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「面構 片岡球子展 たちむかう絵画」(そごう美術館・神奈川県横浜市)に行ってきた

正直に言うと片岡球子という人が日本画家だと知らなかったので、最初に見た時は現代アートの人だと思っていた。
(その最初も2022年に配布されたそごう美術館のチラシである)
とはいえ平成までしっかり活動し、2008年に亡くなった人なので、現代(の)アーティストと呼んでも失礼には当たらないかもしれない。

片岡球子(1905-2008)は愛知県立芸術大学の日本画家主任教授も務めた正真正銘日本画の人だが、きっぱりした太い線と鮮やかな色彩を使って顔の皺までくっきりと描かれる巨大な人物画は「明治生まれの日本画家(しかも女性)」というイメージを覆しているような気がする。
1930年に院展に入選した後は「落選の神様」と呼ばれるくらい落選を繰り返したそうで、時代の方が追い付いていなかったのだろう。

「面構」会場より

片岡が世間に認められるようになったのはだいぶ年を取ってからで、「面構」のシリーズを描き始めたのも60歳をこえてからだという。
そこから38年間かけて描き続けられた「面構」シリーズのうち、今回の展覧会に出品されたのは42点。
どれも近眼持ちの私が遠目から見て何が描いてあるかはっきりわかるほど鮮明で大きいのだが、片岡の絵はそれだけに留まらない。
そごう美術館のチラシにはこんな紹介が書いてあった。

(略)「面構」は単に歴史上の人物の肖像ではありません。人間の「魂」を描きたいと考えた片岡球子が取り組み続けた作品です。綿密に取材・推敲を重ね革新をもって血肉のある人間に仕立てあげています。

(展覧会のフリップより)

確かに1970年の作品である《豊太閤と黒田如水》に描かれた公卿装束を着た豊臣秀吉の真っ白い顔を見ると白粉(おしろい)を塗って貴族の正装をしているんだなあと思い、(秀吉の顔と手は違った色で塗られているので、顔が白いのは化粧で間違いないと思う)そのすぐとなりにある1969年の《上杉謙信と直江山城守》に登場する上杉謙信と直江兼続の青白い顔には何やら神がかった様子を感じる。
秀吉と謙信の目はどちらも目が金色で塗られているし、顔色も白。それでいて片方は人間くさく、もう片方は人間離れして見えるのだから、作者はよくよく人物の造形を練り上げた上で形にしたのだろう。
ちなみに黒田如水は、とても健康的な赤い顔をしていた。

片岡が99歳の時に描かれた「面構」最終作のモデルは、江戸時代の浮世絵師・鍬形蕙斎(正式な名前は北尾政美)。津山藩の御用絵師であり、シンプルな線で構成された動物画の絵手本「鳥獣略画式」で有名な人でもある。
「略画式」のユルい動物について本人は「形によらず精神を写す」と語ったそうで、徹底的に形を描き込んで「魂を描きたいと考えた」片岡とは対照的だと思うのだが。
片岡には何か意図があったのだろうか。

一見シンプルな肖像画は、意外に深い奥行きがありそうである。

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