東北紀行 vol.3 3日目「地域」【弘前~宮古】
みなさん、こんにちは。今回は、東北一人旅の3日目についてです。
三内丸山遺跡へ
3日目は、まず弘前を出て青森に向かうところから始まります。もともと三内丸山遺跡には行ってみたいと思っていたので、ひとまず遺跡を目がけて出発しました。
新青森駅で降りた後、遺跡まで歩いて行くことにしました。例にもれず、新青森駅から遺跡までの道のりも、ほとんど周りに人がおらず、昼間にも関わらず非常に寂しいものでした。隣を走り去っていく車の運転手から見れば、なんでこんなところを人が歩いているのか?というような場所だったと思います。
東北とはいえ夏はやはり非常に暑く、途中休憩しながら進みました。三内霊園の中を通り、店一つない道路をひたすら進んだ先に、三内丸山遺跡がありました。
三内丸山遺跡を見た感想としては、想像以上にレプリカ感が強かったということです。当然当時の様子を正確に再現している点は評価に値しますが、一方で遺跡全体が巨大な模型のように見えました。
端の方にドーム状になっている建物があります。その中に、本物の遺跡が大切に保管されていました。とくに、当時の墓の遺跡を見た時には、外にあるレプリカとは異なり、独特の「香り」を感じました。
三内丸山遺跡は縄文時代の遺跡ですが、日本という国について考えたときに、縄文時代はどのように位置づけられるのか、縄文時代の文化は日本のアイデンティティを構成するのか、といった問いが湧いてきました。
日本という土地をさかのぼった時に、縄文時代という時代があったことは確かですが、しかしそこからいわゆる「日本らしさ」のようなものはあまり感じられませんでした。
やはり、「日本らしさ」とは何か、それはいつどのように形成されたのかといった問いが課題として残されました。
青森駅で
三内丸山遺跡を見た後は、バスで青森駅に向かいました。駅に着いた後は、駅の目の前にある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」というところに立ち寄りました。電車の時間の関係で中の展示を見る時間的余裕がなかったので、ひとまずレストランに入って海鮮丼を食べました。
青森駅周辺は海にも近く、新鮮な魚がたくさん入ってきます。海鮮丼もとてもおいしくいただきました。セットでりんごジュースもついてきたのが青森らしいと感じました。
鉄道旅
2日目の最終目的地は、岩手県の宮古市です。3日目の午後はひたすら鉄道で宮古に向かって移動していきました。
まずは青森駅から青い森鉄道に乗り、八戸駅まで行きました。青い森鉄道は現在はJRではなく別の企業が運営していますが、沿革的にJRと距離が近く、18きっぷで乗ることができました。
八戸駅からは、JR八戸線です。八戸線では、途中にある鮫駅というところで乗り換えとなり、次の電車が来るまで時間に余裕があったため、駅周辺を散策しました。
やはり、鮫もなかなか寂しいまちでした。とはいえ、昔から漁業がおこなわれてきたまちのようで、たくさんの関連施設がありました。
少し歩いたところには、離れ島のようなものがあって、その頂上に神社が立っていたので、立ち寄ってみることにしました。
頂上からは海を一望できました。昨日まで見ていた日本海とはまた異なる太平洋の海が広がっていました。それから残りの東北旅では、しばらく太平洋とお付き合いすることになります。
三陸鉄道の日常
鮫駅からまたJRに乗り、今度は岩手県の久慈駅で降りました。そこから三陸鉄道に乗り換えて宮古に向かいます。
久慈駅前も、なかなか昔からの建物が多く残っていました。とはいえ、若い人も多く、駅前は遊びの待ち合わせ場所になっているようでした。
駅で電車を待っていると、いきなり太鼓と笛の音が聞こえてきました。見てみると、祭りのような雰囲気で楽器を演奏している人がいました。
しかし寂しいことに、それを見ている観客はほとんどいませんでした。静まり返った夕焼け空に、ただただ太鼓と笛の音だけが鳴り響いていました。
三陸鉄道は、非常に趣のある列車でした。乗客は、数人観光客・旅人らしき人が乗っていた他は、ほとんど学校帰りの中高生でした。
