歴史ドラマを書く難しさ
「例の脚本、結局まだ一本も上がっていないじゃないか」
そうお思いの方がいてくれるのかどうかすら怪しいところなのですが、その理由を説明させていただこうと思います。言い訳させてください。
○脚本ができていない理由
というのも――
この記事で書いたように、僕は今まで歴史をドラマ的に見ていた節があり、もっと日常的で、今の僕たちと地続きである事を考えられずにいました。
だからこそ「今回の脚本はより日常的にしたい」「ドラマチックな部分と日常的な部分を滑らかに繋ぐものにしたい」と考えています。
もしかすると今年の大河『どうする家康』とは真逆かもしれません。
しかしドラマの脚本でありつつ、日常のホームビデオでありつつ、当時の暮らしに没入できる記録ビデオ的要素も持たせたい!
そういうふうに思っています。
なので歴史の教科書や解説書だけではなく、こういう事典を繰ったり、
こういうドキッとさせられる本を読んでみたり、
今になって文庫版の存在を知ったり。
他にもいろいろ読んでいます。それが楽しくて面白くて。
少し違うのかもしれませんが、「ミイラ取りがミイラになる」みたいな状態です。
そのうち蘇りますので、長く温かい目で見ていただければと思います。
本の紹介
・新版 日本史モノ事典
そのままモノの事典です。「モノの日本史」と言った方が良いのでしょうか。
ここの上から十行目にある通り、この事典は生活文化にまつわるモノがたくさん載っています。
歴史上のコトはドラマチックですが、モノというのは日常的です。
ドラマのリアリティを深め、嘘に真実味を持たせるためには このモノが大事なんじゃないかと思うんです。
世界はモノでできていて、僕らの目にはモノしか見えないんですから、映像作品ならばコトよりモノの嘘に注意を払わなきゃいけないのではないかと思います。
ちなみに『新板 続 日本史モノ事典』の方は「民族学的分野を重視」とありました。
・「日本の伝統」という幻想
こちらもタイトルの通りです。
自分と反対側にいる人の意見を知りたかったので読みました。
しかしタイトルから受けるほど批判的な内容の本ではないように思います。
やっぱり伝統は不変の物事ではないし、不変であればそれは時と共に消えていきますから、「こういう変遷があって、今はこうなのか」という知識を持つだけで充分なのかなと思いました。
変化嫌いの僕たちですから、世界と比べればよっぽど『変わらぬ伝統』に近いものを持っている気がしますけど、僕もこの本をお書きになった藤井青銅さんも(?)伝統に対する理想が高いのかもしれません。
・「日本の伝統」の正体
こちらは具体例だと思います。
『ほらこんなに沢山の伝統が、実はね――』という感じです。おもしろいです。
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