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武道家シネマ塾⑤ 『キッズ・リターン』~始まるんだよ、何度でも~

この記事は、以前”言葉とたわむれる読みものウェブ”BadCats Weeklyに寄稿したテキストの再掲となります。

「俺たち、もう終わっちゃったのかな」
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねーよ」

あまりにも有名なエンディング。挫折し、傷つき、敗れ去った2人は、本当にもう終わってしまったのか。あるいは、まだ始まってすらおらず、これから始まるのか。これからどちらに転ぶのかは、観た人の想像にゆだねられる。

ふと、『ザ・ファブル』のレビューを書いた時に、誰かに言われた言葉を思い出した。
「映画レビューで、中盤以降のネタバレを書いてはいけません」

いつもお世話になっております、ハシマです。忠告、恐れ入ります。そりゃそうですよね。レビューで結末を書いちゃったら、もうその映画観る気なくなっちゃいますもんね。僕は映画ライター失格です。今後気をつけます。これからも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。かしこ

で、引き続きエンディングの話だが、「もう、あれで終わっちゃったんだよ」という声も多いが、僕は「これから始まる」と思った。いったいいつになったら「始まる」のか見当もつかない当時の自分と重ね合わせて、「これから始まってほしい」と、強く思った。

大学4年生の僕は、ある劇団の研究生のオーディションに受かったことを機に、就職活動を辞めた。

「オーディションに受かった」というと、なんか凄い逸材のように聞こえるが、実質九割七分の人間は受かるわけで、そこはまあ、研究生の授業料が劇団の大事な収入源であるわけで、この時点での僕らは劇団からしたら単なる「お客さん」である。

そして、実質九割三分の人間は、劇団員になれずにお客さんとして生涯を終えるのである。生涯を終えるは噓だが、僕自身、劇団員になれる気はしなかった。そもそも、この劇団のメンバーになりたいのかも怪しかった。ただ、まだ社会に出たくなかったからモラトリアム期間を無理矢理延長してみました!という、甘ったれた理由が大きかった。

「役者としてBIGになってやる!」という確固たる信念があるわけでもなく、なんとなく就職を辞めて“役者見習い”になったものだから、夜、布団に入ると一気に不安が襲って来た。

20歳前後の健康な男子の漠然とした不安を取り去ってくれるものは、ひとつしかない。
女子だ。
そしておそらく、20歳前後の健康な女子の漠然とした不安を取り去ってくれるものは、男子なんだろう。

同じく“役者見習い”の女の子の中に、よく話しかけてくる子がいた。
九州から出て来て専門学校に通っていた。僕の4つ下で、高橋由美子似のかわいい顔をしていた。おっぱいが大きかった。稽古場にリスを連れてきたり若干不思議ちゃんなところもあったが、顔がかわいくておっぱいが大きいのだから、そんなことは些末なことだった。20歳前後の健康な男子にとっては、顔のかわいさとおっぱいの大きさが全てだった。

その子も含めた“役者見習い”数名でよく遊びに行ったりしたが、人生でいちばん性欲はあったが、それに反比例して人生でいちばんその辺のカケヒキがよくわからない時期でもあったので、なかなか一線を超えることが出来なかった。

だがある日、「明日はおねーちゃんいないから、遊びに来ない?」と、携帯の留守電に入っていた。その子はおねーちゃんと2人暮らしだったため、なかなか部屋に遊びに行けなかったのだ。
ドキドキしながら、しかし一応僕が年上なので大人の余裕を漂わせながら部屋を訪れ、そこはお互い憎からず思っている若い男女が個室に閉じ込められているわけだから、当然そういう展開になった。
なんとなく予想はしていたが彼女は初めてであり、僕もまだ片手で足りるぐらいの経験しかなかったが、そこはとにかく俺がんばった。
なんとかがんばり終わり、とりあえず大人ぶりたい僕は、ベッドでタバコを吸った。
僕が人生で唯一タバコを吸ってた時期だった。タバコを吸いながら演劇論を戦わせる先輩方がカッコ良く見えて、一切おいしいと思えないタバコを、ポーズでふかしていた。後でもれなく気持ち悪くなるし、最悪吐いてしまったりもした。でも、何も中身のない自分を、そこまでして取り繕わないといけなかった。
吐き気と戦いながらタバコを吸う僕の胸を枕にしたまま、彼女が語りだした。