平日にローカル線を旅することのメリットは、こうした人々の日常を垣間見ることができることだと感じます。地方出身とはいえ、自分が見ていた世界は本当の意味での田舎と都会の中間のようなところであって、世の中にはいろいろなところに住んでいる同世代がいることに、当たり前の事実ではありながら気づかされました。
宮古の「エネルギー」
宮古駅には20時ごろ到着しました。列車を降りた後は、例によって夜の駅周辺を散策しました。
宮古では、秋田や弘前で感じた不気味さがあまり感じられませんでした。もちろん、建物や繁華街のお店はなかなか風情があります。震災の被災地である宮古では、未来に向かって復興を進めていこうというエネルギーがあり、そこから何らかポジティブなものが感じられた気がします。
宿は、前日に引き続いてカプセルホテルに泊まりました。調べてみると、宮古には有名なゲストハウスがあったようで、そこでは宿泊者同士で交流が活発に交流が行われているようでした。せっかくの旅なのでそういうところに泊まりたかったですが、その情報を見つけたときにはすでに予約が埋まっていたため、やむを得ずカプセルホテルに泊まることにしました。
しかし、このカプセルホテルは想像以上に素晴らしいホテルでした。場所は、ホテル宮古ヒルズ ステーション店。ネットの写真では少し古い感じの印象を持ってしまいがちですが、実際に行ってみるととてもきれいで新しいホテルでした。また、夜にカレーとお茶漬けのサービス、オリジナルコーヒーの提供があります。さらに、周辺の周遊用に自転車のレンタルサービスも無料で行っていました。
低価格で非常に充実したサービスを受けることができ、とてもテンションが上がりました。もし宮古を訪れる機会があれば、とてもおすすめできるホテルです。
こうして3日目も終了しました。1日目、2日目に比べると、正直3日目はやや安全地帯を回ることが多かったように思います。それでも、いくつか得られたことはありました。
一番大きかったのが、地域の光と影についてです。いろいろなまちを回ってみて、自分がもともと想定していた以上に、地域が多様であることに気づかされました。特に、地域の「活気」という点に注目してみると、少なくとも、活気のある地方都市、衰退傾向にある地方都市、活気のある集落、衰退傾向にある集落の4つくらいに分けられるような気がしました。
僕がこれまでいろいろな形で見てきたものは、活気のある地方都市と活気のある集落がほとんどでした。これらが光だとすると、現実には衰退傾向にある地方都市や集落といった影も同時に存在しているということを、実際に見て感じることができました。一方で、客観的には衰退傾向にあったとしても、宮古のように、復興に向けて前に進んでいこうというエネルギーが内面湧き上がっている地域もありました。
日本全体として、人口減少が少なくとも今後10年以上不可避である中、本当の意味で地域の未来をどのように構想していくべきか、答えが全く見えないような思いがしました。単に「地域活性化」「地方創生」と叫ぶだけでは、何も解決できない。本当に活性化・創生できるのか。そして、それが本当に正しいのか。
衰退は誰しも経験したくないことです。しかし、現実の地域を自分の足で歩き、きれいごとでは済まされない厳しい実態に直面したときに、何がこの先追求されるべき価値なのかが非常に強く問われた気がします。
人口を増やすことは、それ自体正しいことだと思います(※当然、個人の自由の範囲内で)。しかし、どれだけ増やすべきなのでしょうか。そして、人口が増えたとしても、都市と地域の偏在は埋められるのでしょうか。その偏在を埋めることが、人々にとって本当に幸せなことなのでしょうか。
もちろん、地方が衰退すればいいと言いたいわけではありません。むしろ、地域の未来にとって最善の選択肢を追求すべきだと思います。
でも、正解が何なのか。どの価値を選び、どの価値を捨てるのか。
その部分の明確なビジョンを日本は示せているのか。
非常に重い課題を突き付けられた気がします。
さて、4日目からは三陸海岸をひたすら南下していきます。震災の被災地がメインとなってきます。2日目に堪能した自然の裏側、人間を超える恐ろしい影の側面を見ていきたいと思っています。(続く)