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美しい物を好きだと言うだけで

なぜか、美しいものや素敵なものを
好きだというだけで

「せしぼんさんはこんなの受け付けないでしょ?」

と、勝手に色々と決めつけられることがある。
好き嫌いが激しいと勝手に決めつけられる。


好き嫌いが激しいのではなく
好きなものをたまたまはっきりと言っただけ。なのにね。


さらに美しいと言っているものも
素敵だと言っているものも
個人的主観によるものなので
絶対的なものではない。


どんな権威でもどんなに立派な人でも
絶対的な意見などなくて
個人的な主観によるものだと思う。


データだって、時代と共に見直されるし、
今の所、そう。ってだけだし
何を信じているか?は
個人個人違ってていいと思ってる。
(もちろん、尊重や敬意は必要だけど)


そして自分が「?」だと思っていても
それを愛している人も世の中にいることは
重々知っている。


全てが相対的で
いい悪いもない。


という前提が自分の中にあるのだけど


私が自分の個人的主観で美醜の話をすると
必ずと言っていいほど
それに自分が当てはまらないと思った人は
「自分が否定された」
「自分がけなされた」
と思い込んで、攻撃じみたことをしてくることが多々ある。


じゃ、これはダメなんですか?
こんな私でごめんんさい
そうじゃなくてすみませんでしたね


なんて感じ。


自分が否定された、
貶されたと感じるのは
自分が自分で
その部分を「ダメだ」と思っているから
私の言葉が「きっかけ」だったことに
あまり気づいていない。


あとは、絶対的な正解論とか、
価値観に支配されて生きている場合。
べきねばみたいなものに
代表される価値観。


○○でなくてはならない
○○であるべき


みたいなのが自分の中にあると
それを逸脱した価値観に出会った瞬間
感情が湧き出てくる。
怒りとか、嫌悪感とか、モヤモヤとか。


気にしてないことは全くスルーできるが
気にしていることは引っかかる
というとわかりやすいかも。



太っていると自分で思っていると
やたらとデブとか脂肪とか肥満とか
スタイルが悪いとか
足が太いとかウエストがないとか
そういう言葉に敏感になるみたいなもの。



気にしていることや
コンプレックスを感じていること
自分が劣等感を感じていること
または自分の正義や価値観に
触れてしまうとそれはアレルギー反応のように
自分の意思とは関係なく
感情が湧き上がってくるのだ。


心の癖と言われるものだけど。


物事は無色透明で何の意味もないのに
私たちは生きてきた過程で身についた
様々な価値観の眼鏡を通して
物事を見てしまうため
無色透明にいろんな色が混じってしまう。


ただ、私が個人的感想を述べただけのことも
誰かのメガネを通してしまうと


賞賛になることもあれば
否定になることもあるし


それがわかってないと
なかなか他人と意見交換とか難しいよね。


でもユーモアは持ちつつ
優しさは忘れずに
自分の意見は語彙を巧みに操り
はっきりと伝えられるように
さらに頑張ろうって思った。

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