「ハシマさん、私のこと好き?」
こんな状況で「嫌い」という男は、なかなかいない。
「うん。好きやで」
「良かったーーーー!!」
彼女が大声を出したので、僕はタバコを落としそうになった。
「わたしね、遊ばれてるのかなと思って怖かったの。良かった! ほんとに良かった! わたしもハシマさん大好き!」
彼女はすでに涙声になっており、つられて僕も泣きそうになり、この子を一生大切にしようと思った。
「わたしね、夢があるの」
「どんな夢?」
「あのね、その夢を叶えるには、本当に好きな人の協力がいるの」
「なんでも協力するよ」
「ホントに?」
「ホンマに」
「じゃあ、言うね! わたし、最期は本当に好きな人と心中したいの!」
キャッ、言っちゃった!って感じで、彼女は顔を隠した。
そう言えば、彼女は太宰治が好きで、桜桃忌にもいつか行きたいと言っていたことを、思い出した。そういうことは、こういうことになる前に言ってほしかった。

「……心中……?」
「そう、心中!」
「……それは、やっぱり入水……?」
「もちろん! ロマンチックでしょ~」

実際の水死体というものはそんな綺麗なものではなく、体内にガスがたまってパンパンに膨れ上がって、ちょっと正視に耐えないようなものらしいよ。つのだじろうの『恐怖新聞』で得た情報を聞かせようかと思ったが、やめた。入水するならやっぱり玉川上水がいいとか、お互いの手首は赤い紐で縛ってゆっくり湖に入るの、とか、そんな話をキラキラした目で語る彼女を見ていると、その夢を壊すようなことは言い出せなかった。

「で、具体的にいつ入水するの……?」
「そりゃやっぱり、若くて美しい内じゃないとダメよ。遅くても25歳までには……」
僕はもう3年しかないじゃないか。
「わたしね、ハシマさんの腹筋が好きなの。それがなくなってお腹が出ちゃうとか考えられない。そうなる前には死ぬつもり」
とりあえず、毎日腹筋は続けようと思った。
「ハシマさんも、わたしのおっぱいが垂れたら嫌でしょ?」
僕がおっぱい好きであることは、どうやらバレているようだ。いや、少し垂れてきたんも好きやで、と言おうと思い、それはそれで噓ではないのだが、やめた。
最初に「心中」と聞いた時は驚いたが、「若くして死ぬのもいいかな……」と思い始めていた。

「就職しないで役者に」という道をえらんだ時点で、既に「人生は20代で終わる」ぐらいに考えている。それ以降の人生は「無い物」と考えていた。
そして、彼女の死生観はどうやら太宰治で作られたようだが、その頃の僕の死生観を作っていたものは、北野武の映画だった。
あまり“生”に執着のない主人公が、本当は大騒ぎすべき映画内イベント(殺したり爆発したり炎上したり)も淡々とやり過ごし、最期はなんとなく死んでしまう。

まだ中二病を引きずっていたこの当時の僕も、最期は「なんとなくあっけなく死にたい」と思っていたフシがある。
1994年8月、北野武はバイク事故で生死をさまよった。このまま死んじゃったら、本当に自分の映画の主人公みたいやん……。そんなドラマチックな人生あるか?
一命を取りとめた北野武は、記者会見を開いた。事故の後遺症でひん曲がった顔のまま。その光景は死んでしまうよりドラマチックで、震えた。
その北野武監督の、復帰第1作が公開中であることを思い出した。
「なぁ。君のタイミングでいつでも死ぬからさ。とりあえず明日は映画観に行かへん?」

