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武道家シネマ塾③ 『燃えよ剣』〜そもそも美しさとは作れるものなのか〜

この記事は、以前”言葉とたわむれる読みものウェブ”BadCats Weeklyに寄稿したテキストの再掲となります。

『燃えよ剣』を観た。
原作、司馬遼太郎。監督、原田眞人。主演、岡田准一。

司馬遼太郎。言わずと知れた、歴史小説の大家である。『竜馬が行く』、『国盗り物語』、『関ヶ原』、『功名が辻』など、そのおもしろ過ぎる歴史小説の中でも、この『燃えよ剣』は国宝級のおもしろさである。全・日本男子必読であるのは当然として、全・日本女子も必読である。いや、ぜひ日本女子にこそ読んでもらいたい。未読の日本男女は今すぐ書店へ。

原田眞人。『関ヶ原』に続く、司馬作品の映画化。この監督には、『KAMIKAZE TAXI』(’95)
という奇跡のような映画がある。たった一人で組織に立ち向かい死んでいく、若いチンピラヤクザを描いている。全・日本男子必見であるのは当然として、全・日本女子も必見である。いや、ぜひ日本女子にこそ観てもらいたい。未見の日本男女は今すぐアマプラに登録を。『関ヶ原』もそうだが、“敗れし者たち”を描かせたらこの監督の右に出る者はいない。その原田監督が、明治維新に最後まで盾突きサムライの世に殉じた男・新選組副長土方歳三を描くのだ。おもしろくないわけなかろう。

岡田准一。いや、僕ごとき二流の武道家が呼び捨てにしてはいけない。この岡田“師範”は、原田監督いわく「超一流の武芸者が俳優のふりをしているような人」。岡田師範がいかに“本物”かは、『ザ・ファブル』評の際に既に書いた。男前で、役者としても素晴らしく、そして、なにより強い。もはや嫉妬する気も失せるほどの完璧超人ぶりである。どうすれば弟子にしてもらえるのだろう。どしゃ降りの雨の中で、土下座でもすればいいのだろうか。

僕の“心の師匠”である岡田師範は、主演俳優でありながら殺陣の構成・指導も兼ねている。岡田師範の作る殺陣は、とにかく“リアル”だ。そもそも主人公である土方歳三からして、決して“最強の剣客”ではない。芹沢鴨の方が、岡田“人斬り”以蔵の方が、そして恐らく沖田総司の方が、土方より強い。少年漫画のような主人公補正は、ない。

口論が元で、芹沢(伊藤英明)と土方が斬り合いになるシーン。鍔迫り合いでは芹沢の剣圧に押され、決死で振るった剣も、スウェーバックで余裕でかわされる。邪魔が入らなければ恐らく土方は斬り殺され、その後も芹沢鴨体制の新選組が続いていたことだろう。

だからこそ、泥酔させた上で殺す。芹沢に呑ますために、近藤勇(鈴木亮平)がよくわからんダンスを踊ってまで座を盛り上げる。酔いつぶれて眠った芹沢を殺す。それも一刀の下に斬り伏せるのではなく、何回も何回も何回も何回も上から突き刺して、完璧に殺す。暗殺って、そういうもんだろ?

土佐藩の岡田”人斬り“以蔵(村上虹郎)との対決。これは原作にはないエピソードだが、言うなれば”幕末・夢のカード“。「お前、強いのう!」と、ニタニタ笑いながら戦いを楽しんでいる以蔵に比べ、明らかに余裕のない土方。「剣では勝てない」とさとったのか、組討に持ち込む。流れるような動きでバックを取ったかと思うと、チョーク・スリーパーで絞め落とす。この時代にこんな近代MMA(総合格闘技)みたいな技術があったのかは、甚だ疑問ではある。しかし、土方らが修めていた天然理心流は、剣術だけではなく、柔術・居合術・棒術をも含む「総合武術」だったらしい。竹刀での道場稽古のシーンでも、鍔迫り合いから空いた胴に前蹴りをしたり、出足払いでグラついた相手に面を打ち込んだりしている。「体術」と「剣術」は、セットだったのだと思われる。

