1990年の俺と2020年の僕
僕は、空道という武道の指導員をしている。
こないだの指導日に、サイフを忘れて行った。
体育館の使用料が払えない。
グループLINEで助けを求める。
後輩から返信が。
なんて気の利く…。
モテるわけだ。
この後輩は半年スパンぐらいで彼女が更新されて行くが、男だらけの職場で働き、男だらけの道場で稽古して、一体いつどこに出会いが転がっているのか。
モテる人というのは、出会うべくして出会うのだろう。
なんにしろ、僕とは縁のない世界の話だ。
しかし、稽古が始まる前にこれでは威厳もクソも無いな。
おかしいな。
僕が中学高校と通った空手道場の先生は、鬼のように怖かったけどな。
1990年の市営体育館
「おせーんだよ、バカ野郎‼︎後ろでスクワットしてろ‼︎」
巻き舌の関東弁で罵倒される。
よく関東の方に、「関西弁は怖い」だの「ガラが悪い」だの言われるが、僕に言わせれば関東弁の方が怖い。
なんか「冷たい」感じがして、より深く心の奥をえぐられる。
単に「異国の言葉」だからかも知れないが。
とりあえず16歳の僕は、空手の稽古開始に遅れて、関東出身の先生に「異国の言葉」で罵倒されたのだった。
なぜ遅れたかと言うと、当時付き合いだしたばかりのK子ちゃんと駅のベンチでお話をしていたからだ。
明日は日曜日で、しかもK子ちゃんの誕生日だ。
どこに行きたいのか、何が食べたいのか、プレゼントは何が欲しいのか。
その辺をキッチリ聞いておかないといけない。
16歳の男子にとって好きな異性とお話することは、空手の稽古よりも大事なことだと決まっている。
稽古に遅れる時や休む時は、連絡しないといけないルールがあった。
でも僕は、せっかくのK子ちゃんとのお話を中断させたくなかったので、連絡をしなかった。
その結果の、無断遅刻だった。
壁を背にして、黙々とスクワットをする。
回数も時間も決められてはいない。
先生の気が済んだら、そこでやっと終了だ。
今までの慣例からすると、早くて10分、長くても30分ぐらいか。
それぐらいなら余裕なので、みんなの稽古を眺めながら、淡々と立ったりしゃがんだりを繰り返す。
頭の中では、明日のK子ちゃんの誕生日に何をプレゼントするか、何を食いに行くか、綿密に計画を練っている。
基本が終わり、移動が終わり、みんながミットを蹴り出した。
すでに1時間経過。
僕に声がかかる様子は無い。
さすがに1時間のスクワットは初めてだ。
膝が笑っているが、自分からやめるわけにはいかない。
スパーリングが始まった。
スクワット開始から1時間半経過。
まだ声はかからない。
僕はただ、立ったりしゃがんだりを繰り返す機械と化している。
脚の痛みは限界を越え、そして限界を越えると今度は何回でも出来るような感覚になっていた。
頭の中のK子ちゃんは、とうにどこかに行っていた。
稽古終了。
全員整列して正座しだした。
スクワット開始から2時間経過。
声はかからない。
もう開き直ってこのまま一晩中スクワットしてやろうかと思った頃に、
関東弁の怒声が飛んで来た。
「いつまでやってんだ、このバカ野郎‼︎さっさと並べコラ‼︎」
えええええええええ……。
あなたが「やめろ」と言わなかったから……。
……まー、いいや。とりあえず、これでやっと終われる……。
歩き出そうとして、そのまま前方にすっ転んだ。
歩けない。
脚の感覚がまったく無い。
どこに自分の脚があるのかもわからない。
「体が初期化されて脚の使い方を忘れてしまった人」となった僕は、ゴロゴロ転がりながらなんとか整列した。
今度は「お前だけ道場訓の声が揃ってない」
という理由で、蹴られた。
1990年の駅
「災難やったな、ハシマくん。ジュースおごったるわ。何がいい?」
「……たらみのみかんゼリーでもいいですか……?」
駅のベンチに座ったまま立てない僕を残して、N先輩はキオスクに向かった。
まだビールの美味しさに目覚めていない16歳の僕にとっての稽古後の癒しは、たらみのみかんゼリーだった。
右手にポカリ、左手にみかんゼリーを持って、N先輩は戻って来た。
冗談みたいに短い短ランを着て、アラビアンナイトみたいな太いボンタンを履いている。
僕はというと、規制の学生服を着ているが、パーカーのフードを詰襟から出してみたりして、出来る範囲内でのオシャレをしている。
N先輩は僕の1学年上で、なかなか悪そうな高校から通って来ていた。
基本的にN先輩と僕がローテーションで先生の標的にされ、いろいろ理不尽な目に遭っていた。
そして、標的を免れた方が標的となった方にジュースをおごるのが、慣例となっていた。
ポカリとみかんゼリーで乾杯をする。
まだ「練習中に水飲むな‼︎」の時代である。
みかんゼリーの冷たさと甘酸っぱさが、疲れ切った体に染み渡る。
とりあえず、このまま電車に乗って家まで帰る体力だけは、戻って来たような気がする。
