全然退かない人
電車でも、バスでも
お店の入り口でも道でも
老若男女問わず、全く自分のいる場所から
退かない人がいる。
つまり人に譲るということができない人だ。
自分が邪魔になっているかどうか?
という疑問も持てないのか?
通れるでしょ?なのか
そもそもこちらに気づいてないのか?
このどれでもないのかわからないけど
とにかく退かない。
きっとこれを読んでいる人の中にも
退かない人がいるのかもだけど
そもそも、自分が退かないこと
それ自体に気づいてないかもしれない。
もちろん私も退かない人かもしれない。
気づいてなくて、わからなくて
退かない人ならまだ理解はできるが
気づいているのに退かないのは
なぜだろう?と疑問が湧く。
そもそも「退く」という行為は
なんなんだろう?と考えてみる。
退く
辞書的な意味合いは
身を動かしてそこをあける。
とある。
要するに、自らが体を動かして
場所を提供すること。つまり
譲るということだ。
譲るとは
自分のものを他の人に与える。また、売る。
「席を―
謙って他を先にする
「道をー
何かしらの気遣いがなければできない行為だ。
気遣いとは何か?
心遣いであり、思いやりだ。
つまり、人を思いやる気持ちがないと
退くという行為にはつながらない。
まぁ、避けるのと退くのは似て非なる行為なので
怖そうな人が来たからヤバそうな人が来たから
道を譲ったのとは
また違うと思うのでここでは割愛することにする。
ではなぜ、人を思いやることができないのか?
人は余裕がなければ
自分以外の人間を思いやることはできない。
もし余裕がなくて人を思いやってるのなら
思いやってるのではなく
それはなんらかの報酬を得ていると
考えられる。
それをすることで自分を受け入れてもらえる
それをすることで立場が守られる
それをすることで安全でいられるなど
謙ることで何らかの利益を得ているからで
本心の思いやりとはかなりかけ離れた行為になる。
つまり取引の状態。
思いやりとは無償の行為で
取引ではない。
こうやって考えていくと
退かない人は
自分に余裕がなく
心にゆとりもなく
視野も狭く
他人を思いやれる気持ちをもたず
社会を生きている人
という仮説が立つが
単純に退くに値しない人と見下して
存在を無視している可能性もあるので
そこはなんとも言えない。
ちょっと外に出るだけでも
実にいろんな人に出会える。
さまざまな心模様にも遭遇できる。
あくまでも仮説なので
事実とは言い難いが
いろんな人生模様をそこから垣間見れて
さまざまな考察ができることを
興味深く思う。
先日店先で出会った、入り口に立ったまま
スマホを弄って
通行人がとても邪魔にしていることに
気づいてないのか気づいているのか
わからないが退かない女性を思い出しながら
次遭遇したら
どうしようかな〜と頭を巡らせている