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あの日の空がいちばん澄んでいた
私は何度か仕事を失ったり転職をしたりしています。
そのうち、2度、澄みわたった空気を味わえました。
最初の離職
大学を卒業して就職した1年目。五反田にある会社に就職しました。
平日朝8時15分に出社する事がつらくて仕方ありませんでした。帰宅は毎日11時ごろ。寝るのが12時〜1時、起きるのは6時。土日でしっかり休んでいたはずなのに全く過労が抜けずまた月曜日がやってくる。
西武線と山手線の満員電車もつらかったのかもしれませんが、それ以上に嫌だったのが、スーツ&ネクタイ、毎朝の朝礼、朝礼で社歌を歌うことでした。自分にはそうした習慣に違和感しかなかったのです。
半年で、夏の暑さにも参ってしまい、「もうダメだ」と観念しました。
9月初旬に「やめます」と言って、同期の中で最初の脱落者となりました(結局10人ぐらいいた同期入社組のうち、1年続いたのは2〜3人でした)。
ビルの自動ドアが開き、一歩外へ出たときの空が忘れられません。
それまで見た空の中でいちばん青かった。
「もうこんな生活しなくていいんだ」
すごい開放感、解放感。
余談ですが、直後に市で健康診断を受けたところ、尿酸値がひどい数値を記録。1ヶ月後に再受診したら数値は正常値になっていました。
検査官の方から、「前回は疲れていたんですか? 充分休んで疲れをとってから受診してください」と言われました。
2度目
40歳代なかばで会社が倒産。しかしご縁をいただき、とある会社にお世話になることになり、浜町駅近くのB社に通うことになりました。
「拾っていただき、ありがたい。ここで頑張っていこう」と思ったのですが、それから半年後、別のご縁があって別の社に招聘されることに。
目まぐるしい展開に戸惑うばかりでしたが、こればかりは登記や商標権の関係もあり、ほぼこちら側に決定権はありません。でもB社には相当手厚く対応していただいていました。
B社で、これまでお世話になった人たちへのあいさつまわりなどを数日かけて済ませました。
ビルのカードキーを総務部へ返却。
そして自動ドアを開けて外へ。
5月か6月でした。目の前にある公園の空気が澄んでいました。
今思うこと
会社をやめるということは収入が途絶えることです。家族持ちのサラリーマンにとっては「大ピンチ」です。それなりに迷惑をかけることでもあります。
不思議なことに、両方ともそれ以降、浜町駅も五反田駅もまったく利用した事がありません。五反田駅はしょっちゅう通過します。車窓から勤めていたビルを今も見ることができます。古いけれども立派なビルです。
「同期のみんなは元気でやっているのかなぁ。あんなに大変で理不尽な日々を続けていたとしたら偉いなぁ。。。」
でも、もう誰の連絡先も知りません。同期の名前(フルネーム)も忘れてしまいました。社歌のメロディーは覚えていますが。
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