ふと横のN先輩を見ると、ポカリを飲む手を止め、遠くを睨んでいる。
その視線の先には、先輩と同じような格好の高校生が3人。
リーゼントだったりパンチだったり眉毛も細くてボンタンで。
この時代の田舎には、まだ『ビー・バップ・ハイスクール』みたいなヤンキーが普通に生息していた。
しかもどうやら酔っぱらっているようで、ギャハギャハ下品に騒いでいる。
「(うさ晴らしに)あいつらシバこか?」
N先輩は、座った目で行った。
N先輩の中では、「外でそういう学生と遭遇した時はケンカをしなければならない」というルールがあるようだ。
N先輩が稽古に遅れる時は、だいたい来る途中に他校の生徒とケンカになったためだった。
(降りかかる火の粉は払わなあかんけど、なんでわざわざ自分から火の粉になりに行かなあかんねん…。
そもそもこの脚の動かん俺が、どんだけの戦力になるねん。
俺は明日K子ちゃんとデートやねん。
今ケガするわけにはいかんのや。
とりあえず、今はこのみかんゼリーをゆっくり食わせてくれ…)
僕が乗り気じゃないのを見て、N先輩はひとりでその3人組に向かって歩いて行った。
ポケットに手を入れてガニ股で上目遣いでメンチを切りながら(ガンを飛ばしながら)、歩いて行く。
もし先輩が劣勢になったら、参戦しよう。
それまでは他人のふりしとこう。
とりあえず僕は、みかんゼリーを食べながらボケっと座っていた。
先輩と3人組の距離が近くなり、先輩が「おいコラッ…」て言いかけた刹那、彼らのひとりが盛大に嘔吐した。
まだ酒の呑み方もわからないのに、調子に乗って呑み過ぎたんだろう。
ワチャワチャする残された2人。
なぜか先輩も一緒になってワチャワチャしている。
オガ屑やらホウキやら持って来た駅員さんもワチャワチャしている。
僕はみかんゼリーの底に残った最後の汁を大事に飲み干しながら、その修羅場を眺めていた。
(自分がやりたいと言って始めた空手やけど、こんなしんどいことがいつまで続くんやろ…)
そんなことを考えてると絶望してしまうので、努めて明日のデートのことだけを考えるようにした。
翌朝。
当然のように、下半身全ての筋肉がちぎれたような激烈な筋肉痛。
まったく起き上がれない。
「ごめん。昨日2時間スクワットして脚が動かへんから、今日のデートは無しで…」
電話でバカ正直に釈明した僕に、K子ちゃんはものすごく腑に落ちない様子だった。
ほどなく、K子ちゃんはサッカー部の爽やかなヤツに取られた。
2020年の市営体育館
「エビ」という、寝技の基本的な動きがある。
この日は初心者もいたので、実演しながら丁寧に説明する。
「エビというのは、寝技になった場合、特に下になった場合に重要な動きとなります。
抑え込まれた時やマウントを取られた時に逃げるのもエビの動きですし、このように下から腕十字なんかを仕掛ける場合も……はぅあっ‼︎」
足つった。
みなさん、笑うわけにもいかず、気まずく指導者の回復待ち。
結局回復せず、残り2時間ほど足つったまま乗り切った。
足つったまま稽古終了。
「今日はありがとうね。おかげで助かったわ。お礼にジュースおごるわ」
というわけで、モテる後輩と一緒に自販機コーナーへ。
ジュースを買おうとして、無一文であることを思い出す。
モテる後輩は笑いをこらえながら、
「おごりますよ」
と言った。
1990年のあの頃は、「俺は絶対こんな先生にはならないぞ‼︎」と思っていたが、心配しなくてもならなかった。
少なくともあの先生は、生徒からお金借りたりジュースおごってもらったり指導中に足つったりはしなかった。
今思えば、僕たちが十代半ばだったということは、あの先生もまだ二十代半ばの若造だったわけだ。
その若造が、当時もっとも大きなフルコンタクト空手団体の看板を背負って、縁もゆかりも無い田舎に「道場作って来い」と放り出されたわけだ。
必死だったんだと思う。
その頃の同期には、その先生とは「もう二度と会いたくない」「顔も見たくない」と言う人もいる。
僕も、以前はそうだった。
でも、もうみんな「初老」だ。
今なら、笑って酒でも酌み交わせる気がしないでもない。
N先輩は、地元でお好み焼き屋さんを開業した。
あんなに尖ってた人が、今は常に笑顔の愛想のいい店長さんだ。
お世辞抜きで、日本一美味しいお好み焼きである。
あの頃はポカリVSみかんゼリーだったけど、やっとビールVSビールの乾杯ができると思ったが。
なにしろN先輩の地元ということは、田舎かつ僻地だ。
車で行かざるを得ない。
だからまだ、「大人の乾杯」はできていない。
次回はローカル線とタクシーで行くので、帰れなくなったら泊めて下さい。
その時は、あの先生も呼びますか。
いや、やっぱりやめときますか……。
それとも、やっぱり呼びますか……?
どうします、先輩⁉︎