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世界に一つだけの花~ただ淡々と咲く
職場では話しかけられることも
注目されることもありません
気を遣いすぎて
自ら孤独を選ぶ日々
人が怖い
潜行密用
愚の如く魯の如し
私が修行時代に
とても励まされた言葉です
人から評価を受け
認められたり褒められたり
表に出て
誰かの注目を集めたりする
ということではなくて
ただただひっそりと
一見
愚か者のように
鈍き者のように
しかし
自分の内側では
着実に自分を修行していく
愚直を貫いていく
自分の内側で
起こっている物事の進化は
自分自身を
明らめていくという過程は
他人から見て
どうこう評価されるものではない
という事です
自分は
目立つわけでも
人から褒められるわけでも
認められることもなく
何かの役に立っている
わけでもなく
居ても居なくてもいいような
存在だし
いったい自分は何なのだろう
と思っている人は案外多いのです
私たちが
生きている時
社会の中で仕事に就いている時
いちいち注目されたり
評価されたりすることなど
本来はないのです
会社によっては
自尊心をくすぐられるような
仕掛けを作って
あなたがいてるれるから
会社が成り立つ
ありがとう
というような仕組みを取ってくれ
社員さんを一生懸命励まして
会社の業績を上げている組織
もありますが
本来は
その仕組みの中で
働いている人たちは
みな黒子なのです
私たちの体を見てみましょう
朝起きてご飯を食べて
学校や仕事に行ったりして
また昼が来たら
お腹が空いてご飯を食べる
夜が来たら帰宅して寝る
一日を生活する間に
私たちの体という組織は
口の中に入った食べ物を
胃に送り消化し
腸で栄養分を吸収し
その残骸を排泄する
吸収された栄養分は
細胞として届けられたり
新陳代謝を行われたり
外から酸素を取り入れて
エネルギーとして
使われるようにしたり
色々な活動が行われています
私たちの身体には
60兆と言われる細胞がある
沢山の臓器があり
沢山の筋肉が働いている
それらをいちいち取り上げて
あなたは
素晴らしい働きを
してくれているね
あなたがいてくれて良かった
本当にありがとう
なんて感謝するでしょうか
しませんよね
それでも
ちゃんと
役割を果たしてくれている
私たちが
生きているのに欠かせない空気
大気というものにだって
感謝されることはない
薄くなって始めて
ありがたさを知る
そんなものですよね
この世の中に存在するものは
すべて組織なのです
私たちも
組織のひとつでしかありません
宇宙のシステムの中で
地球の循環の中にいる
まるでチリのような存在なのです
人間だけが
自分を見てくれ
自分に注目してくれ
自分の存在は何か
自分はココで
何をしているのだろう
自分はココで
何をするべきなのだろう
という事を考えるのです
自分なんて
無に等しい存在じゃないか
自分なんか
生きていても
意味があるのだろうか
という事を考えるのです
私を見て
私に注目して
私は黄金に光り輝く存在なのだから
と
自分の存在価値を認めてほしい
という思い
仏教では
自我といいます
小さい頃から
塾に行っては歓迎され
学校に行っては歓迎され
一等賞を取った訳でもないのに
メダルをもらい
あなたは特別な存在ですよ
と育てられていく
あなたを好きだよ
あなたを愛しているよ
あなたはかけがえのない存在だよ
と言われること
私という存在は
特別だよ
生まれてきてくれてありがとう
と感謝をされ
素晴らしい存在だよ
と認められて
生きていかなければ
人として生きる価値がない
生活環境とか社会環境とか
知らず知らずのうちに
自我を増大させる作用が
心を蝕んでいるのです
人間にとって無視される
という事は辛い事ですが
誰からも褒められるわけでも
誰からも認められるわけでもない
けれど
誰からもお前はダメだ
と叱咤されるわけでもない
普通に
自分の役割をこなせている時には
誰からも意識はされません
人は自分に
スポットライトが当たっていない
と
何処かで辛いのだと思うのです
組織の中で
誰からも見られない
誰からも話しかけられない
誰からも注目されない
人が怖い
もしかしたら
自分は本来
注目されるべき存在である
という思い込み
つまり
この自分に注目をしてくれる
という人が誰もいない
という事が怖いのです
これは特別な感情ではありません
極めてまっとうなことです
普通は
誰からも注目されることはない
それがデフォルトです
これが存在の真実です
自分が好きなこと
自分がやりたいこと
これがある人は幸せです
だったら
潜行密用ということに
耐えて行かなければならない
潜行密用を続けて行った先に
ついに誰にも認めてもらえない
ということがある
という想定を含めて
自分を修行していく
愚直を貫いていく
自分を信じ切れるか切れないか
その先に何か
開けてくるものがあるとしたら
あるのでしょう
自分にスポットライトを当てたい
いつ花開くか分からない
そして
決して芽を出さないかもしれない
この孤独の戦いの中で
様々な経験と知識を吸収していくのです
潜行密用 愚の如く魯の如し
そのことを貫いた先には
もしかしたら
誰かに当たったスポットライトを
維持していったり
強化していったり
完全に裏方である
ということに徹する未来
があるかもしれない
両方とも役割があって
社会が成り立っているのです
今できることは
そこにあって
懸命にやる
という以外にはないのです
その先にどんな未来が来ようが
恨みっこなしです
その先にどっちに転んでも
良かった
と思えるような未来が
必ず待っています
人間の価値は
他人の見ていないところでの行動で決まる
他人の評価に一喜一憂するのではなく
自分の信条や本心に従って愚直に生きる
自分が望む未来は、その先にしかない
(大愚元勝著『苦しみの手放し方』)