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気力を探して深く潜る

最近の気力の無さが凄まじい。
週3〜4のリモート勤務がきっかけになって、体は目に見えて衰え、筋肉が落ちてフォルムが丸くなり、口数が減って表情筋がむくむくと日々埋もれている気がする。
契約しているジムから少しずつ足が遠のいているのも知っている。行く行く、行きます、すみません、明日はきっと。ジムに行かないと自分が損をするだけなのに誰かに謝ってしまうのはなぜなのか。

東京に来て4年が経った。
それなりに知り合いも出来た。なのにずーっと毎日に違和感があるまま時間が過ぎた感じ。常にふつふつと違和感を並べている。
でもどうやったら解決するか分からないんだよなあ。
仕事かなあ。土地かなあ。暮らしかなあ。人間関係かなあ。
たぶんブワッと全部だろうなあ。

仕事に関しては、大学院を出て24で働き始めてちょうど10年。一応ずっとデザイナーとして働けてはいる。

ただ、東京に来て「デザイナー」という職種、仕事に対して言いようのない違和感が出てきた。うまく掴めないのだけれど、地方と都会の違いなのか、このままでは良くないということだけは感じる。

売れるデザイン
流行りの分野
これからのデザイナーとは
生き残るためには
自称デザイナー

私は何のためにデザインをやっているのか。
何が作りたかったんだっけ?誰のために作っているんだっけな。
続ければ続けるほどよく分からなくなってきている。
小手先だけ上手くなって、脳の奥が深海みたいなところに沈み続けている気がする。深く潜るにはどうしたら良いんだっけ。
沈み切ってもう見つからなくなりそうで恐ろしい。
生き残るためにはぐんぐん泳いで水面のキラキラにときめいて水しぶきを上げて船の上の人たちと交流しないといけないのに。
それも体が動かない。
生き残る?生き残らないといけないんだっけ?うーん
ここ数年水中を漂っている。

「誰か助けて」とよく思う。
大人になって分かったけど、誰も助けてはくれないんだよなあ。
どうしたって自分で解決するしかないし、納得するしかない。
毎日は過ぎていくし、常に自分も死に向かっている。
「結局死ぬのに?」とも思ってしまう。
この日々は何なんだろう。
生物の、歴史の、世界の、何に役立つんだろう。
気力はAmazonで買えないもんなあ。

今朝、遠くに住む友人たちが夜の海で過ごした短い動画を送ってくれた。コロナ禍で長く会えていない友人たちが懐かしく、とても羨ましくて、単純な私は「週末、海に行ったら少し気が晴れるかもしれないなあ」と思った。

1年以上放置したこの日記を突然書き始めたのも
「気力が湧かない」で検索したら「日記を書くのがおすすめ」と出てきたからである。影響されやすい。

でも何だか少し気が晴れた気がするのでたまに書くか〜。
本当に単純だな。

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