくださった。

SNSでつながり、中村さんの工房で開催するイベントを知った。一人ドライブし、車で約1時間。到着すると「こんな山の中までわざわざ!」とあたたかく迎えてくださった。 

工房の庭に並ぶコーヒーやパンのお店、雑貨店、皆が皆やさしい雰囲気。『類は友を呼ぶ』の通り、きっと、やさしい中村さんの周りにはやさしい人が集まるんだろう。

イベントに行っても、中村さん以外に知り合いはいなかった。しかし、その場で出会った人たちと長い時間話したのをよく覚えている。肌寒い時期で、ストーブを囲んで話した。

テンプレのような自己紹介にはじまり、会話が少しずつつながり、笑い合い、話し続け、気付けば日が暮れていた。



私は生まれも育ちも宮崎だ。

中村さんに出会った2010年から2011年にかけて、宮崎は激動の年だった。


2010年に宮崎県内の複数箇所で、口蹄疫(こうていえき)が発生。牛や豚が感染し、殺処分された命は約30万頭。

防疫のために外出自粛し、イベントは中止や延期。畜産だけではなく観光や物流も影響を受け、宮崎県内の被害額は推計2,350億円にのぼる。

道路のあちこちには消毒ポイントが設けられ、白い防護服を着た方々が車を消毒。宮崎ナンバーの車に乗った人のなかには、誹謗中傷を受けた人もいたらしい。異常な日々が続いた。


2011年1月には鳥インフルエンザが相次いだ上、同時期に新燃岳(しんもえだけ)が噴火。
そして3月11日、東日本大震災。

暗いニュースばかりが報道され、「今できることは何だろう?」「こういう時、何と声をかければいいのだろう?」と考える日が増えた。

思えば、やさしさについて深く考え始めたのはこの頃かもしれない。



暗く沈みそうな時でも、いつだって中村さんはやさしく、どこか強さもあった。

何年も何年も喫茶店で立ち続けてきた中村さん。陶芸と真摯に向き合ってきた中村さん。継続して培ったやさしさの芯のようなものが、言葉やコーヒーや作品に含まれているように思う。


立て続けにやさしい中村さんに会ったため、単純な私の脳内には『中村さん=やさしい』という公式がうまれた。



3人目の中村さんに出会ったのは、2011年春。

SNSで知り合って意気投合し、メッセージのやりとりが続いた。会ったことはなく、最初はお互いの本名を知らなかった。

印象に残っているのは、私が寝落ちした翌日のこと。寝落ちして返信しなかった翌朝、お詫びのメッセージを送ると、中村さん(当時は中村さんとは知らなかったが)から「首が伸びすぎて折れるかと思った」と返ってきたのだ。ユーモアを含んだ待ち遠しさに感動しつつ、また「ごめんなさい」を送った。


あまりにもメッセージのやり取りが途切れないため、1週間後、ついに「会って話してみませんか?」の流れに。

初めて会う日は忘れもしない、土曜。大きな仕事を抱えた前日でもあった。余裕をもって金曜に準備を済ませるはずが、自宅のパソコンの調子が急に悪くなり、土曜も準備に追われていた。大事なイベントの前、私はよくこういう目に遭う。

手際の悪さも加わり、準備は一向に終わらない。泣く泣く、待ち合わせ時間を数時間遅くしてもらった。快く了承してくださったものの、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


いざ迎えた、初対面。待ち合わせ場所は、私の自宅近くのコンビニ。

ドタバタと準備を終わらせた私は、ワインレッドの車を見つけて軽く会釈し、助手席のドアを開けた。

「お待たせして、本当にすみません!あの、飲み物何が好きですか?コンビニで買ってきます!!」とこれまたドタバタ劇を繰り広げた。

今書きながら気づいたが、たぶん、まともに自己紹介せずに会話を始めた。また申し訳ない…。

「はじめまして!えっと、じゃあジャスミンティーをお願いします!」



ジャスミンティーと生茶を買い、車に乗り込む。

「今日は遅くなってしまって、本当にすみません!〇〇です。よろしくお願いします」
「はじめまして。中村です。よろしくお願いします」


中村さんは柔らかい声がした。まだ運転席に座る姿しか、メッセージをやり取りした時間しか知らない。だけど、『中村さん=やさしい』がパッと浮かぶ。やさしさに囲まれて過ごしてきたんだろうなあ。


いそいそと初対面のあいさつを済ませ、ドライブが始まった。

SNSでやり取りして1週間。仕事が終わった夜から寝るギリギリまで、メッセージは途切れなかった。

ネットを通さなくても、何も変わらなかった。初対面のドライブなのに、会話がほとんど途切れなかったのだ。


日が暮れ、ひたすら南を走った私たちは、いつの間にか県境近くまで来ていたと知る。

私も中村さんも、今いる土地に詳しくはない。

ナビ通りに走ったはずなのに行き止まりになったり、ご飯を食べるお店探しに難儀したりした。

でも、行き止まりになっても「方向音痴なんですよね」「私もです!」と力にはなれないが意気投合したし、ネットで見つけたお店が臨時休業でも「よく定休日とか臨時休業にあたるんですよね…たぶん私のせいです」「いや、よくありますよね…分かります」と意気投合した。


