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生配信に齧り付くワケ
早いものでVTuberという存在を知り、見始めてから5年目に入った。その月日の中でも明らかに波があって、見ているライバーの範囲が広がったり、好きなゲームが出来てその配信を追いかけたり、VTuberとは畑が似ているようで違う、ストリーマーと呼ばれる人たちの配信を見てみたりもした。コメントをするわけでもなかったので、そのうちなんとなくリアタイにこだわらなくなり、一分一秒を見逃すまいとするような熱量は鳴りを潜めていた。そう、2024年6月15日~25日のにじさんじGTAを見るまでは。
半年も経ってから文字に起こすのは私の元来のめんどくさがりのせいなので申し訳ないとは思うが、逆に時間がたってあの時の熱狂を俯瞰で思い出してみるというのも面白い。私はあの期間、そしてそのあとの2か月くらい明らかに正気ではなかった。
にじさんじGTAは期間中毎日6時間サーバーが開かれ、あちらこちらで様々なドラマを生み出して見せた。大量の切り抜き、ツイート、同業の反応、そして参加者の様子、その全てからすごいことが起こっていると誰もが思っていただろう。かくいう私も毎日毎日リアルタイムでPCに齧り付き、見ていない視点はサーバーの空いていない時間や終了後にアーカイブや切り抜きをめぐりまくって一通りを網羅した。あそこには人の営みが、街そのものがあった。
私が言いたかったのは自分で自分に驚くぐらい、”見逃したくない”という思いが強かったことだ。失っていたはずの熱量が膨大に膨らんで、見ていない時間もにじGTAのことばかり考えていた。
そもそも、私は配信は全部見なくていいだろ、の考えを持っている。最初こそ剣持刀也の配信をリアタイしたいが翌日のことを考えて眠るのが悔しくて社会を恨んだものだが、それはほんの数か月のことだった。アーカイブで自分の生活に合わせて楽しめるのがYoutube配信の良さだ。好きなライバーであっても好きな時に好きなだけ摂取する、それくらいの距離間のほうが気楽で私にはあっていた。もちろん、すべてを見るというのも勿論楽しみ方だ、それを否定したいわけじゃない。生配信というのは1回が数時間に及び、それがライバーによってはほぼ毎日行われる。その膨大な供給量はある種の諦めとして私には作用したのだった。全部なんて見れるわけないから、という免罪符が私を楽にする。つまりにじさんじGTAはそうやってマイペースに長く楽しんできた私の常識が突然覆った出来事だったのだ。こういう風に言うものの、あの長時間の配信を毎日見届けるには限度がある。開催期間が限定的だったのは本当にありがたかった。
あの企画で箱に100人をゆうに超える人数がいる強みをまざまざと感じた。タレントが多いというのは当然それだけコストもかかる、ファンもばらけたり、良いことばかりではない。だけどそれだけ豊富な、様々な人材がいるということだ。スリルを求めて犯罪を犯す者、穏やかな日常を望む者、人の上に立って指揮をとる者、そして俯瞰からそれらを観測しつつあらゆる不測の事態に対応したり見守ったりする者。誰を見ても違う物語があり、どの立場の人もよく他人と関わっていた。これはゲーム配信に特化していない者も含んだ大量の人間のその全てが無駄や余白を楽しむ配信者だったからだ。本来VTuberという存在を維持するために用いられてきたRPは、その多様化や長時間配信者の台頭によって失われてしまった部分があるが、あの場ではみな、役職を演じつつも自分としてふるまうRPとしてその力を発揮していたように感じる。RPを踏まえたやりとりは言葉を選ばずに言うとごっこ遊びだ。つまるところにじさんじは都市ひとつを作り上げる壮大なごっこ遊びには最適の箱だったのだ。ばらばらの大勢が生きるのが社会で、見事にそれを丸ごとゲームの中で作ってみせた。間違いなく、化物のような企画だった。
まんまとそれらに魅了された私は、一分一秒を配信者と共にコメントと共に見る楽しさを思い出し、結果見事に熱量を取り戻してその後のにじさんじ甲子園の期間を迎えることとなる。
年が明けた後に振り替えると驚くほど滑稽で単純なオタクの夏だった。無駄でバカらしくて最高だった、娯楽のあるべき姿だろう。にじGTAの第二回を望む気持ちもなくはないけれど、半年たってもまだ味のする10日間をあと2年は噛みしめていられると思っている。過去を反芻し、いつまでもいつまでも語るのはオタクの性だからだ。