北野武監督の復帰第1作『キッズ・リターン』(’96)。
“やりたいことも見つからず、高校も退学寸前の不良少年マサル(金子賢)とシンジ(安藤政信)。ひょんなことから、マサルはヤクザ、シンジはボクサーとなり、それぞれの道で成功するかと思われたが……”

ボクサーと思しき男にケンカで負けたマサルは、シンジを連れてボクシングジムに入門する。このふたりは同じクラスなのだが、なぜかシンジは常にマサルに対して敬語であり、軽い主従関係のようなものがある。だが、決してそれは恐怖政治のようなものではなく、シンジにとってはその関係性が心地良いのだと思われる。従ってマサルが「一緒にやろう」と言えば、当然のようにそれに従う。
シンジ自身は、とりたててボクシングに興味があるわけではない。ただマサルとつるんでいたいだけだ。
でも、本当に神様というものは、残酷で気まぐれで、そして遊び心にあふれている。

やる気満々で始めたマサルにはボクシングの才能を与えず、付き合いで始めたシンジの方に与えてしまった。
いつまでたっても「イキった素人」みたいなマサルのパンチ。足が揃っているため下半身からの連動が使えず、完全に手打ちである。しかしマサルは、その打ち方を改めない。
一方、シンジ。最初はぎこちないながらも、シーンが変わるたびに少しずつ進歩している。教わったことを遵守する素直さもある。
おそらくマサルは、その素人パンチでケンカに勝ってきたから、改める必要はないと思っている。一方、シンジがケンカするシーンはなく、他人を殴った経験も少ないのだと思われる。もともと人の殴り方を知らない。だから素直に教えられた通りにやる。
この意識の違いも含めての才能なのだが、その才能の違いは、極めて残酷な形で露呈する。

マサルから誘った、シンジとの初めてのスパーリング。
ふたりの実力には、厳然たる差があった。何度も何度も倒される。ちなみに倒されているのはシンジではない。マサルだ。
シンジは、かさにかかって倒しに行っているわけではない。「舎弟扱いしやがって!」と思いながら殴っているわけでもない。スパーリングが成立しないぐらい、ふたりの強さに差があり過ぎるのだ。
失意のマサルはボクシングを辞め、ヤクザになった。

シンジはそのままボクシングで頭角を表し、新人王にまでなった。だが、どうもこのシンジは人が良すぎて「NO」と言えない。モロ諸岡演じる悪いジムの先輩に、ことごとく足を引っ張られる。暴飲暴食(酒込み)しても「後で吐けばいい」と教わり、反則技を教わり、不摂生で体重が落ちない時に利尿剤も教わった。
せっかくの才能を無駄づかいしたシンジは、勝てなくなり、ボクシングを辞めた。

マサルもヤクザとしてのし上がりつつあったが、増長ゆえに兄貴分らの恨みを買い、左腕を斬られたあげく、組を追い出される。

なにもかも失ったふたりは再会し、昔のように学校の校庭を自転車ふたり乗りで走る。
シンジが尋ねる。
「俺たち、もう終わっちゃったのかな」
マサルが答える。
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねーよ」
 

生還後の北野武の描く主人公たちは、死ななかった。
いや、一度死んでいる。マサルもシンジも。そのアイデンティティーを殺されている。
そこから復活する物語なのだと、僕はとらえた。これから、また始まるのだと。
僕だって、まだ何も始まっちゃいない。何も始まらないまま、水死体になるわけにはいかない。
「なぁ……」
「なに?」
花のような笑顔で聞き返す彼女。
「心中は、やめよう」

ほどなく、僕はフラれた。

あれから20年以上たったが、どうもまだ何も始まっている気がしない。やっぱりあの時、心中するべきだったのか。
いや、どうやら待ってても自然に始まったりはしないようだ。自分で始めないと何も始まらないということに、47年間生きてきてやっと気づいた。
始めようか。今日は眠いから、とりあえず明日からね。
 


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ハシマトシヒロ
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