内観の必要性

たましいの成長において必須は内観です。自己分析とも言えるでしょう。内観に必要なのは理性です。自己憐憫、責任転嫁、依存心では内観はできません。福祉学の中に「自己覚知」があります。対人の仕事において、自分の感情を確認していくことは虐待やバーンアウトを防ぐために大切です。

ですから子育てや様々な人間関係においても大切なのです。残念ながら多くの人は内観が上手に出来ません。なぜか、それは自己愛やトラウマが邪魔するのではないかと考察します。自分の嫌なところや蓋をした思い出したくない過去も含めて内観をするので、深い内観が出来ないのです。

ではどうしたら良いか?キーワードは「謙虚さ」と「広い視野」です。ではどうしたら謙虚さや広い視野を持てるのか、やはりスピリチュアリズムしかないと言えます。私たちが生まれてきた理由を明確に答えられるのはスピリチュアリズムだからです。

私たちはこの世に生まれてきて生きているのはなぜか?未熟だからです。たましいの成長のために物質界に生まれてきたのです。それを心から認識すれば、何が起きてもどんなことを経験しても全ては「学び」として捉える事が出来ます。

私事ですが、車一台がやっと通れる駅前の道路を歩いていました。後ろから車のクラクションが鳴り、右端によけました。そしたら抜いていく際に窓を開けた運転手が「ひいちゃうぞ」と発言しました。私は道のど真ん中を歩いていませんでした。その時は「歩行者優先」と言えば良かったと考えましたが、その前の自分の行動を振り返りました。

駅のホームから改札へ向かう上りエスカレーターに乗る際に、ゆっくりと乗る初老の女性に心の中で「遅いよ」とつぶやきながら右から抜いて、エスカレーターを歩いて登っていったのです。もしエスカレーターを歩かずに止まって乗っていたら、その車に抜かされることはなかったでしょう。

スピリチュアリズムでは想い、言葉、行動は同じなのです。もちろん「遅いよ」と初老の女性に言いませんでしたが、しかし言ったことと変わらないとすれば、私と運転手と同じと言えます。私も未熟なのです。ですから、日々目覚めるための有り難い学びが訪れるのです。

そこまで内観できると、昔の私のようにイライラすることもありません。私の思い、言葉、行動を変えれば良いだけなのです。運転手は私の嫌な部分を映し出してくれた、有り難い人となるのです。そして、運転手もこれから大きな学びを得るでしょう。それは天の法則に任せておけば良いのです。私が裁きを与える必要はないのです。

なぜなら、その運転手も私の類魂だから、たましいは一つ、ワンネスだからです。私はあなたで、あなたは私です。しかし、怪我をさせられたなど法律を違反をされた場合は、この世の倣いに則って訴えることが相手のためと言えるのです。同じ事を繰り返さないための反省を促すことも大切です。つまり喧嘩はせず、理性的に相手の未来のため出来ることをするだけです。これも愛なのです。

こんな出来事があっても、数ヶ月後にはエスカレーターを歩いて「じゃまだな」なんて心の中でつぶやいているのでしょう。喉元過ぎれば熱さ忘れるのも人間。ですからせめて内観して、少しでも成長するための努力を惜しまないように。


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