「どうしてこんな思考回路になってしまうんだろう。」 「こういう考えに至らない世界線があったらどうなんだろう。」 自分の中でこみあげてくる感情を押し殺して、それでも溢れてきてどうしようもなくなってしまった経験を、あなたはしたことがありますか? きっかけはすごく小さなことだったりします。 ふと、自分の中の奥底にある”負の感情”に気づくのです。 そして、それに気が付いてしまったらもうおしまい。 自分自身の平穏を保つために、今まで目を瞑っていたこと、考えないようにしていたこと、ぜ
皆さんは、「働くこと」ついてどう考えていますか? ここからは、私の思っていることをお話しします。 私は「働くこと」に関して、今はあまり関心がありません。 4月1日、私はどきどきとわくわくをたくさん抱えて社会人になりました。 大勢の前で紹介をされて、ここの組織の一員としてこれから頑張っていくんだなあ。なんて、これからの自分の仕事や周りの人に対する期待と希望でいっぱいでした。 「働くこと」にとても前向きでした。 それからは、とにかくたくさん働きました。 自分の仕事を、責任
この投稿を下書きに眠らせておいたらいつの間にか1年も経っていました。 よかったら、ぜひ読んでください。 仲の良い地元の友達から「大人になったね」と言われた。 「そんなことない」本気で思った。だって私の大学生活はひたすら勉学に捧げたしょうもない4年間だったから。 大学のよっ友から「毎日頑張って真面目だね」と言われた。 「私のことなーんにも知らないなあ」ほんとの私はできるだけ毎日省エネで動きたいし、ゲームしてサボりたい。 私は人を頼ることがすごく苦手です。何か尋ねたりアドバイ
こんばんは。 今日で1週間を終えた人、まだ明日もある人、曜日はあまり関係ない働き方をしている人、みなさん本日もおつかれさまでございました。 今回は、最近むずかしいと感じたことと、それに付随する悩みを綴らせてください。🕊️ 突然ですが、 私は人を信じる力がひときわ弱い人間なんだと、他の人と関わっていてつくづく思います。 そして、この弱さが今の私をとても苦しめていると感じています。 大好きな人であればあるほど、信じたいのに信じられないし、不安でいっぱいになって、最後は自分自身
おはようございます。そして、お久しぶりでございます。 自分の想いを文章を綴るというのは、大変で気力のいる作業なんだな。と、前回の投稿年月日を目にして痛感しました。 最近のわたしはというと、春休みが始まり、早1週間と少しが経過しました。 やりたいこと、やらなければならないこと、最優先すべきこと、後回しにした方が良いこと。もう、たくさんです。 「1日24時間では足りないなぁ」と思いながら、睡眠時間は9時間。10時間を超えることだってあります。 でも、今のわたしは春休みを満喫
今日は久しぶりに勉強に手をつけました。というのも、この1ヶ月間はバイト三昧な日々を送っていたせいか、「今日ぜんぜん勉強してないじゃん。」なんて罪悪感を感じる余白すらなかったのです。 そんな勉強はというと、"今日できたらいいなぁ"と思っていたことの5分の1くらいが終わりました。でももう今日は切り上げようと思っています。 勉強なんて、進んで取り組むものでもなければ無理して取り組むものでもない。 「今日はなんだかできそうだな。」って思った日に手をつけるくらいでいい。そんな気持ち
大学生活も半分が終わってしまった。私はこの2年間でたくさんの"学ぶ"をした。 特にこの1年は目で見て学ぶ機会が多かった。色んな人と顔を合わせて関わるというのは、自分のことを知るきっかけにもなった。 私という人間は、こういう場面では自分を抑えて引っ込んでしまうんだ、とか。 私という人間は、人のああいう行動にはイライラした感情が湧き出てくるんだ、とか 私という人間は、常になにかの中心にいないと気が済まない人間なんだ、とかとか、ね。 自分を知るたびにすごく苦しかったです。私はこ
