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かけらひろい

noteを書いてて思った。

『最近はフォローしている人たちのnoteしかちゃんと読んでいなかったなぁ。』

そして、ふと全く知らない人のnoteも読んでみたくなった。私は今まで開いたことのないページをペラペラとめくってみた。

『この人のnote好きだな。』

気になるnoteを見つけた!と思って嬉しくなりながら読み進めていくと、そのnoteは途中で書き終わっていた。

よく見ると日付も去年の春で終わっている。

『あ、途切れちゃってる。』

こういう事は実はよくある。

なんでだろう。そういう時、私はものすごく悲しくなってしまう。

『この人はどうしてnoteをやめちゃったのかな。』

別に友達でもなんでもないのに、去っていってしまった顔の見えない人を焦がれてしまうのだ。

心が共有できそうだった人が、もうこの場所にいない歯痒さと切なさなのだろうか。

どんな事情で去っていってしまったのかわからないので、彼らはもう戻ってくることはないのかもしれない。

とても素敵なnoteだった。ならば忘れ去られることのないように、今残っているnoteのかけらを拾い上げて、自分の箱庭に仕舞おう。

もし、このnote達が他の人に忘れられても私は忘れない。いつでも箱庭から取り出してページをめくろう。

けれど、『願わくばその人達とnoteで対話してみたかったな』とかけらひろいをしながら少しほろ苦い気持ちになるのだった。

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