「よそ者 若者 ばか者」が時代を変える 大愚和尚の「愚」
私には何もないくせに
何もないと認められないのです
今まで精一杯生きてきた自負があります
歯を食いしばって生きてきました
努力もしました
他人が味わったことのない経験もしてきました
こんなに頑張ってきた私を
「何もない」だなんて言えません
プライドや執着を捨てて
在りのままの自分を認める
ことができるでしょうか
剃ってしまった
無いはずの後ろ髪をひかれ
すべてを捨てる覚悟をもって
俗世間から出家をしようとしたとき
ひたすら頑張れば
苦しみから解き放たれ
心が穏やかになるんだ
何か悟りが開けるんだ
そう思って修行に入ったのですが
とんでもない
世俗の世界で残してきた未練で
抱えてきた心の苦しみで
荒れ狂った日本海の如く
毎日が過ぎ去っていくのです
気が紛れる事がない状態で
眠れない 食べれない 休めない
怒鳴られ 殴られ
心身ともにクタクタになるのです
こんな苦しみの修行に
何の意味があるのか
こんな辛さの中で
いつか楽になれるのか
「辛い」
と書いたお師匠さんへの手紙の返事が
「落ちろ」
落ちるところまで落ちると
その後は楽になる
今日からお前の名前は〝大愚"だ
あぁ
自分はこのままでいいんだ
偉大な坊さんになろうと思っていたけれど
なれないかもしれない
なれなくてもいいんだ
ばかでいいんだ
「お前は愚かなんだ」
「そして、その愚かさを超えた
大きな愚か者になれ」
と書かれていた
その時はその大きな意味を
解らずにいたけれども
今は生涯にわたって
この“大愚”の道
を
極めていくという事が
私の使命であり
課題です
“大愚”
は
簡単に至れる境地ではありません
空いている窓から
一匹の虫が入ってきました
部屋の中にいる人間に驚いて
外に出て行こうとしたとき
入ってきた空いている窓ではなく
閉まっている窓から出て行こうとして
窓ガラスに衝突している
何度も何度も
透明の窓ガラスに体当たりして
その窓ガラスが割れて
外に出ていける確率は
ないに等しい
一生懸命努力をしたら
報われるのでしょうか
努力は必要です
創意工夫は必要です
そう簡単に
成果が出るものばかりではありません
でも
そもそも
閉じた窓ガラスに向かって
それが広い世界に通じる道だ
と信じて
何度も何度も衝突している
この状態を
徹底的にやることを
大愚とは言いません
自分が自分を本当に解っていれば
成果が出てきます
成果の出ない努力の果てに
成果が出ることはないのです
自分は人一倍努力してきた
他人がしないような苦しい経験もしてきた
今まで精一杯生きてきた自負があります
これがまさに
透明な窓ガラスから見える
広大な大自然に戻りたいと願って
何度も衝突を繰り返している
小さな虫にしかすぎません
虫さん
そこはガラスですよ
あなたが入ってきた
開いている窓はここですよ
と
いくら声をかけても
その窓ガラスに執着している
透明なガラスにぶつかっている状態
に置かれている虫たちには
それが見えていないのです
どの窓ガラスが閉まっていて
どの窓ガラスが開いているのか
分っている人にしか
見えないのです
今頑張っている道で
成果が得られないことに気付き
全く違う道を模索するか
それができないならば
自分が見えていないもの
が見える師に
自分を捨てて純粋に従っていく
素直さ
それが
大愚の入り口です
素直さはおそらく
人生を生き抜くための
最も根本的な要素です
でもなかなか
素直になれないのです
自分が進んでいる道が
閉まっている窓ガラスですよ
と声を掛けれられても
「いいえ、そんな筈はありません。
私は、これで頑張ってきたのですから。」
と
自分の賢さにすがるのです
認めたくないのです
自分が感じてきたこと
自分がやってきたこと
それらを手放せないのです
成果が出ていないのだから
それが見えている人の
手段を
素直に受け入れることができる
愚かさ
旧来の価値観の枠組みから
外れても意に介さない
『愚か者』(ばか者)
時代を変えていくのは
よそ者 わか者 ばか者
と言われます
大愚の境地は
簡単に至れるものではありません
微愚
から始めてみましょう
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