"子どもたち"という集団の中には、おとなしい子や明るい子、やんちゃな子に真面目な子など、たくさんの特性を持ったそれぞれの子どもが存在しています。 また、それと同じように子どもを取り巻く家庭環境も三者三様です。子どもの教育にとても熱心な家庭、お父さんが優位な家庭、しつけが厳しい家庭、親のいない家庭など、例えをあげるとキリがないほど多様なものです。 家庭環境というのは子どもの人格に少なからず影響を与えるものだなあとつくづく感じます。例えば、親から放ったらかしにされる環境で育った
日本の子育ては海外に比べ、手作りにこだわりすぎだと言われています。たしかに。 私もぼんやりとですが、手間ひまを込めたものは美しいと思っている部分があります。 例えば、夕飯をスーパーの惣菜で済ませてしまうことに抵抗があったり、全自動という言葉に信頼を置いていなかったりといったところでしょうか。 前者は節約の面からも抵抗感が来ているのだと感じますが、みなさんは「手作り」についてどう考えますか? 「手作り」の対義語は「量産」だそうです。この文章を書くにあたって調べたのですが、「量
今日は失敗してしまった。失敗という言葉で片付けていいものかどうかもわからない。 もっと、全責任が自分にあるというか、自分の勉強不足というか、"無責任"といったような鋭い言葉が合うような、そんな出来事だったと思う。 普段の私は、多少の失敗を許せるほうだ。失敗してもあっけらかんとしたフリができるし、失敗に伴う恥ずかしさや、自身に対する呆れた感情が心を侵食しないよう、シャットアウトすることだって出来る。 でも今回は違ったような、どうしようもない気持ち。失敗した自分にものすごく向き
暗くなってくるのが段々と早くなってきた。 まだそんなに暗くはないけれど、車幅灯を点灯させて走る車たちはとっても幻想的だなと、疲れた心を軽くしてくれる。 最近の私はというと、忙しい日々に心がすり減る毎日だ。今日だって、済ませようと思っていた用事を全部やりきれていないままだし、山の空気のおいしさにも少し鈍感になっている。 寝る前に1日を振り返る間もなく寝てしまうし、 ああ、近いうちに借りた本を返しにいくと恩師に連絡したのにまだそれも返せていないなあ。 心がすり減っているときは
あなたはあなたを喜ばせる手段をいくつ持っていますか? 私は無限に持っていると思います。 例えば、気持ちがどんよりするときには部屋を軽く整頓してすっきりさせてみたり。 帰り道にお高めのアイスを買って帰るとか、ひらけた場所で深く深呼吸をしてみるとか、楽しみにしているラジオを週末までとっておくとか。 すごく小さいことです。でも、こういう楽しみが結構私の踏ん張れる気力になっている気がする。 小さな幸せや楽しみたちと湧き上がる負の感情を天秤にかけたら、前者のほうがきっと強いし、負の感
昇華しておきたい話を思い出した。私の趣味についてである。 私は小さい頃から田舎が大好きだ。昔、家族とたくさんいった、あの場所たちが。 今も変わらず大好きで、よく車を走らせては田舎へ行くことがしょっちゅうである。 「幼少期の家族との思い出の場所に、大人になった私が自ら赴く」というのはなんとも感慨深い気持ちになる。 正確に言うと、田舎に行くまでの過程が大好きなのかもしれない。 私が田舎へ向くときは、大抵深夜に出発する。高速料金も安く済むし、深夜にドライブなんて、なんだか気
はじめまして。 日々の視点。日々の記録。 その日に起きたことや感じたことを忘れないように、色褪せないように。ぜんぶはむりだけど、こうして言葉に綴って記録することにする。 今日は日曜日。週に一度の休日だけど、朝はなんとも忙しかった。彼が朝の8時からワクチン接種の予約をしていたから。休日にしてはとっても早起きした。 朝ごはんはインスタントのコーヒーとコンビニのサンドイッチ。昨夜の私は今日の私について「もう、絶対起きれないよね。だめだ。」ってわかっていた。だからサンドイッチを前