初めて会った気がしなかった。
年齢も生まれ育った土地も違うのに、初めて話した気がしなかった。


結局、海の幸がふんだんに盛り付けられた定食を食べた。ようやくそこで、初めてお互いに顔を見ながらしゃべった。

まだ脳裏に焼き付いている。中村さんは紺色のTシャツに白いワイシャツをはおり、やさしさがこぼれたような顔をしていた。



それから私たちは、仕事後に毎日のように会い、ひたすらしゃべった。出会って日が浅く、話のタネはいくらでもあった。

ある夜、映画についてSNSで話していた。まだレイトショーに間に合う…。有名な賞を獲った映画が公開中で、ダメ元で「今から観に行きます?(笑)」と送ると「行きましょうか!(笑)」とノリノリな中村さん。

こういう時も意気投合するのか…と驚きながら、慌てて着替えた。


でも、その映画は正直、私は面白いとは思わなかった。鑑賞後、もちろん中村さんと話す。すごい賞を獲っている映画を「面白くなかった」と言おうか、少し躊躇した。

そんな私の悩みを吹き飛ばすかのように、「そんなに…でしたよね?」と聞こえた。「…!ですよね?!言うほど面白くなかったですよね?」と返す。2人で「よかった〜」と謎の確認をして、これまた意気投合した。



その後も買い物に出かけたり、引っ越しを手伝ったり、カラオケに行ったり、海を眺めたりと、2人の思い出を重ね続けた。

中村さんと過ごしている時の私は、私が言いたいことを何でも言えて、とても居心地がよかった。中村さんは私の5歳上。年の離れた友達のように、趣味も、仕事の悩みも、過去のあれこれも気兼ねなく話せた。

似た者同士なのだと、時間が経つとより強く感じた。ズボラなのも、ちょっと天然なのも、好きな音楽も、苦手な人も、私たちはとても似ている。

端的に言えば、価値観が合うのだ。パズルのように好きなものや嫌いなものが当てはまり、ピースは他の人よりも多かった。



3人目の中村さんと出会って7年が経ち、私も中村さんになった。

そう、3人目の中村さんは今の夫。なんと、私も中村さんになったのだ。人生は時に予想外の道へ進む。

夫のご両親、ご兄弟もやさしくて、私の公式は未だに成り立っている。


出会ったあの頃と変わらず、夫とは友達のような、夫婦のような、不思議な時間を過ごしている。

今もまだ、会話するとなかなか途切れない。4〜5時間話すのはざらで、共に過ごして9年が経ったのにまだ知らないことがある。

牛乳を飲みまくって背が伸びたと知ったのは、先週のことだ。



喫茶店の中村さんとも、なかなか会話が途切れなかった。「あら!こんな時間!」と2人で時計を見て何度驚いただろう。

陶芸家の中村さんのイベントにお邪魔した時は、その場で出会った方々と会話が弾み、夕暮れを見送った。



会話が途切れないのは、やさしさが詰まっているからだと思う。

お互いの話をちゃんと聞ける。
どちらが上とか下とかなく、対等に話せる。
言いたいことを本心で言える。

これらがないと、会話は長く続かない。どれかが欠けたまま長く話したとしても、おそらく誰かは会話を心から楽しんではいないだろう。


やさしい人と話していると、雲のようなふんわりとした感覚がする。

柔らかく包まれて、ふっと楽になれて、心が軽くなる。思わず心のカギが開き、奥底に隠していたこともつい話してしまう。だから会話が途切れない。



帰省も旅行も気軽にできず、完全在宅で働く今、普段話すのは夫ぐらいだ。
そして、オンラインでの会話。

夫と会う前、まだメッセージのやり取りしかしていない時期、「きっとやさしい人なんだろうなあ」と密かに思い、会って確信し、今もまだやさしいままだ。

SNSでのメッセージや、noteへのコメントでやさしさを感じることもある。会わなくても、「あ、この人は普段からやさしいんだろうなあ」と感じとる。



心ない言葉が人を傷つけるニュースは、昔から目に付く。言葉で命を落とす人もいる。その度に胸が痛み、自分の家族が傷付けられたかのように許せない気持ちが沸き立つ。

私自身、やさしさのない言葉に何度も何度も傷付いた。言われたほうは簡単には忘れられない。

やさしさのない言葉をひたすら浴びせる人に、私はとことん怒っている。



私のできることなんて、本当にちっぽけだ。私が与えられるやさしさも、ちっぽけかもしれない。

ちっぽけでもいい。誰かを傷付けるような言葉はむやみに使いたくない。どこかの誰かもやさしくいられるように、少しでもやさしい言葉を選びたい。


私は昔からよく「やさしいね」と言われる。中村さんになった私は「中村さんってやさしいね」と言われ、メールでは「中村さんのお心遣いに感謝します」と返事が届いた。

同時期に3人のやさしい中村さんと出会って、やさしい言葉にふれて、きっと今の私がある。

やさしさは言葉に自然と宿り、途切れない会話はやさしさが織りなす。

「中村さん=やさしい」を自ら覆さないためにも、末長くやさしい言葉をつむぎたい。


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さより
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