#私の不思議体験
小学生の頃、少年野球チームに所属していた。野球などまったくやったこともないし、興味もなかったのだが、足が速いと言うことだけで、野球部に既に所属していた隣のクラスの子にスカウトされてなんとなくやり始めた。
グローブや練習着など全てお古だが頂戴して、私は野球の練習に参加するようになった。1軍から3軍まである少年野球チームで、私は3軍のチームに参加し、投げ方、打ち方を練習しだした。練習は反復の繰り返しで凄まじく面白くなかった。土日は練習で潰れたし、両親とも体育会系ではなく、インドア派だったので、あまり私に協力はしてくれなかった。
それでも、周りに同い年の友達がいたので、私はなんとか練習を続けることが出来た。ただ練習してもしても私はまったく上達しなかった。野球と言うスポーツは正直奥が深いし、哲学的な部分が多々あるような気がしていた。
それでも監督コーチの方々は私を使ってくれて、試合にもレギュラーで出る事が出来た。背番号を貰った時は本当にうれしかった。
周りにとても優秀なチームメンバーがいてくれたおかげで、新聞にのるほどの強豪チームにいつのまにかなっていた。ただ試合会場へは車でいくのだが、私は極度の乗り物酔いをする人間で、試合会場に着いた時にはグロッキーな状態で、試合どころではなかった。これが毎回続くのである。
青白い顔をして今にも倒れそうな私と試合に勝つ気まんまんの少年たち。太陽の光ににじむ輝く汗とどろりと滴り落ちる冷や汗。
チームは私の期待に反してどんどん勝ち進み、決勝戦まできてしまった。私はその日もしっかりグロッキーな状態で、チームのみんなが絶対勝とうな!優勝するぞ!と息巻いているそばで、一人静かに木陰で頭に冷たいタオルを置いて寝ころんでいた。遠くの方で、少年たちの意気揚々とした掛け声が聞こえる。輝かしいユニホーム姿の私は木陰で一人泣いた。なぜ私はここまで苦しい思いをしなければいけないのかと。なぜみなと一緒に楽しめないのかと。県の一位二位を決める決勝戦だったので、観客も多く、審判の人たちもいつもの近所のおじさんではなく、プロの衣装に身を包んだ方々だった。
ベンチでウォームアップしているチームメンバーの顔をとても緊張してこわばっているのが見て取れた。私も気分はまだまだ悪かったが、その張り詰めた緊張感にのどから何か出てきそうな感じになっていた。
試合が始まりお互いなかなかの攻防戦が始まった。私はセンターを守っており、声だけは大きく出していた。大きく声でも出して、早く気分の悪さを払拭させたかったのだ。監督コーチがよく私を褒めてくれた。『お前は一番声がでていて良い、その声でチームを活気づけて欲しい』と。みな私が大きな声をなぜ出しているのかの本当の理由はしらないようだった。ただ乗り物酔いをしてグロッキーな私は、声でも出していないと試合に集中できなかっただけなのである。チームメンバーも『お前の大きな声には励まされるよ』と。
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