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受け取り下手を克服する方法

何かしら受け取るということが苦手な人がいる。

物だけではなく
褒め言葉でさえも。


受け取るということが
相手の喜びにつながることが
自分の中で腹落ちすれば
受け取らないという選択は
だいぶ減るのだろうが


いかんせん日本国という国で育ってしまった
昭和生まれの私たちは
「謙遜」や「遠慮」を
曲解して理解している節が大いにある。


いやいやうちの子なんて〜
いやいやうちの旦那なんて〜
いやいや私なんて〜


しらず知らずのうちに使っている。



これは謙遜でもなんでもない。
ただの自己卑下だ。


辞書的な意味ではなく私が解釈している謙遜とは
一言で言うと
調子に乗らないに似ていると思う。


等身大で自分を捉え
必要以上に大きく見せることも
小さく見せることもせず
常に正しく自分を捉える努力をする
と言うような意味合いで私は使う。


だから

まだまだです。と言う時もあるし
へっぽこです。と言う時もある。
等身大だ。


しかし出会う人の中には
こちらが困るくらい
へりくだる人がいたり
全然褒めても受け取らない人もいる。


めんどくせ〜


かく言う私も
そこの出身だったりもするけれども。



やっと最近は相手の好意を
無条件で受け取るということができるようになってきた。


何もしてないのに、こんなにもらって・・・
なんて思ったりしていたけど
ある時に

私が意図しないことで
大変喜んでもらえることがあった。


役に立とうとか、喜んでもらおうなんて
思うことなく
ごく自然に自分ができてしまうことで
相手に喜んでもらえたのだ。


大層相手は喜んでくれて
私はそのお礼で十分すぎるいろんなものを
いただいた。


そんな時、胸が傷むのが昔の私だったが
そうしたいというその人の願望を叶えたという
視点に置き換えて
おおいに喜ぶということをした。


差し出すことが痛みだったり
自分の何かを削ることが差し出すことだったり

何かを人にあげると
自分の何かが減るなんていう思考がある人
差し出すことがネガティブな意味合いな人は

相手もそうなんじゃないかと思って
罪悪感しか生まれず受け取ることができなくなる。


差し出すことが喜び、もある


ということを頭の隅に置いておくと
受け取ることが幸せや喜びの連鎖になって
受け取ることができるようになるかもしれない。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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