新選組がブレイクするきっかけとなった池田屋事件。近藤勇、沖田総司(山田涼介)ら4人だけで、30人近い志士たちを相手取る。土方隊が到着するまでの40分間、この多勢に無勢の戦いが続いたわけだ。余談だが、筆者は昔、まったくインターバルを取らずに空手のスパーリングを30分続けて行った(正確にはやらされた)ことがある。その時は、真っ黒な血尿が出た。なぜか嬉しくなって当時の彼女に電話報告したのだが、そのことが、後にフラれる一因となったのかもしれない。このように、防具を着けてルールのあるスポーツとしての戦いであっても、体は悲鳴をあげるのだ。これが、真剣を持った命のやり取りを40分間行ったらどうなるか。土方が到着した時、返り血と泥にまみれ、へたり込んでまったく動けなくなった近藤の姿があった。この戦いにおいて近藤は無傷だったはずなのだが、その姿はなます斬りにされた斬殺体のようであった。血尿も出ただろう多分。かつて池田屋事件を描く時の定番だった“階段落ち”みたいなカッコいいシーンは、もちろんない。銀ちゃんに斬られたヤスが、転がり落ちたりもしない。あるのは、ただ泥臭く血生臭く、嫌になるぐらいリアルな戦いそのものだ。近藤も沖田も、“無敵のヒーロー”ではない。

時流は倒幕へと傾き、徳川幕府は崩壊寸前なのだが、あくまで幕府のために戦い続ける土方。だが、仲間たちはついて来れず、ひとり、またひとりと脱落して行く。

田舎道場・試衛館の“バラガキ“仲間たち。近藤勇、沖田総司、井上源三郎(たかお鷹)、藤堂平助(金田哲)、山南敬助(安井順平)……。彼らがそのまま新選組の主要メンバーだったのだが。

まず山南が、脱走からの無言の抗議めいた切腹。藤堂は不満分子派に寝返り、土方に斬られる。そして、局長の近藤勇までもが、敵軍に降伏する。引き止める土方への、近藤の最後の言葉。

「歳、自由にさせてくれ。お前は新選組の組織を作った。その組織の長である俺をも作った。京にいた近藤勇は、いま思えばあれは俺じゃなさそうな気がする。もう解きはなって、自由にさせてくれ」

土方は、近藤だけは、自分と同じペースで走っていると思っていた。他の誰が脱落しようとも、近藤だけは、自分と抜きつ抜かれつで走っていると思っていた。しかしいつの頃からか、近藤は“新選組局長・近藤勇”であることに疲れてしまっていた。

近藤は、斬首された。
井上は鳥羽伏見の戦いで、沖田は肺病で、それぞれ死んだ。
土方は、ひとりになった。

ひとりになっても、土方は戦いをやめない。そもそも徳川幕府自体とっくになくなっているのに、それでも土方は戦いをやめない。

土方は、沖田に言った。
「男の一生というものは、美しさを作るためのものだ」

土方は、近藤に言った。
「時勢などは問題ではない。勝敗も論外である。男は、自分が考えている美しさのために殉ずべきだ」

土方歳三は、“利”のためではなく、もはや“義”のためですらなく、ただひたすら“美”のために戦った。
かつて日本にそんな男がいて、司馬遼太郎がそんな男をどうしても書き残したく思い、原田眞人がそんな男をどうしても映像で動かしたいと思い、岡田准一がそんな男をどうしても蘇らせたいと思った。ただ、ありがとうと思う。

この映画を観て、土方歳三のように美しい男が、この日本に生まれることを願う。そうなれば、この国もまだまだ捨てたもんじゃない。


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ハシマトシヒロ
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