ロキソニンとカロナール
地球に人間を1体増やしてから60日が経った。
考える暇もなく毎日が、時間がどんどん過ぎていく。
とにかく生かさなければの思いでなんとかやれているというのが本音。
まとまりは無いけれど覚えている範囲でバラバラと書く。
手術後・入院期間
帝王切開を終えた当日+翌日は傷が痛過ぎて少しも動けなかった。そりゃあ腹を30cmも切って色んなものを出して閉じたのだから仕方ない。何かしようとする度に驚くほどの激痛が走る。相部屋4人のうち2人が帝王切開、2人が普通分娩らしく、全員が頻繁にナースコールでロキソニンとカロナールを所望し、薬が切れると呻いていた。
入院していた産院では母子同室推奨だったため、できるだけ早く赤子の世話をするよう促される。術後2日でどうにか立ち上がり、よろよろと歩行訓練を始めた次の日にはもう小さなベッドを隣に置くことになった。
とにかく身体が痛い。腹は油断すると裂けそうである。
ただ赤子にそんな状況は伝わらないわけで、おなかは減るし排泄もする。
抱き上げる度に「たとえ腹が裂けてもこの子を落とすわけにはいかない」と自分を奮い立たせていた。限界突破というか、ピリオドの向こうというか…精神論は好きじゃないけれど、もう根性で体を動かすしかなかった。
コロナ禍のため面会は1日15分。面会者が赤子を見れるのは窓越しという規則だった。それでも夫は毎日病院に通って、牛歩で近付いてくる私を心配してくれたし、嬉しそうに分厚いガラスの向こうの赤子を愛でてくれた。
出産日(12/18)から夫は仕事を休み、1月2月とまるまる育休をとっている。夫の会社環境がどんな感じかは分からないが、こんなに融通が効くのは珍しいだろう。でも全員がこうなるべきだと思う。なんなら2ヶ月の育休すら短いと感じる。夫婦そろって1年間はとらせてほしい。
私たちは両実家が遠方のため周囲に頼れる人がおらず、夫婦どちらかが潰れれば詰む。正直なところ、夫が育休をとってくれなかったら私は狂っていたと思う。10ヶ月の妊娠期間の後で壮絶な出産を終え、身体も気持ちもボロボロな中で24時間ノンストップで始まる育児がワンオペなんて、想像しただけで吐きそうだ。でもきっとそんな家庭は多い。東京なら尚更だ。
子育て関連の日本のシステムどうにかならんもんか。
5年以内に出産を経験した日本中の夫婦にアンケートをとったら少子化対策が見えてくるのでは。何故そんな簡単なことをしないのだろう政府。
細かい部分はキリがないので割愛。産院ではとにかく赤子の世話を叩き込まれた。この小さい生き物を生かしていくために私がちゃんと習得しなければ、という使命感と恐怖がすごかった。
退院・帰宅
私には、12/24には絶対に退院していたいという強い気持ちがあった。
M-1グランプリである。
漫才に対する熱い気持ちはまた別で書くとして、とにかく私は常にM-1を追っている。小さい頃から漫才が大好きだ。
そのため、私はなんとしても12/24の夕方には自宅のテレビの前に居る必要があった。なんなら敗者復活の中継から見たいので昼過ぎには待機したい。
妊娠中お腹に全く話しかけないという淡白な妊婦だったが、出産日のことだけは何度か頼んだ。
「M-1っていうのが12/24にあるんです。それが見れるようなタイミングで産まれてくれると嬉しくて…お願いできますかね?」と赤子にとってはよく分からないであろう内容をお腹に向かって話しかけ、おおよその入院期間から出産理想日を逆算したりしていた。
私の出産予定日は12/20。それだと間に合わない…。
結局、息子が産まれたのは12/18。なんと退院日は12/24の朝。
奇跡的に昼過ぎに帰宅できて、諦めていた敗者復活戦すら観戦できたのである。なんなら寿司を買う余裕まであった。
なんて空気を読む息子だろうか。しかも12/18は私の誕生日なのだ。
産まれてくるだけで最高なのに、誕生日に合わせたミラクルも起こしてM-1まで見せてくれた。最高だ。最高にロックだお前は。
へっぽこ育児奮闘記は次回。
夜中にベビーベッドの隣でPCをポチポチするの楽しい。
夜勤もだいぶ慣れてきたな〜
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